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正しさの難しさ。

こんにちは。

正しい事とは、いかなることでしょうか?

何が正しくて、何が間違っているのでしょう?

そんなことを、考えてみましょう。

正義は、悪を、罰すること?


正しさとは、正義とは、悪を罰することにあるのでしょうか?

しかし、人を悪と決めるのは、何を基準とするのでしょう?

法律を破ったら?

しかし、その法律が不正なものならば?

ルール違反?

そのルール自体が正しいのでしょうか?

そう考えると、

正しさ、正義を振るうために、
悪を罰することは、本当に正義なのか、疑問です。

人を傷めつけるのは、悪なれど、悪を傷めつけるは悪ならずの法則あり。


現在の、法治国家では、法の下の平等と言い、法を守る限り、人権は守られることになっています。

しかし、ひとたび法を犯せば、何らかの痛みを伴う処分(刑罰)を受けるわけです。

これは、言い換えれば、「人を痛めつけることは駄目、しかし、ルール(法)に反する悪人は(法に基づき)、痛めつけても言いもの」
と、解釈できます。

しかし、

「人を痛みつけることが正義なのか!!」

と、問われたら、どう答えるでしょうか?

所詮、法治国家は、国の治安の維持が目的であり、そこに正義云々を求めるのは、哲学的には違うのかもしれません。

「正義の敵は悪ではない、別の正義である。」

格言・「正義の敵は悪ではない、別の正義である。」

こんな言葉があります。

これは、絶対の正義と、絶対の悪があるのではなく、

人それぞれに、正義があり、それぞれの正義がぶつかり合い、争いが生まれる。

それが、真実なのだと、言いたいのだと、思います。

人それぞれに正しさ、正義がある。

正しさが、人それぞれだからこそ、人は「話合い」、という、方法で争いを避ける道を歩むことになっています(国際問題や、政治、裁判においてなど)。

神様でもない私たちが、

「正しい事なんて、なぜ分かる?貴様は神か?」

と聞かれたら、答えようもございません。

大切なのは、独善的にならず、独り善がりに自分独りの物差しで作った自称・「正義の刃」を振りかざし、

やみくもに、人を傷つけないことでしょうか。

終わりに。

正しさは分からないものであり、人それぞれ。
だからこそ、人は、それぞれの意見(自分も他者も)を尊重し、まとめ、最善を尽くすしかありません。

しかしながら、世の中には、自己流・正義の刃を振るう人がいるのも事実でしょう。

真実は一つでは無く、沢山ある。

それを肝に銘じて。


道を外れないように。


生きていきたい。


そう思う今日この頃。


ありがとうございました。





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