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ジェンダーとメンタルヘルスのこと〜ハンドメイズテイルの考察〜【#5】

なぜ、今、「ハンドメイズテイル」を話すべきなのか?

ゆうきさんは前回の記事で、客体化に焦点を当て、ドラマ「ハンドメイズテイル」の世界で描かれる階層的構造の中で生まれる役割と客体化、そして暴力の関係を考察してくださいました。

その中で、ゆうきさんは、主人公ジューンが、自分の人間性と、与えられた役割・客体の間で揺れ動く心情に触れていました。

「ハンドメイズテイル」はフィクション物語であるものの、キャラクター達の経験している心情は、時代の分岐点にあるような社会を生きるわたしたちが現実に経験していることにも共通する部分がたくさんあります。

例えば、先日アメリカ最高裁により人工妊娠中絶の権利を認めた「ロー対ウェイド事件」の判例が翻された事件は、今、アメリカ国内で大きな反響を与えています。詳しくはこちらを参照。

また、日本の保守的な政治家たちや裁判官による、同性婚への不理解や、LGBTQ+コミュニティへの差別肯定の理由に使う「伝統的な家族観」や「生産性」の話も、話題になりました。詳しくはこちらを参照(1)(2)(3)

これらの出来事は全て、ハンドメイズテイルで描写される暴力性に通じており、物語のキャラクター達と同じような心理レスポンスがわたし達にも起きています。

そこでこの記事では、なぜ今、ハンドメイズテイルを話すべきなのか?その理由をハンドメイズテイルの世界を現実社会に照らし合わせて考察してみたいと思います。

現代のアメリカ・日本はハンドメイズテイルとパラレルワールド?!ディストピア世界から見えてくる現代社会で起きていることとは?

わたしの住むアメリカでは、トランプ政権下で力をつけた保守派の暴挙により、アメリカ最高裁は現在、保守派の判事が多数を占める事態となりました。それにより、兼ねてより保守派(その中でも特にキリスト教原理主義的考えの人たち)が進めてきた、『人工妊娠中絶の権利を認める「ロー対ウェイド事件」判決を覆す』という出来事が、今回可決されてしまいました。これはつまり、国が法的に人工妊娠中絶の権利を認めない、中絶をした者や幇助した者(医師など)を法で裁くことが可能になることが決まってしまったということです。この日を境に、約50年の時を経てアメリカ国内に人工妊娠中絶の権利が奪われた州が誕生しました(州法でこの決定が反映されない州もあり。)

これに対して、「そもそも、妊娠するようなことをしなければ良いじゃないか」「どんな命も大切じゃないの?」と今、思った人はどれだけいるでしょうか?

問題は、そこじゃないのです。

この判決の怖いところは、妊娠をする可能性のある人は、妊娠をした時点で『子供を産むことを強制される』以外の選択肢が持てない、たとえなんらかの理由で妊娠を中断したいとしても、その意思や必然性が考慮されることが無くなるというところにあります。そして、個人の意思決定に国が関与することを許してしまうことを意味します。

人工妊娠中絶が必要な人の中には、レイプされた末の望まない妊娠であったり、妊娠の継続が医療的に危険であると判断されていたり。。。子供を持つことが本人の人生を困難な方に大きく変えてしまう可能性があること(むしろ自分の命に関わるかもしれない)、そういう状況に置かれてしまうかもしれない立場にある人たちのことが全く考慮されていないことが問題なのです。

これを肯定することは、子供を産むことが、母親自身の人生よりも優先される事項であると主張しているようなもの。そしてそれは、自民党の議員がLGBTQ+(性的マイノリティの者)を指して、「生産性」が無い、と言ったことと、通じていると思いませんか?

現在、アメリカでは、この中絶禁止の法律が決まってしまったことを受けて、次は「同性婚」の合憲性が覆ってしまうのではないか、との懸念が生まれています。

「生殖」を前提とした価値観は、身体的に子供が持てない事情を持つ人を排除する、優生思想にもつながります。この考え方が是とされる価値観に繋がることで、ハンドメイズテイルで描かれる、子を持つためにはいかなる暴力が肯定された社会というのが、実現してしまう可能性があるのです(ハンドメイズテイルのディストピア社会で描かれる暴力の部分については、ゆうきさんの記事をご覧ください。)

ハンドメイズテイルの世界で描かれる性的マイノリティ

ハンドメイズテイルは、フェミニズム作品と言われています。それは、家父長制的世界観の見事な腐敗具合の描かれ方と共に、主人公ジューンを筆頭に、理不尽にも「子を産む機械」とされた女性たちがシステムに抗いながら強く逞しく戦うエンパワリングなメッセージが散りばめられた作品でもあるからです。
*「子を産む機械」は、過去に厚生労働大臣をしていた柳沢伯夫による政治家として信じられないレベルの低教養な発言を起用。詳しくはこちらを参照。

しかし、これが女性vs男性の作品ではなくフェミニズム作品である理由とはなぜなのか?それは、原作者のマーガレット・アトウッドが、この世界観の中で、性的マイノリティ者をどのように位置付けているのか、その描写から理解することができます。

ハンドメイズテイルのディストピアの元凶、ギリアド共和国が建国されて最初に行ったこと、それは性的マイノリティの人々の処刑でした。

主人公ジューンの同志となっていく、オフグレン(エミリー)は、大学の教授でありレズビアンの女性です。彼女の同僚のゲイの男性は、政局の雲行きが怪しくなってきた際、彼女に性的マイノリティであることを公言しないことを助言しています。彼は後日、ギリアドの兵士たちに性的マイノリティであることを理由に見せしめのように処刑されてしまいます。

その後、エミリーは子供が産めることを理由にハンドメイズになっていくのですが、後にも先にも、性的マイノリティの者が登場する場面は、処刑されているところのみ。この作品には、性的マイノリティの者が生存権を得ている場面は、ハンドメイズになる以外にありません。

アトウッド氏は、この世界を特権層(権力を持つ男性)と、彼らに搾取される人たち、を明確に描写することで、この社会構造の問題を炙り出しています。それが、フェミニズムが一番問題視している部分であり、だからこそ、この話はフェミニズムの作品なのです。

エミリーから見えてくる、ギリアドの目指す『家族』思想の矛盾

ハンドメイズにされたエミリーは、ギリアド共和国以前は大学教授であり、妻子のある存在。彼女には、妻との間に男の子が一人います。しかし、ギリアド共和国建国を機に家族と引き離されてしまいました。

性的マイノリティだから社会の求める「生産性」に反するという理由で処刑が罷り通る一方で、それを推し進める社会がそもそも元々あった「家族」を壊している。

これって、日本の同性婚への反対理由に、「家族」の形が壊れると主張している保守的な政治家の意見とも被る点がありはしないか?

だって、互いを助け合いながら共同生活を送る意思のある二人の大人がいて、子供を育てる環境を作って生活しているのに、それの何が問題なのか。

この矛盾が、ギリアド共和国に翻弄されるエミリーから痛いほど伝わってきます。子育てを可能にする環境づくりを支援するどころか、子育て環境を育むことを断固として阻止しようとしているのが同性婚に反対の人たちのしようとしてることであること。その辻褄の合わない矛盾が、なぜこんなにも彼らには見えないのか。この点を理解してもらうためだけにでも、ハンドメイズテイルをぜひ見てほしい、そんな気分です。

「家族」を「生産性」にこだわることから生まれる暴力の肯定のカラクリ

そもそも、「家族」って何?子がいないと、家族ではないのか?

「家族」を生産性にこだわることから生まれる暴力性は、主人公のジューンからも伝わってきます。

ジューンには娘がいますが、権力者の「家族の姿」の実現のために、自身から引き離されました。ジューンがハンドメイズにされた一方で、娘は政府要人の養子として育てられています。養親が子供をとても大事に育てている、このテンプレートが、中絶反対派の意見を反映する理想の姿でしょう。しかし、この裏には特権者が非特権者を搾取する構造が隠されています。

子供が産めるジューンは、別の権力者の家族の中で、子供を産むためにだけ存在しています。それは、権力者が「生産性」を持たないまま家族になろうとしているからであり、彼女の存在は、まるで、そんな不具合の穴埋めのよう。

本来、家族の中に「生産性」を本当に求めるのであれば、子供のいる家庭への支援を増やしたり、子供を持てる人が子育てをしやすい環境づくりを社会全体で取り組んでいくはず。しかし、そうではなく、こうして「生産性」の歯車になれる人を機械のように扱っても良い、権力者にとって都合の良いシステムが作り出されているのがギリアド共和国の求める家父長制社会なのです。そして、この微妙に歪曲された都合の良い話が、現在、保守的な家父長制を目指す社会が推し進めるマイノリティへの排他的な価値観と繋がっているのです。

この家父長制のレンズを通じて見てみると、本人の意思を無視して「生産性」を理由に性的マイノリティ者や子供を持たない夫婦を否定する発言が、どれだけの暴力性を秘めているのか、この発言の延長線上にあるかもしれないものを考えると、その恐ろしさが、このハンドメイズテイルから見てとることが出来るでしょう。

大義名分のもと人々を支配する社会システムが現代社会でも起き始めている

「伝統的な家族観」や「生産性」といった言葉を使って、人々を権力者の思惑する方向に誘導しようとしている、そんな思想、そこに扇動されようとしている社会が今、アメリカ、そして日本に存在しています。

「伝統的、本来あるべき家族観」や「生産性」を煽ることで誰が一番得しているのか。それは、子供が産める体の人の人生の選択肢を狭め、人々への搾取やコントロールを肯定し、社会の格差を作ることで、自分達にとって都合の良いユートピアを作ろうとしている、力を独り占めにしたい権力者達です。

今回は、最近の社会情勢とハンドメイズテイルの共通点に焦点を当ててみました。本当に、これからの社会がどうなっていくのか…、フィクションと思っていたハンドメイズテイルの世界観の強烈な現実味の強さに、わたしは戦々恐々とすると共に、このディストピアと同じ方向に流れようとする社会に対して大きな怒りを感じています。

バトンタッチ

この記事では、内容に合わせてエミリーというキャラクターを紹介してみました。しかし、この作品には、エミリーやジューン以外にも、さまざまなストーリー性の豊かなキャラクターたちが存在しています。

ゆうきさんは、どのキャラ推しなのかしら…。今度はキャラクターに焦点を当てた記事も面白いかな〜と思って、ゆうきさんの好きなハンドメイズテイルのキャラクターとそこから見えるジェンダーとメンタルヘルスの視点を聞いてみたい!とバトンタッチします!

筆者:吉澤やすの

参照:
・ドラマ・ハンドメイズテイル/侍女の物語 シーズン1 (2017) Hulu
Why TERFs Misunderstand "The Handmaid's Tale" by Jessie Gender Youtube

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