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ジェンダーとメンタルヘルスのこと〜ハンドメイズテイルの考察〜【#8】 

抑圧された社会構造と恋愛・セクシャリティ

前回のやすのさんのブログには、個人的にとても心が揺さぶられました。「ハンドメイズ・テイル〜侍女の物語〜」の登場人物としては欠かすことのできない、ギリアドという国を作った一人であるフレッド・ウォーターフォードを通して見える、家父長制、ジェンダー問題、また個人の強硬な行動の裏にある心の脆弱さなども見え、社会全体だけではなく、個人の内側で起こっている分離と抑圧が浮かび上がってきました。前々回で取り上げたリディア叔母にも、そして前回のフレッドにも共通するのが「心の脆弱さ」です。自己の脆弱さを受け入れることができない場合、抑圧する力が働きそれはシャドー(影)になってゆきます(社会でも排除の力が強くなり、タブーという社会の影になってゆきます)。それがナルシズム傾向や、暴力を生む要素となることが見えてきました。

ギレアドの国において人々の関係性というのは、対等でフェアな横の関係ではなく、多くの人が、支配し・支配されるという縦の関係で人々は繋がっています。今回は、やすのさんから受けとったバトン、この物語に出てくる関係性、支配し・支配される関係から生まれる「恋愛とセクシャリティ」に焦点を当てていきたいと思います。

抑圧が生む分離、裏と表の世界

現代社会では「恋愛」といっても、実際は様々な形があるのではないかと思います。プラトニックな片想いもあれば、両思いもあります。そこにセクシャリティも入る場合もあれば、友達のような関係性もあるかもしれません。それが”結婚”につながる関係性もあれば、一時的な関係性で終わることも様々です。けれど、そのどの恋愛も、私たち社会では「自由」に個人が選択することができます。ギレアド共和国では、日本の社会にごく当たり前にあるような「自由恋愛」という形は、”表”には存在しません。

では、このギレアド共和国にはどんな恋愛関係が存在しているのか?
大きく分けて、二つの関係が見えてきます。
一つは「疑似恋愛」で成り立つ関係性。それはナルシスティックな一方的な支配から生まれる発散や癒し、また生き延びるための一時期的なツールとして異性間に成立する関係性。
もう一つは「命の再生」としての関係性です。こちらは一方的とは逆の、相互関係から成り立つもの。相手にはあなたが見えていて、あなたにも相手が見えている、繋がりの関係です。

支配し・支配される中での性と生殖

ギレアド共和国では人々は管理されて生きています。支配されている者たちに選択肢はありません。特にハンドメイドのような、奴隷ともいえる扱いを受けいている階層に生きる者たちに、自分の人生を決めて行動をするという機会は皆無です。

またギレアド共和国では、独特の解釈によるキリスト教原理主義による規範が、この国の家族の在り方や、夫・妻の役割が決められている為、例えば、フレッドのような高官レベルの特権階級の支配層の夫婦関係は、夫・妻という役割が、個人の感情より優先されます。夫婦関係には、人間らしい感情的なやりとりはあまりなく、もちろん性の快楽という部分での繋がりはゼロ。唯一、性が生かされるのは生殖のみです。

ギレアドの高官夫婦には、世継ぎを作るための儀式があります。それが月1回、ハンドメイドを介して行われる生殖のための儀式。それは形式に沿って行われる、無味乾燥な挿入行為。それも夫婦間ではなく、妻の見守る中、ハンドメイと高官との間で行われる性行為です。

子供を作るという聖なる行為なので、身体で感じていること、そこで生まれる情動を、一切排除しています。それが、このドラマで中心的に描かれている高官レベルの夫婦関係の日常です。

感覚や感情があまり出てこない世界ですが、人は触れることで生まれる感覚や感情をなくすことが実際にできるのでしょうか?答えは、抑圧や否認はあるにせよ、無くなることはない、です。では人は人間的な触れ合いへの欲求は生まれないでしょうか?

それら欲求は、ギレアド共和国では裏社会で実に生き生きと存在しています。例えば、ギレアドには、高官レベルの男性にとってはおなじみのイザベル・娼婦の館が存在しています。もちろん表向きは、高官レベルとはいえ性行為による快楽は禁止なのです。しかし、これは彼らにとっては暗黙の了解の世界。ここは表社会とはまったく逆で、性欲・欲望の渦が巻く世界。娼婦たちとの戯れ、時に過激な性行為など、フリーセックスの場として存在しています。

恋愛関係その1:女性の客体化と自己を満たす一方的な疑似恋愛

前回のブログでやすのさんが指摘していますが、フレッドは自分のハンドメイド(主人公のジューン)と疑似恋愛をしていました。フレッドは、妻のいない夜に、すでに用意していたセクシーなドレスをジューンに与え、お化粧をさせ、このイザベルの館に連れ出し、非日常のアバンチュールを楽しみます。もちろんこの場合、ハンドメイドであるジューンは断ることはできませんので、心の中で嫌悪感があったとしても、フレッドの支配的な疑似恋愛には笑顔で応えるしかないのです。そういう意味でハンドメイドというのは、表向きは子作りのために必要な子宮という役割でもあり、裏では高官たちの愛人、戯れの相手という隠れた役割もあるのかもしれません。

このような管理と抑圧の強い環境下で生き延びるためには、極端なファンタジーの世界が必要なのかもしれません。イザベルという娼婦の館は、男性にとっては現実社会から逃げることができる場所。そして自分をさらけだし、人と触れ合える唯一の癒しの場所として存在するのかもしれません。

ただ世の支配層にいる彼らは、イザベルたちの気持ちやハンドメイドの心に共感することは皆無です。特権階級の男性にとっては癒しの場かもしれませんが、ナルシスティックで支配的な恋愛なのです。

支配し・支配される構造の中で生存のために人は恋をする?!

高官がハンドメイドと、支配的な疑似恋愛に陥るだけではなく、その逆にハンドメイドの高官への恋愛感情もあります。しかしこの関係性は、ハンドメイドにとっては癒しというよりは、生き延びるための一つの手段、すなわちストックホルム症候群とも言えるような関係ではないでしょうか。

ストックホルム症候群とは

精神医学用語の一つ。誘拐や監禁などにより拘束下にある被害者が、加害者と時間や場所を共有することによって、加害者に好意や共感、さらには信頼や結束の感情まで抱くようになる現象。

日本大百科全書(ニッポニカ)

ギリアドでの高官とハンドメイドの関係性は、高官が絶大な力を持っている支配者です。ハンドメイドたちは、高官の家に人質として(子どもを身篭るまで)囚われている奴隷のような立場なのです。誘拐事件や監禁事件のような特別な環境下にとても似ている状況だと思います。人質(囚われたハンドメイド)になった被害者は、常に加害者(支配する高官)によって脅かされ、支配されている状況です。

このような関係性の中で高官たちは、妻のいないところで、ハンドメイドに優しくしたり、特別扱いやご褒美をあげたりして、気まぐれにハンドメイドをもてあそびます。例えばフレッドは、ギレアドで女性に対して禁止している読書をジューンには許し、雑誌を見せてあげていました。

普段は抑圧され、自由を許されないハンドメイドのような状況にいると、そのようなちょっとした優しさ、また特別扱が、普通以上の嬉しさに変わることがあります。そしてそれがいつしか好意に発展するという可能性もあるのです。

また妻を差し置いて、高官の苦労話をハンドメイドが聞けば、彼らの大変な立場や、冷めていても離婚できない夫婦関係に同情するかもしれません。それが恋愛感情に発展する可能性は十分にある状況なのです。そしてハンドメイドが高官に好意を持ち始めれば、月1回の儀式も苦痛に感じなくなるでしょう。月1回の儀式という名のレイプは、好きな相手の子どもを産むために頑張れる「愛」の儀式へと変わってゆくのです。たとえそれが一時的な偽物だとしても。

こうなればハンドメイドの「奴隷」という現実は、好きな人の子どもを産むことへの「希望」になります。人は「希望」があると、困難な状況でも生き抜く力を得ます。ハンドメイドにとって高官との恋愛は、生き延びるための無意識の知恵、ファンタジーの世界なのかもしれません。

ジャニーンの場合:現実を受け入れることの難しさと心の崩壊
ドラマの中で、ジューンと同期であるハンドメイドのジャニーンが、高官に対して恋愛感情を抱いていました。ジャニーンは、派遣された高官の子どもを身籠るのですが、自分は愛されていると彼女は信じきっています。もちろん、この高官は、彼女を都合良くもて遊んだのですが・・・。

ジャニーンは出産後、子どもを高官夫妻に渡さなければいけない時に、その現実を受け入れることができませんでした。彼が一緒に暮らそうと言ったのだと叫び、彼女は子どもを連れて死のうとしました。

子どもを無事出産したジャニーンは、もうこの高官の家庭には必要のない存在。初期の母乳期間が終わればレッドセンターへと帰り、また別の高官家庭へ配属される身なのです。それが悲しいけれど現実です。

出産後に彼(高官)と一緒になれると信じていたジャニーンの精神は、出産後の現実を受け止めきれず、壊れてゆきます。彼と一緒に暮らすことだけを夢見て頑張ってきたのでしょう。その夢が壊れた瞬間、生きる意味はなくなるのです。

女性の身体の支配と利用

このようにギレアド共和国では、裏の世界では娼婦との戯れ、フリーセックス、ハンドメイドとの疑似恋愛が横行しています。抑圧された世界でも、人々はそれぞれのファンタジーの中で力強く生きようとします。しかしそのファンタジーの世界でさえも、娼婦やハンドメイドたちは、どこまでいっても特権を持つ人々の所有物で、客体化された存在でしかないのです。

しかしそんな過酷な環境下でも、人は生きなければいけません。娼婦やハンドメイドたちは、悲しみ、惨めさなどの心の痛みを無感覚にさせるために、ただただ快楽に身を任せながら、イザベルという娼婦の世界で刹那的に生きていることもあれば、ジャニーンのように疑似恋愛に身を投じ、一時期は希望を見つけるものもいます。しかし、ハンドメイドの淡い恋心のほとんどが、その厳しい現実に破壊されます。そなれば精神的に病んでしまうのも、むしろ普通でしょう。もしかしたら「元気な子どもを産んだ」という事実だけは、少しだけハンドメイドたちの傷を癒してくれるのかもしれませんが…

ジャニーンと高官夫婦という三角関係は、現代でも既婚者たちの不倫や浮気や愛人として存在します。そして少し前の日本では、お妾さんが世継ぎを生む時代も長い間ありました。

家族存続(子孫繁栄)と生殖はきってもきれない関係性です。子どもを産むという身体的機能を持つのは生物学的には女性の身体です。それゆえに女性の身体が、その時の権力者に支配され、利用されるという現実が、昔も今も物語の中だけではなく、どこにでも存在する普通の話なのかもしれません。

恋愛関係その2:命の再生としての愛とセクシャリティ

ギレアドの男女の関係性のほとんどが、支配し・支配されるものとい縦の力関係がそこには存在します。しかし、そのような世界でも一際目立つ二人がいるのです。それがこの物語で出てくる二つ目の「命の再生:愛とセクシャリティ」からなる関係性です。

ニックとジューンの場合:
管理と抑圧を超える関係性の不思議なケミストリー(化学反応)

フレッドの家で運転手として働いていた監視役の「目」でもあるニックと、このドラマの主人公であるハンドメイドのジューンは、ドラマの最初から、お互いを意識しているのか、目と目の合いシーンがよくあります。

毎日ジューンが買い物に出かける際、ニックは彼女のことを見ています。またジューンも、彼が本当に監視役の「目」であるのかが気になり、それをどこかで恐れながらも、やはりニックのことを無視できず、いつも見ています。二人は常に意識しながらお互いを見ているのです。

その様子を見ていると、もしかしたらすでに二人の間には、何らかしらの「ケミストリー(化学反応)」があったのかもしれません。警戒なのか、見張っているのか、微妙に不安定な二人のアイコンタクト。しかし一度目が合うとしばらく見てしまうこの無言のアイコンタクトは、すでにどこか官能的でもあります。

このように、二人の間にはすでにアイコンタクトが日常にありました。そしてある日、高官の妻・セリーナが二人にセックスをすることを提案をします。

ギレアドでは、環境問題により出産率が低下したので、出産の問題は女性にあるとみなされていました。しかし密かに囁かれていたのは、男性の精子の問題です。それに関しては、男性を非難することになるので、誰も表立っては言いません。しかし密かに、それも不妊の原因としてあるということを、妻たちは知っています。

ハンドメイドを変えても、ハンドメイドがなかなか身籠らない状況に焦りと苛つきを感じたセリーナは、とうとうジューンとニックに、二人が性行をするよう命令し、段取りをつけたのです。そこから一気に、二人の間にあったその不思議なケミストリーは、更なる化学反応をおこし、二人は強く引き寄せられていくのです。言葉も交わすことなく、自然と呼ばれるがままの密会。二人の濃厚な逢瀬が始まるのです。

生き延びるためのエロス

Freud described eros as the life instinct doing battle with tanatos, the death instinct.  フロイトは、「生」の本能であるエロスを、「死」の本能であるタナトスとの戦いと表現した。

Esther Perel, The State of Affairs: Rethinking Infidelity (HarperCollins, 2017)

ニックとジューンのエロスの世界は、このギリアドという抑圧された世界をも忘れてしまうくらい、快楽に身を委ねた世界でした。何も変わらない日常の中ですら、ほんの少し目があっただけでも、また指が少し触れただけでも、とても官能的な二人の様子が描かれています。そして二人きりになれば、感じるままに何度も何度も身体を重ねてゆきます。

セックスセラピストのエステル・ペレルによれば、感情的な関係において、権力とコントロールという挑戦的なダイナミクスそのものがエロティック化されると、依存・降伏・嫉妬・攻撃性さらには敵意すらも、強力な興奮の源に変換できると言います。監視役の「目」であるニックと、ハンドメイドのジューンの関係も、ギリアドという環境下だからこそエロティック化され、二人の興奮が高まる要素が多くあったのかもしれません。そしてそのエロティック化されたセクシャリティが、ジューンという人間を生き返らせたのです。ドラマの中では、主人公がどのように呼ばれているのかで、その存在への回帰をみることができます。

”オブフレッド(Of Fred フレッドのもの)”だったジューン

主人公ジューンは、ハンドメイドたちを教育するレッドセンターからウォーターフォード家に派遣され、”オブフレッド(Of Fred フレッドのもの)”となります。

ギリアドでは、ハンドメイドたちは本名では呼ばれず、『誰々のもの(”Of〜”)』というように、派遣された『高官の名前の物』で呼ばれるようになります。本名が呼ばれないとう事が、このハンドメイドの存在を実によく表していると思います。自分の名前が消されることは「モノ化」されたという意味になるのです。

そのようなハンドメイドは、子どもを身籠らなければとても肩身が狭い存在です。高官の妻から不満を当てつけられれることも、時に虐待されることもあります。そんな環境下でハンドメイドは、自分自身の精神を保つことが時に難しくなることも当然あります。このような過酷な環境下で、ジューンは生きていました。

ギリアドでは、名前が表すように、ジューンという一個人の存在は全て奪われています。承認もされなければ、自分の力も自信も奪われている状態。ましてや自由とは程遠い身分です。それに代わって恐れ、不安、警戒や無力感がジューンやハンドメイドたちの心を占めています。それらは心に大きな負担を強いる精神状態です。次第に心は閉ざされてゆき、人は感じないように、見ないようにすることで生き延びようとします。それは息を吸っているけれど死んだ状態。

そんな日常を送っていたジューンが、ニックから本名である「ジューン」と名前で呼ばれるのです。それも二人の官能の世界で、です。ニックとの関係性の中で、快楽(喜び)を自由に表現することによって、ジューンの存在はニックに承認され初めてジューンはジューンとして再生したのではないでしょうか。

ジューンはニックとのセックスで、自分の喜びを自由に感じ、それを表現し、時には挑戦的になってみたりと、無力だと思っていた自分に力が戻る、すなわち自分にコントロールも戻したのだと思います。まさにエンパワメントの瞬間。

セクシャリティは、生きることと深く関係しています。「生」をしっかり手に握りしめる力強さがなければ、生きていても喜びを感じることはできないのです。

セックスの喜びを取り戻して「生」の実感を/エステル・ペレル

このようなニックとの官能的な関係が、ジューンにとって「死」の解毒剤となり「生」の再生へと導いたのです。”オブフレッド(Of Fred フレッドのもの)”から”ジューン”へ。過酷な環境下でも生き続ける自分の存在意義、存在理由を得たと同時に、生への希望もうまれたのです。きっとニックにとっても同じだったと思います。

その後ジューンとニックの間には、監視役とハンドメイドという関係を超えて、人間としての対等な関係性の中で、確実に愛が育っていく様子がドラマを通して見ることができます。ジューンはニックの子供を身篭り、出産するのですが、ニックは、自分の愛する女性と子どもが安全に生き続けることができるよう、隣国・カナダへの脱出の支援やサポートを継続的にすることとなるのです。

関係がもたらす希望と光

現在シーズン5に突入した「ハンドメイズ・テイル」ですが、ニックとジューンはこの先どうなってしまうのかが気になるところです。私個人としては、ジューンは、ギリアドの前に一緒だった夫・ルークではなくて、ニックと一緒になって欲しいと勝手に思ってしまいます。それぐらい二人の間にある深く・強い絆、絶対的な信頼と安心感を感じました。そんなわけで、シーズン5の行方が気になるところですが、ただこれだけは言えます。たとえ二人が一緒にならなくても、きっとニックだったら、ルークと幸せになるジューンをも受け入れ、彼女の幸せを願うのではないかなと。ニックは表情は豊かではないのですが、何か強い芯を持った人物に見えますし、ジューンのことを深く愛している様子が見られます。こうあって欲しいという視聴者としての私の投影かもしれませんが・笑。

ただ二人の関係性は、デストピアという重く、暗い世界だからこそ際立つ関係性。あの世界でも、少しは人を信じても良いのかもしれない、そんな希望が見えてくるのが、この物語の救われるところ。どんな世界いおいても(たとえギレアドという国で生きていても)、このような関係性があれば、癒しにもなり、また生きることへの希望が生まれ、道を切り開いてゆくことのできるパワーとなり、ゆく道を照らしてゆくのだなと思いました。

そんなジューンを見ていたら、「夜と霧」の著書でもある、精神科医で心理学者でもある、ヴィクトール・フランクルを思い出しました。ヴィクトールフランクルはホロコーストサバイバーです。そして今回のブログでも多数参考にしているセックス・セラピストであるエステル・ペレルは、ホロコーストサバイバーを両親に持つ心理療法士です。

ペレルはベルギーのアントワープで生まれ育ったのですが、そのユダヤ人コミュニティでは、大きく分けて二つの種類の人々がいたといいます。一つは「死ななかった人たち」、もう一つは「再び生き始めた人たち」です。ペレルは、ただのセックス(挿入という行為)が、エロティシズムによって意味のあるセックスへと変革できた時、人は「生きている」実感を得るのだといいます。

ギレアドでの儀式によるセックスは、生殖目的の単なる挿入のセックスです。そして一つ目の恋愛関係は、確かにエロティシズムというファンタジーの世界はありました。しかしそこにあるのは相互関係性としてのエロスではなく、一方的なファンタジーによる、一人称のエロスです。もちろん、それも一時的な生きることへの緩和剤にはなったのですが、やはり擬似恋愛は擬似なのです。このような恋愛は、時に依存となることもあり、実は現代社会でも、あちこちでみることができます。

その逆に二つ目の関係性においては、二人の間に確実に流れる何かを感じます。このようなジューンとニックに見るようなエロティシズムが、死の緩和剤となり、生きる希望として変革されたセクシャリティだったのではないでしょうか。ペレルは、アントワープでもそれを理解していた人たちが、再生への道へと進んだ人々だったと話しています。

どんな時も、人生には意味がある。どんな人のどんな人生であれ、意味がなくなることは決してない。だから私たちは、人生の闘いだけは決して放棄してはいけない。

ヴィクトール・フランクル名言

このようにジューンは、ニックとの関係で自分を取り戻し、その関係性に支えられながら自分の人生に挑む力を得ました。そこから彼女は、ニックとの子どもの未来を守り、そしてギレアド建国の際に生き別れとなった娘・ハンナを取り戻すための闘いを、静かではありますが確実に始めてゆくのです。

バトンタッチ

今回のブログでは、「ハンドメイズ・テイル〜侍女の物語〜」の「恋愛とセクシャリティ」の関係性に焦点を当て、それらがどのように人々の精神に影響を与えているのかをみてゆきました。

女性が搾取されがちなギレアド共和国だからこそ生まれやすい擬似恋愛傾向もあれば、やっぱりギレアドだからこそ生まれたディープな恋愛とセクシャリティもある。どちらにしても、エロティシズムの影響は思いのほか大きいなと思いました。このような人間関係は、その人の人生や運命を、良くも悪くも変えてゆく、大きな力となるのだと思います。そういう意味でも誰と出会い、どんな関係性を結ぶのかは、とても大事だなと思いました。

今回はギリアドの中での異性同士の恋愛に焦点を当てていたのですが、当然、同性同士の関係性も様々あるのだと思います。このドラマには、ギレアドにすむ様々な身分の女性が多く登場するなと思っていて、女同志の関係性にはどんなダイナミクスがあるのかも気になって来ました!そんなわけで早速、その辺りも含めて、やすのさんにも聞いてみたいと思うので、ここでバトンタッチいたします!

参考:
・Hulu Japan ハンドメイズテイル 〜侍女の物語〜 シーズン1−4
セックスの喜びを取り戻して「生」の実感を, Mashing Up 
ヴィクトール・フランクルの名言
Esther Perel on the Difference Between Sexuality and Eroticism , BiG ThinK
・ Perel, Esther (2017), The State of Affairs: Rethinking Infidelity, ‎ HarperCollins
Image by Rattakarn from Pixabay 


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