学校が再開する

 はじめに、ちょっと理不尽な要求の不満を吐き出したいと思う。不快に思う方がいると嫌なので、そういう人は前のページに戻ってほしい。




 6月から学校再開を目指し、自分の市町村では5月の後半から分散登校が始まる。6月からの分散登校に向けて、学校に慣れていくためだという。5月は提出物の提出や点検、健康状態の確認などを行うそうだ。

 多くの都道府県では6月からの学校再開を目指していると思う。

 緊急事態宣言が解除されたから、ショッピングモールや旅行に行こうしている人もいると思う。緊急事態宣言が行動の制限の基準となり、制限がなくなれば移動してもいいと安易な考えになっている人が多いのは正直悲しい。「他の人もやっているからいい」そんな日本人的な考え方はやっぱり嫌いだ。

 学校再開も各都道府県が少しずつ始めだすと途端に全国に広がった。周りを伺いながら判断していくのであれば、実情に適さない判断になってしまうのではないのか。確かに周りに合わせることでたたかれる心配はなく、安定して権力を握り続けられるのかもしれないが、独自の判断でもいいのではないのか。


■ 教師も子どももしんどい

 日々変化し続ける対応に右往左往する日々は正直疲れた。昨日といっていたことがまるっきり違うことなんて多々ある。せっかく時間をかけ準備した(準備させられたが正しいが...)ものが次々に意味のないものになっていった。

 ギリギリで始めよう、なんとか早く再開しようという焦りが現場を苦しめている。大きく変更したことで以前までのことが意味のないものになった時「ごめんなさいね」そんな一言を放って終わり。労いの言葉なんて必要ないが、なんだかなって感じになる。

 じゃあ、教師やめれば?ともネットだと書かれている。教師としてやるべき仕事だけなら最高の仕事だと思う。人の成長をこんなにもまじかで見ることができるのは魅力的だと思う。だからやめない。でも、高級ホテルのサービスのように、またコンビニのように便利屋にしてきたことで本来の仕事以外が増えすぎた。外部に出そうとしても外部がやってくることなんてないし、その予算はどこから出すのかなど。学校全体の消毒など教師がやらないといけないのか。そういった細かいところまでが辛くなってきている。


 子どもたちもしんどいと思う。いきなり、与えられた大量の課題。自分で学習計画して自分で学習していくだけ。ある意味では反転授業のいい模範になりそうだが、集中力がない生徒などはなかなか取り組めていないようだ。家庭環境も複雑になっている家庭も多く、そんな家にいたくないのに家でしか生活ができないのはしんどいと思う。また、次々と変更する予定に翻弄されているかもしれない。


■ 分散登校はいいこともある

 先生も生徒も対面で顔が見れると安心感はある。また、なかなか親とうまくいっていない家庭では学校が安心できる場になる。

 職員室で押し込められていた休校期間よりは先生っぽい仕事ができる。

 課題が終わっていない生徒が「今日から頑張ります」と気合を自分自身で入れることの出来る場にもなる。


 すべてがマイナスではないのが分散登校だとも思う。


■ 最後に

 何のための休校だったのか?何のための分散登校なのか?

 「子どもたちがかわいそう」と感情論で動いてしまいそうな部分があると思う。しかし、感情論で人を動かしていくやり方は、教師や子どもたちを苦しめることになると思う。方針を決めていく方はさまざまな方面からのバッシングなどがあるので判断することに慎重になっていると思う。慎重なのはいいが、現場の状態や学校の実情など、考慮しなければならないことを無視して意見を通していってしまうことでしわ寄せがくることをよく考えてほしい。

 学校が再開することがダメとは言わないが、曖昧な判断のままでは現場の対応任せになり、教師が教師の仕事以外のところで苦しんでしまうのではないか。

 1日7時間授業、土曜授業、5教科優先、夏休み短縮、・・・各学校で様々な案が飛び交っていると思うが、おかしいことだらけ。

 

 目先のことにとらわれすぎている対応にうんざりしている。

 なぜ変化を拒むのか理解しがたい...









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