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公園だもの・4月だもの 人間の目よりカメラの目がものをよく見ている

人間は純粋に目でものを見ているわけではないようです。ものを見ている、正確にはものを認識しているのは脳なんですね。「脳」という字は悩」という字を連想させ「脳」と「悩」の読みの「ノウ」は英語の「NO」を連想させます。まるで目で見たものを否定しているようです。

目で見たものを否定することで迷いを生み出してしまうのでしょうか。語源などのことは全く知らないのでこじつけなのですが、「脳」と「悩」の字に「凶」という、良くないということを意味する字が含まれるのは興味深いです。「脳」は錯覚、誤解の源で「思い込み」を量産しているように思えてきて、それにいちばん関わっているのが目であり視覚なのだと思えてくるのです。

よく、写真を撮る時ファインダーの四隅をよく見て写しなさいと言われます。でもゆっくり四隅を見て確認して撮影しても思わぬものが写っていたりすることがあります。自分ではちゃんと見て撮影したはずなのですが、実は見落としていたわけです。写真をやっていると個人差があるにせよ、いかに人間の目は、正確には脳はものをよく見ていないかが分かります。

いつも通る見慣れた通りに、新しく何かが出来たことに気がつかなかったことってありますよね。そうです。見ているつもりで見ていないのです。街並みに限らず、こうだと思い込んでいて目の前の人や物をじつは見ていないのです。

写真もそうです。よく見てじっくり撮影しているつもりでも、じつはそうではないように思います。この花はこういうものだと思い込んで、花はこのように撮るものだと思い込んで、風景はこのような構図で撮るものだと思い込んで撮ってしまっているのかもしれません。

見ているのは被写体ではなく構図なんですね。正確にはその被写体はこの構図法で撮るものだという自分の思いなのです。写真のほうが、つまりカメラのレンズのほうがものをしっかり見ているのではないでしょうか。

フィルムからデジタルの時代になったのですが 写真というものは相変わらず人間が100%、コントロールは出来ないということは変わっていないのではないでしょうか。人間がコントロールできるのは「デジタル画像」であって「写真画像」ではないと思いたいです。そうではないとしたら写真は面白くなくなってしまう気がします。

            (2024年4月中旬・東大阪市、花園中央公園)

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