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ジェンダーとメンタルヘルスのこと~ハンドメイズテイルの考察〜【#9】

ハンドメイズテイルのマーサから学ぶ人間愛

ゆうきさんから受け取った次のバトンのテーマは、ハンドメイズテイル(侍女の物語)の中で描かれる女同士の関係性についての考察。

前回の記事でゆうきさんは、男女の関係性、特に、ギリアドのようなセクシャリティや恋愛要素が強く抑圧された社会の中で起きる性を巡るドラマについて、男女の思惑や感情が絡み合う関係性がどのような心の動きを起こすのかを説明してくださいました。

ゆうきさんの説明にあったように、物語の中核となるニックとジューンの、あのなんとも言えないケミストリーが作り出す愛…まるで初めから二対一体だったような、二人になった時の怖いものなんて何もないかのようなどっぷりした安心感や、火花が生まれるその瞬間のエネルギー、生命力の感覚。

人間にとってセクシャリティとはなんなのか?という人間の本質的な感覚に迫りながら、このドラマが生死に直結する活力的な愛の様子を描いていることをゆうきさんは指摘していました。

今回の記事では、同じ『愛』でも情熱とは少し違う別の形の愛:人間愛を紐解きながら、ハンドメイズテイルで描かれる女同士の関係性を“マーサ”の役割を軸に考察していきたいと思います。

ハンドメイズテイルで描かれるマーサ

ハンドメイズテイルの舞台となるギリアド共和国では、人々が客体化(モノ化)されて生活を送っています。

ハンドメイズが「子供を産む道具」とされた一方、「召使い」とされた人々、それがマーサと呼ばれる階級の女性たちです。

マーサたちは、司令官の家に住み込み、家政婦や女中のように掃除や料理などの家事全般を担っています。子供がいる司令官の家においては、ベビーシッターや子供の教育係のような役割も果たしていて、いわば家事も子育ても総受けする専業主婦のような存在です。

ちなみに、イザベル(娼婦)の館にも清掃や食堂などを担当するマーサが常駐していることから、一般的に、ギリアド共和国における「誰かをお世話する役割」をマーサと当てはめて考えることが出来るでしょう。

主人公のジューンが配属されたウォータフォード家でも、リタという名のマーサがいます。リタは、ジューンの経験する過酷な虐待や仕打ちをニックと共に一番間近で目撃する存在であり、エピソードの回を追うごとに、ジューンがギリアドで生き抜くために欠かせない存在の重要なキャラクターとなっていきます。

構造の中のハンドメイズとマーサの関係

主人公ジューンがリタと出会った時、リタの態度はとても冷たいものでした。

ハンドメイズが生殖機能を持つことにより生殖活動(儀式)以外の役割を特に与えられないのに比べ、マーサはいつも家のどこかで何らかの家事業に従事し忙しく過ごしています。

生殖機能が無く、マーサとしての仕事を全うすることでしかギリアド社会で生きる術が無いマーサたちにとって、家事業をどれだけ完璧にこなせるかが生命線になっていきます。「専業主婦はまるで主人に支える奴隷のよう」と表現する社会学者がいるように、マーサも、ハンドメイズから形を変えた奴隷階級を生きています。

そのため、ハンドメイドのジューンに対して、女性として過酷な境遇にあることを同情しながらも、お使い以外、特に何もすることがなくボーッと過ごす時間が持てるジューンのことを複雑な気持ちで眺めていたのが、当初のリタ。

これは、何もリタとジューンにのみ起きていることではなく、妊娠しプリンセスのような扱いを受けるハンドメイドがマーサを召使いのように扱う描写からも、役割の違いから、女同士の間で嫉妬や軋轢、蔑視の気持ちが起きやすい状況が描写されています。

性別客体化された役割を全うすると、同性の他人への評価基準が厳しくなる

よく、「子育て経験者の年配女性は、子育てに関して男性よりも新米ママに対して評価が厳しくなる。」という話を聞いたことはありませんか?

強いジェンダー差別意識を内在しながら機能している社会で生活していると、「女性らしい」「女性ならでは」の役割や項目、例えば家事や他人のお世話などの仕事に対して、「女性は裁縫や料理が得意」とか「女性ならではの細やかさ」と言った性差を意識した女性性項目を基準とした自己評価や価値観が生まれていきます。

それは、自身の自己評価に留まらず、「〇〇が上手/下手」などの評価を他者に対しても無意識のうちに知覚してしまう効果があります。例えば、料理の経験が長く料理上手な女性がぎこちない包丁さばきの女性に対して「女なのに料理が下手」というような認識を瞬時に持ってしまう感覚です。

このように、性差に基づくある一定の価値観を基準にした知覚評価が内在されると、「女性なら、〇〇が出来て当然」と思う能力の項目において、自分よりもそれが劣る同性や、それが出来ていない同性に対する他者評価をより厳しいものへとしてしまう傾向があることが指摘されています。

これらの知覚は本人が自覚する意識の手前で起きている無意識な感覚のため、まるで「相手が自分よりも劣っているのは『事実である』」と受け止めてしまうようになります。そして、このような感覚は、感じた瞬間に「好き/嫌い」「感じが良い/悪い」といった身体的感覚に近い、強い感情的な印象をも相手に対して与えていってしまうそう。

ちなみに、「女性だから」「男性だから」と性別分業が当たり前のように存在する社会に生きるわたしたちですが、脳の働きや得意不得意には、性差による大きな違いはほとんどないそうです。そのため、これらのジェンダー意識は、社会が作り出した構造的な意識に所以するものの、それを受けた社会の一員によって行動が補強されることで、それが強固な裏付けになってしまうことから存在し続けることになります。

このような女性同士の対立や断裂が、マーサとハンドメイズの間に起きていた可能性は、性差を強調した社会構造を持つギリアドの特性上、無かったとは言えないでしょう。

マーサのリタとハンドメイドのジューンの関係

ハンドメイドのジューンに対して冷たかったリタですが、その冷たさの理由には、上記のような社会構造上の断裂要因があっただけではなく、ジューンの前任ハンドメイドの悲しい過去も関係しています。

擬似恋愛のファンタジーに冒されたフレッド(フレッドの考察記事を参照)に翻弄されたジューンの前任ハンドメイドは、その境遇の辛さから自殺を図るのですが、それを一番最初に目撃したのがリタでした。

過去のショックを隠すようにハンドメイドと距離をとりながら共同生活を続けるリタに、人間的な感覚で接していくジューン。ハンドメイドではなくジューンとしてあり続ける彼女を前に、マーサではなく『名前を持つ個人』として徐々に心開いていったリタ。彼女には、19歳で亡くなった息子がいましたが、ギリアド建国前後の内戦で命を落としたことが明かされています。

物語が進むにつれジューンの我が子(とギリアドを生きる子供たち)への深い愛を知った彼女は、リタの元で家事の見習い修行をしていた少女イーデン(ニックの花嫁)の心痛める事件もあり、「本当は自分に出来ることがあったのではないか…」という自責を抱えながら、ジューンやその他の政府のレジスタンス・反抗者たちの作戦に加担していきます。

家事をこなすことだけが存在意義である彼女の立場では、反政府団体・レジスタンスの活動に加担することは、見つかれば即、死刑になることを意味します。そんな彼女が、ジューンの一見無謀と思える作戦や計画に加担していくのには、相当の覚悟がなければ出来ないことです。

マーサのリタとワイフのセリーナの関係

ハンドメイズテイルを通じて理解するリタ像は、一見気が強そうで厳しく役割に規律的なものの、とても信仰深く、母性的な、慈愛に満ちた人物だということ。ジューンの様子を常に気にかけ、落ち込んでいる時には温かいご飯を出してあげたり、怒りで我を失い好戦的なジューンを宥めたりすることも。そこには、役割以上の何か、母性的というか、おおらかに子供を見守るような優しさがあるように思えます。

それは、ウォーターフォード家のセリーナとの関係からも読み取れ、主人と召使いという上下関係のある立場ながらも、ふとしたさりげないケアの仕草に、思わず「あなたはセリーナのお母さんか」と思うような優しさと安心感が感じられる時もあるくらい。

実際、セリーナは、フレッドと同様、相互の間に力関係があることを忘れて、リタのことをギリアドで苦楽を共にした、自分にとってとても献身的で親しい友人の一人である、と思い込んでいたことがシーズン4で描かれています。

セリーナがそう思ってしまうのもそのはず。セリーナの母親は、セリーナ以上に保守的で、家父長制の男尊女卑に染まった価値観を持つ人物です。セリーナのやりたいことを無条件に肯定することは無く、女性(妻)として男性(夫)に尽くすことを娘に何よりも望んでいます。その母親像は、とても制度的であり冷たい機械のような感覚すらあります。

このような生育環境からも、セリーナが、リタを理想の母親像に重ねてみていた可能性があっても不思議ではないでしょう。ちなみに、リタの気持ちの中では、役割としておこなっていたケアと、自ら望んでしたケアにははっきりした区別があり、
強いられた立場の中でのケアは、彼女の大きなトラウマとなっています。

「ケアをする人」の存在がいかに男性主体的な価値観を中心に都合よく作られているかということが、リタとセリーナそれぞれの経験を通じて見えてきます。自身が主体的・主人(セリーナは主人の付属物という扱いですが)な存在としてケアを受ける側になると万能感・充足感を感じる一方で、主体ではない存在としてやってあげることが当たり前とされることを強いられてる立場では、自己否定のような無力感や疲労感を強く感じてしまう。ケアについて、立場を変えた時に見えてくる全く異なる受け止め方が、リタとセリーナそれぞれの経験を通じて伝わってくるでしょう。

母性とは何か?

リタに母性を感じるのは、リタが母親だったからなのか。ケアとは母性の一部なのか?

ここで、母性について、母性とは何なのかを掘り下げてみたいと思います。

母親になった女性と、母親にならなかった女性を対象にした脳科学の研究によると、母性とは正確には、共感力や相手を思いやる気持ち、に近いと理解されているそう。そして、母親だから/母親ではないからといって共感力に大きな差が出ることはなく、共感力自体は、本人の経験してきた出来事や、それを通じた学びから、自身がどう生きていきたいか決めていく意志が強く関係しているそうです。

前任ハンドメイドの自殺や、少女イーデンの悲劇を通じて経験してきた人々の苦しみを、彼女は、共感力に、そして慈愛へと還元していきます。この愛は、ギリアドで不遇を受けるジューンをはじめとする女性達の悲劇に共鳴するだけでなく、リタのセリーナへの態度に対しても言えて、彼女を奴隷のように接するセリーナに対しても優しさを見せることが出来たのは、リタ自身、セリーナの境遇や経験が生み出す痛みに強く共感した部分があったのではないかな…とも感じます。

リタはこの愛をギリアドの世界を生きる子供達の将来を変えるための希望に、そして、彼女がギリアドの世界を生きる意義・人生の目的へと、繋げていきます。

実は、最強の女性集団であるマーサの存在

ところで、見せ場が山ほどあるハンドメイズテイルですが、わたしがこのドラマの中で特に好きなのが、シーズン3のクライマックスに向けて遂行された、ジューンを中心としたレジスタンスによる壮大なギリアド脱出計画。これがとにかく素晴らしいこと!!

この計画に深く関わっているのが、上述したリタを含むマーサ達です。リタの場合は、元母親でプロ級な料理の腕を持つ人でしたが、このマーサ集団、他にもさまざまなバックグラウンドを持つ最強女性たちの集まりなのでした。

ギリアド共和国は、元はアメリカ合衆国であり、女性の活躍が著しい場所でもありました。そのため、現在マーサとして仕えている女性たちの中には、学問や社会的地位、専門職を取り上げられた、その道を極めた元プロフェッショナルも多数隠れて存在しています。

さまざまなスキルや特技、知識、経験を持つマーサたちが、一つの“ある”目的に向かい尽力する様子。その様子がなんとかっこよくてエンパワリングなことか!(「そうだよ、ガールズパワーってこういうことよ!!」と思いながら見ていた自分。)

ジェンダーと客体化の繋がりが強固な社会構造があるがために、同じ性別の者同士が断裂しやすい状況が作られている一方で、この団結が生まれた背景には何があるのか。

そのヒントを、災害時の集団心理を集積した研究をまとめたレベッカ・ソルニットの著書から探っていきたいと思います。

危機的状況で群衆が起こすのは暴力?それとも団結?

災害時の人々の動向を、レベッカ・ソルニットは著書『定本 災害ユートピアーなぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』の中でこのように語っています。

“災害時には、隣人や自分と同じ市町村の市民を、災害事態より危険な存在だとみなすかどうか、さらに、彼らを付近の店や家にある品物より価値のある存在だと考えるかどうかにより、人々の行動は大きく変わってくる。”

レベッカ・ソルニット著『定本 災害ユートピアーなぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』

“地震、爆撃、大嵐などの直後には緊迫した状況の中で誰もが利他的になり、自身や身内のみならず隣人や見も知らぬ人々に対してさえ、まず思いやりを示す。大惨事に直面すると、人間は利己的になり、パニックに陥り、退行現象が起きて野蛮になるという一般的なイメージがあるが、それは真実とは程遠い。第二次世界大戦の爆撃から、洪水、竜巻、地震、大嵐に至るまで、惨劇が起きたときの世界中の人々の行動についての何十年にもわたる綿密な社会学的調査の結果が、これを裏付けている。”

レベッカ・ソルニット著『定本 災害ユートピアーなぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』

彼女の著書によると、人類の進化論について、厳しい自然界の中で競争をし戦い抜いてきた強者が人類の生存に繋がっていると捉える学者がいる一方で、人類は他者との繋がりを大事に協力し合い共同体を形成しながら苦難を乗り越えたと説明する学者もおり、そこには学者自身の、人間に元々感じていた『前提』が加味された考えが影響しているのではないかと指摘しています。

そして実際に、災害が発生した際の記録を辿ると、人々は互いに工夫を凝らしながら互いに助け合うことの方が多く、本当の大きな被害は、災害そのものではなく、災害を機に社会の秩序の崩壊が起きることを恐れた権力者たちによるパニックによる抑圧やスケープゴートからくる暴力や破壊行為だったそうです。

加えて、ソルニット氏は、このように人の本質を説明します。

“通常、社会生活上の変化はほとんどは本人の選択によるものだ。たとえば、誰かが生協の組合員になりたいと思ったなら、それは社会のセーフティネットまたは地域密着型農業を信用しているからだろう。しかし、災害は嗜好により襲う人を選んだりしない。それはわたしたちを危機的状況の中に引きずり込み、職業や支持政党に関係なく、自らが生き延び、隣人を救うために行動することを、それも自己犠牲的に、勇敢に、主体的に行動することを要求する。絶望的な状況の中にポジティブな感情が生じるのは、人々が本心では社会的な繋がりや意義深い仕事を望んでいて、機を得て行動し、大きなやりがいを得るからだ。”

レベッカ・ソルニット著『定本 災害ユートピアーなぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』

ハンドメイズテイルのマーサたちの行動は、この内容で説明されている現象にとても近いと言えるかもしれません。権力の格差による上下関係が存在しないマーサとハンドメイズ、そしてその他の抑圧された階級にいる者同士による横の繋がりと互いへの共感が、彼らが共通して認識している危機感(自分達の境遇を子供達に経験させたくない)と、希望や目的(子供たちをギリアドから脱出させる)を明確化し、恐怖や保身よりも、内から湧き上がる意義に導かれた行動へと彼らを突き動かしたのではないでしょうか。

ハンドメイズテイルにおける子供たちの存在

ハンドメイズテイルは、ギリアドという家父長制・父権社会の恐怖を描く物語ですが、その核となっているのは、『子供』という存在への大きな不安と執着。

「子供が生まれない」ことに対する社会の不安が、抑圧や暴力による統制を肯定するディストピア=ギリアド建国の発端にもなった一方で、子供に将来の希望を託したいと、知恵やクリエイティブさが発揮され人が他者に対して持つ大きな愛(人類愛)が生まれるきっかけにもなっている。

シーズン3が見せた、ハンドメイズとマーサの関係は、人もあながち捨てたもんじゃないな、と人類が他者へ持つ愛の強さを教えてくれる、とても心強い協力関係・対等な同士的関係が描かれていると感じています。「隣人を愛しなさい」ーこの教えこそが、ギリアドで信仰されているキリストの本当の教えなのではないか、と思うととても皮肉なものです。

このハンドメイズテイルの物語を通して見えてくる絶望と希望のコントラスト。この二つの世界が統合する日は来るのでしょうか。これからの展開がとても楽しみです。

バトンタッチ

今回の記事では、“マーサ”を軸に女性同士の関係性、そこから生まれる心的なダイナミクスについてを分析してみました。共感から生まれる心強さや目的意識の共有、そして共同体となった時の無敵感、不可能を可能にする創造力や、自分を犠牲にしてでも相手を助けたいと思う強い気持ち。

リタは、ジューンに共鳴し、子供たちをギリアドから救うことに希望を見出しました。それが、彼女にとっては、ギリアドで見てきた悲劇へのクロージャー(決着)となりますが、果たしてそれは、他のキャラクター達にも当てはまるのだろうか。

シーズン4以降、ギリアドを逃れたキャラクターたちの、「その後」のストーリーが描かれます。そこで、次は、ゆうきさんに、ハンドメイズテイルの描く、ギリアドを飛び越えたその先に見えてくる個人の本当に内に秘める目的や指針、渇望など、「その人にとっての救いとは何か?」をテーマに、そこから見えてくるドラマを聞いてみたい!!と、バトンタッチしたいと思います。

参考:
・Hulu ハンドメイズテイル 〜侍女の物語〜 シーズン1−4
・江原由美子(2001) ジェンダー秩序 平文社
・くどうみやこ(2018) 誰も教えてくれなかった子どものいない人生の歩き方 主婦の友社
・レベッカ・ソルニット(2020) 定本 災害ユートピア なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか 亜紀書房

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