10月1日の裁判を受け
10月1日に教員残業代に関する訴訟の判決がでた。
正直今回の判決である「県に約242万円の未払い賃金の支払いを求めた訴訟の請求を棄却した」という事実には納得ができなかった。
「労働とは何か」を真剣に考えさせられたものになったと思う。
一般に労働者には労働基準法が適応される。
しかし、教員には労働の特殊性という観点から有耶無耶になっている部分が多い。
本来は休憩時間があってあたり前なのに、教員には実質ない。
45分の休憩時間を給食指導の時間に当てているからだ。
また、勤務開始時間は8時00分〜8時30分くらいが多いと思うが、生徒が登校するのは7時30分〜8時00分というところもある。
もちろん自主的にと言われれば、1割は自主的なところもあるけれど、9割以上は強制的なものが多い印象だ。
自分の勤務時間を明記してある紙を見ても、おかしなところがたくさんあるし、もしその時間割を変更しようものなら地域の人や、保護者からの批判、また教育委員会からの批判は必ずあるだろう。
従って暗黙の了解で時間外勤務があたり前となり、今の教育は時間外勤務で成り立っていることが現状である。
それなのに、それは自主的に…と言われてしまう。
判決の中に裁判長が異例の発言をしたことも注目を集めた。
「給特法は、もはや教育現場の実情に適合していないのではないか」
この発言は実に的を得ているし、やっとこの発言が出てきたのかとおもうくらい。
時間外勤務の量を見れば一目瞭然だった。
でも多くの人がこの事実をめんどくさい事実として取り扱ってこなかった。
TALIS2018の結果を見ても一目瞭然。
時間外労働がないと現実的に成り立っていないのであれば、時間外労働に対して必要な対価を支払うか、時間外労働をなくすかの2択しかない。
教育にかけるお金を減らし、節約しているが、それは”未来の大人へ”投資ができていないほど自転車操業になっていることを示す。
今回の訴訟はそのことを世間にも大きく知らせることができたということにおいて非常に大きな1歩となったと思う。
教員を目指したり、教員をやっている人は教員を辞めたいわけではない。
社会からの期待が大きすぎる中でその重圧に耐え、必死に未来の大人たちを育てている。
そしてそこに楽しさややりがいも見出している。
そんな素敵な人たちの働く環境くらい整えていこうよ。