担任じゃなきゃ生徒を指導できない現状はおかしいのではないかとつくづく思う
学校現場ではなかなか年休を取ることが難しいです。
その理由の一つに休むと”変わりがいない”ということがあります。
”変わりがいない”ということにも、いくつか種類があります。
例えば、
・単純に先生の数が少なく休むと学校が回らなくなるパターン。
・その先生でないと指導できないクラスがあるパターン。
があるのではないでしょうか。
この2種類の”変わりがいない”ということに関して考えてみると、前者は致し方ない部分があります。
学校規模に応じて教員の配置できる数が決まっていますから、今すぐどうかできるような問題ではありません。
しかし、今回問題視したいのは後者の方です。
”変わりがいない”の中でも”その先生がいないとダメ”=その先生は休めないとなっている場合があるのではないでしょうか。
変わりが効かないから休めないし、その人に全部押し付けることになりますよね。
とくに担任と副担任の差は非常に大きいと思います。
担任になると自分の学級があるから休むことができないけれど、副担任は自分の学級がないから簡単に年休を取ることができるということです。
もちろん、副担任も業務はありますが、子どもがいるときにしかできない業務ということが圧倒的に少なく、担任は多い印象です。
例えば、担任は給食指導・掃除指導・朝の会や帰りの会・学級活動・道徳など子どもがいるときにしなくてはいけないことが多すぎます。
文部科学省ではチームで組織を動かしていくということを発表しましたが、実際の現場は結局担任の力量次第のところがあります。
つまり、その学級の指導はその担任しかできない状況を生んでしまっているのです。
学年の先生全てが全ての教室の子どものことを総合的に見届けるならば、全員が教室の中で子どもの様子を見たり、積極的に関わっていかなければなりません。
実際に、「先生、たまにくるあの先生だれ?」と。
同じ学年の、まして学年主任なのにその程度の認識であったということに衝撃を受けました。
「そりゃ変わりが効かんな」と心のそこから思いました。
また、「あの先生でないと指導できない」「さすが、〇〇先生だから落ち着かせることができたんだね」と聞くたびに、「なんで特定の人でないとできないことに焦らないの?」と思ってしまいます。
変わりが効かないことに、何ら焦りを感じていない人が多すぎる。
結局は自分にその仕事が来ることがないと確信しているから他人事のような口調で話す。
そんな公教育はどんなのかと思ってしまいます。
その素晴らしい先生がいなくなったらどうするのか。
もし急な病気や事故などで他の誰かが代わりにやることになったらどうするのか。
そんな心配がなくなるように、せめて学校単位・学年単位では誰がどの学級に入っても指導できる力を身につけなくてはならないし、それは教員の仕事だと断言できます。
自分のいる学年がそんな特定の人でないと指導できない状況にいるからこそ、全員でチームとして指導していきたいなと思います。
そして、そうなるように働きかけていきたいと思います。
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