見出し画像

私は優しい人

『優しいよね』と言われると、『そんな事ないよー』と茶化してしまう。

自身が、聖人君主だなんて思ってないけど、悪い奴だとも思ってはいない。いたって、普通。
いや、道端のゴミを拾うぐらいには、善良な方だとは思う。

ただ、『優しい人』の評価に、素直にありがとうと思えない。

優しいという言葉に感じる違和感


晩年、母は、親の話には付き合うものだと、コタツに引き留めつづけた 。
優しい私は、何度も何度も同じ話に付き合った。
パートのお局、親戚、舅や姑、父などの、悪口に。

私は何度も伝えた。血の繋がっている人の悪口は聞きたくない。特に、父の悪口はやめてほしいと。

それでも、父の、祖父母の悪口は止まらない。
何時間も続く。遅いし寝ようと自分で言いながら、それでね、と続く。

父を在宅で看取った時は地獄だった。
妹と交代で泊まりに行くが、翌日仕事なのに、続く続く。私もだが、妹たちはどうだったのだろうか。

母が亡くなった後、真ん中の妹は、電話での愚痴は私が1番聞いていたはずと言っていた。

おそらく、人を選ばず、みんなの制止を振り切って、愚痴り続けていたのだろう。

自分のペースで話を切り上げないことが、優しさなのか。
自己犠牲してまで、相手を優先させることが優しさなのか。

母は子どもの頃から、勉強や習い事を結果でしか誉めない人だった。特に大学進学や就職先は、無意識に母を喜ばせる選択をしていたと後から気づく。

結婚してからも、兄弟に声をかけて、旅行へ連れていったり。嫌なら、なぜ?と思うかもしれない。

                     母のためを思って

愛情は過不足厳禁、取り扱い注意だ。
用量は、相手が望む時に、望む分だけ。

先日コーチングで、繊細で優しい人しかアダルトチルドレンにならないという話になった。
親の気持ちを察し、親の希望に反抗することなく応え続ける。納得である。

この言葉を受け入れるのなら、私は優しい人である。

底意地悪い私は、優しいという言葉で、善意の搾取をしているのではと疑ってしまう。
もしくは、都合よく扱われていると感じてしまう。


                        被害者意識、発令中


境界線を引くことを覚えた私は、『自分を優先』しながら、他人にも用量を守って接したい。

これが、わたしの新しい『優しさ』である。


ps.500mlさん、イラスト使わせていただきました。
幸せな時間を、このイラストで思い出せました😆ありがとうございます✨








思い込み、ブロックを外して楽になる。

2024年11月に感情の勉強会があります。 参加費4000円を、noteで稼ぎ、個々の個性を尊重するフラットな世の中になるように、小さな一歩の記事を書きます✨