自分と似た雰囲気の人を見つけた時の話
あなたは自分のことが好きですか?
この質問に、イエス!と答えられる人はどれくらいいるのでしょうか。30代になるまでの僕だったらノー!と答えていたと思います。しかし30代を超えたあたりから心境は変わってきました。好きという表現が適切か分かりませんが、愛着のような感情が湧いてきているのです。今回はそこに至った理由を考えてみました。以下、結論に至るまでが長くなりそうですので、気の長い人はお付き合いいただければ幸いです。
1.自分と似た雰囲気の人とはデュフフな人
僕がどんな人を対象に自分と似ているな!と感じているかですが、端的に言えばデュフフって笑っていそうな細身の人です。これでイメージが湧かない人はデュフフ 笑い方 でググってみてください。イメージができましたね?これに低い声と早口をプラスしてみてください。完成です。
ちなみに僕はデュフフとは笑っていないと思いますが、内面を自己評価した結果がこんな感じなのです。
2.そういう人がいたらどう思う?
まずはちょっと胸が苦しくなります。うまく言えませんが、自分の弱い部分というか、普段意識をしていない自分の内面を思い出すからです。
それと同時に少し安心したような気持ちにもなります。なぜならそういう人はデュフフな雰囲気で早口で誰かと話しているからです。要は楽しそうにしているのです。自分と似た人が楽しそうにしている。自分を投影して、自分もなんだかんだ楽しくやってるじゃないかと思い返すからかもしれません。
僕に見つけられた人からしたら、知らんがな!と言いたくなるような話ですね。
3.昔はそんなことなかった
昔、といっても10年以内の話ですが、20代以前の僕は自分のことが外見、内面とも好きではありませんでした。なので自分と似た人を見つけると、この人とは友達になれなそうだな。などとおもっておりました。これも見つけられた人からしたら、知らんがな!な話ですね。
4.今に至る
今となっては自分自身に愛着(のような感情)が湧いてきているわけですが、理由としていくつか思いつくのが
・ないものねだりをしなくなった(あきらめた)
外見については後から変えるには限界があります。それを変えたいと願い続けるのはなんだかんだでエネルギーがいることです。そこにエネルギーを割くよりも他にやりたいこと、やらなくてはならないことが増えたのだと思います。内面については変えられない部分はありますが、意外と変えられる部分もあることに気がつきました。言い換えると、自分の感情との折り合いの付け方を身につけたと言えるかもしれません。
・今の自分を認めてくれる人や環境がある
自分では好きになれなくても、周囲はそうでなかったりします。個人的には他人の評価よりも自身の価値観に重きを置くべきと考えておりますが、周囲から言われて初めて気付かされることもたくさんありますので、そういう意味で僕は人や環境に恵まれていると思っています。
・自然体が受け入れられたときの居心地のよさをおぼえた。
ひとつ前の内容と重複しますが、背伸びして10人に認められるより、自然体を1人に受け入れられることの方が重要だと思えるようになりました。万人を受け入れられない自分が万人うけされることを望むなんてむしの良すぎる話ですしね。
5.自分が好きになれないひとへ
これは昔の自分になにかアドバイスするなら、という観点で書きます。が、もしかしたら現在進行形で自身のことが好きになれなくてもやもやしている人の心が軽くなるきっかけになるといいなとも思って書きます。
昔の僕は(今も少し残っていますが、)人目を気にして行動を起こせないことが多々ありました。今になって思い返すと、そのほとんどは後悔として記憶されています。
もし当時行動を起こしていたら、今の僕よりたくさんの失敗を経験した僕がここにいたでしょう。でも、後悔の数は今の僕より少ないはずだと思います。
さらに言えば、その失敗にまつわる思い出こそが愛着の源泉なのだと思います。要は失敗談でもいいから、思い出になるような経験をたくさんしたほうがいいよ。ということです。
夜のテンションでわっと書き殴ってしまいました。読み返したら恥ずかしくなるかもしれませんが、そうなった時には意味のある失敗でしたということで収めたいとおもいます。
ここまでお付き合いいただいた方、ありがとうございました。
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