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掌編小説「イニングの終わり」

中学二年生の秋、野球部の練習中に僕は腕に怪我をした。
医者に見せると、もう野球は出来ないよと残酷な事を言ってきた。
僕は野球をやりたかったけど、諦めざるを得なかった。

そして、高校一年生の春、僕はあんなに好きだった野球から遠ざかっていた。
私立の高校に通っているが、部活動は興味が持てず、ずっと入っていなかった。
だから、同じクラスの杉内に、
「沢木、野球部に入らないか」
と言われた時はびっくりした。
「だめだよ、腕故障しているし」
落ち込み気味に僕は言う。
杉内は少し表情が困惑していたが、すぐに普通の顔に戻り、
「ごめん、知らなくて。でも、野球以外に出来ることもあるからさ。一度見学に来てよ」
そう笑顔で言われ、しつこいので、一度だけと言って、杉内と野球部の練習グラウンドに向かった。
近づくにつれ、風で砂が巻き上げられて、こちらに飛んできていた。
野球をやっていた時のことを思い出す。
選手達は、キャッチボールの練習をしていた。
杉内はベンチのほうまで、僕を連れて行ってくれ、椅子に二人並んで座った。
「俺もさあ、中学で足痛めて野球やめたんだけど、部長から、マネージャーにならないかって言われてさ、こんな俺でも野球に関われるんだって思って、救われたんだ。沢木もさ、野球好きなんだろ?このまま何もせず野球を諦めるの?」
余計なお世話だ。
「言いも悪いも、離れるしかないだろ」
僕は杉内から目を離しながら言った。
「雑用でもやってみる気はない?」
「ない。悪いけど、帰るから」
僕は立ち上がって、スタスタと校門のほうに歩いて行った。
どんな顔を杉内がしているか、予想がついていた。

それから、杉内はめげることなく、僕を誘い続けた。
僕はもうこのしつこさが苦手で、はっきり断るのも面倒になってきた。
ついに僕は杉内にこう言ってしまった。
「雑用でもやることがあったら、やるけど」
その時、杉内の顔がぱっと明るくなった。
それから、僕らは放課後に、一緒に野球部のグラウンドに行くようになった。
関わってみると、皆野球が好きで、心の底から楽しんでいる、そんな部活に思えた。
僕はいつしか、杉内のように献身的に選手を支えることに憧れさえ抱くようになっていた。

 その日、僕が野球部で作業をしていると、
「沢木啓也君だよね?」
という声がした。
振り向くと、やさしそうな表情をした先輩が立っていた。名前はたしか…。
「俺は二年の里村章吾。入部してくれてありがとう。君にちょっと話したいことがあってね」
「何ですか」
「杉内君が何で君を野球部に誘ったか知ってる?」
「いいえ」
「杉内君はね、君と中学時代対戦したことがあて、君にとても才能を感じてたらしいんだ。だから、高校で再会した時、君が野球が出来なくなったって聞いて、とてもショックだったんだ。君が野球から離れようとしているのを何とか食い止めたかったんだよ」
「何でそんなこと知っているんですか?」
「杉内君がよく君のことしゃべってくるんだ」
「僕、杉内に感謝しています。こんな生き方もあるんだって。野球が出来ないから、離れるしかないと思ってたんです」
「そうか。よかったな」
里村先輩とは仲良くなり、いろんなことを教えてもらった。
裏方でも、実は重要な位置を占めていること、杉内のこと、プロ野球のテレビ中継の話。
ずっとずっと、三年間そうして過ごしている。そう思っていた。

そんな矢先だった。
夜、家にいるとスマホのメッセージアプリの着信が届いた。
僕はそれを見たが、受け入れられなかった。
「杉内がトラックに引かれて死んだ」
唐突の知らせに、僕はしばらくスマホの前で固まっていた。
信じられないし、嘘だろうとも思う。
寝て起きて、学校に行ったら、杉内はいるかもしれない。

一縷の望みを託して、学校へ向かった僕は、それが嘘ではないと知る。
杉内は確かに死んでいて、明日の通夜、明後日の告別式に、僕のクラスも含め、野球部全員で参列することが決まった。
僕は教室で、杉内のいた席を見た途端、涙が出た。
それまでは、悲しいのに何故か涙が出てこなかったのに。
他の生徒も泣いていて、教室中がすすり泣く声に包まれた。

通夜が終わり、僕は杉内の死に顔を見た。
思ったより、安らかな顔をしている。眠っているみたいとは思えなかったが、悪い顔じゃなかった。
「沢木君?」
と杉内君のお母さんに話しかけられた。
「そうですけど」
「涼介ね、中学の時、貴方のこと、すごい選手になるっていつも言っていたの。沢木君、野球部に入ってくれて、あの子の思いを汲んでくれてありがとう」
「いえ、とんでもないです」
僕はその返し方でよかったのか気になったが、とっさにそんな言葉しか出てこなかった。

お葬式の日、杉内が好きなロックバンドの曲が、出棺の時に鳴り響いた。
「ありがとう!」
僕がそう大声で叫ぶと、堰を切ったように、皆が口々に杉内への感謝を叫びだした。
それは、霊柩車が見えなくなるまで続いた。

 

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