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ジェンダーとメンタルヘルスのこと〜ハンドメイズテイルの考察〜【#4】

前回のジェンダーとメンタルヘルスでは、やすのさんが「客体化」について、様々な角度から詳しく書いてくださいました。そして「客体化」と聞いて思い出すのは、2017年にアメリカで始まったデズトピア・ドラマ「ハンドメイズテイル」です。このドラマは、1985年のマーガレット・アウトウッドのフェミニズム文学の一つとも言われる小説「侍女の物語」を原作とするもので、現在はシーズン4まで見ることができます♪

このドラマを最初に見た時は、すごい世界だな・・・と思いました。しかし見続けるうちに、架空の話のはずなのに、現在(いま)もどこかで起きていて、今までも、どこかで聞いたり見たり、体験したりと、すでに知っている事実を思い起こさせ、どんどん引き込まれていきました。やすのさんも書いてくださっていましたが、このリレーブログを始めるきっかけとなったドラマが、この「ハンドメイズテイル」なのです!

このドラマは、実に様々な視点から考察できるドラマです。ジェンダーとメンタルヘルスシリーズとしては、外せない物語です。今回は、このドラマの中で扱われている「客体化」に焦点を当て、階層的構造の中で生まれる役割と客体化、そして暴力の関係を考察してみたいと思います。

「ハンドメイズテイル/侍女の物語」の世界

「ハンドメイズテイル/侍女の物語」は、家父長主義的であるキリスト教原理主義者たちによって樹立された全体主義国家・ギレアド共和国(架空の国)を舞台に物語が展開してゆきます。もうすでにここで「家父長制」「キリスト教原理主義」「全体主義国家」といったキーワードが散りばめられていますが、ちなみにこの3つのワードのうち特に最初の二つは、現実的にアメリカの一部の顔でもあると言えるでしょう。

その現れとして、つい先日、人工妊娠中絶の権利を認めた「ロー対ウェイド事件」の判例を覆すというニュースが舞い込んできました。人工妊娠中絶に関しては長い間、中絶支持派(プロ・チョイス)と中絶反対派(プロ・ライフ)に分断され、様々な運動を巻き起こしてきました。この中絶反対派(プロ・ライフ)の運動を牽引していたのが、家父長主義的なキリスト教の宗派、特にプロテスタントの福音派である一部の団体です。キリスト教原理主義的な信仰は、家父長制のもとに行われた植民地主義的な構造との強い結びつきがあります。(参考:Netflixオリジナル・ドキュメンタリー「彼女の権利 彼らの決断」)※キリスト教徒の方達が全てそうではないのでご注意を。

ドラマに存在する架空の国・ギレアド共和国は、その国家ができた背景に、近未来のアメリカで起きる、性感染症や環境汚染による異常なまでの出生率の低下があります。それにより社会の存続の危機にさらされたアメリカ国内では内戦が起こり、キリスト教原理主義によってギレアド共和国が建国さてました。ギレアドを作った中心的な人物たちは、旧約聖書を独自の解釈で多数引用し、その信仰のもとにルールや規制を作り上げて行ったのです。そのような社会構造の中で、人々はどのような暮らしをしているのでしょうか?

「ハンドメイズテイル/侍女の物語」で描かれる客体化

ギレアドは、階層的構造で社会が構成されています。それは特権を多く有する者が、特権の少ない者たちを支配する構造。そしてそれぞれの階層には役割が割り当てられているのですが、その役割によって、人々は「客体化」されます。結果的に、人々の人間性は無視され、時として「モノ」として扱われることで、非人道的な扱いが当たり前となる、平等・公平で人権が守られた国家ではありません。

これは今でも様々な国の社会で起こっていて、もちろん、このドラマは架空のお話で、現代じゃ考えられない仕組み!と思う方もいるかもしれませんが、今までの歴史の中でも存在しましたし、そして今現在も進行形で、起こっていることです。特に現在は、世の中が極端な世界へと激しく揺れ動く時代だからこそ、ハンドメイズテイルを感じさせる出来事が身近でも見える形で起こるようになっています。

ギレアド共和国におけるヒエラルキーと役割

このギレアド共和国の階層的構造(ヒエラルキー)に存在する、人々の役割としてのポジションを簡単に紹介いたします。

男性の階層:
ギレアド共和国におけるヒエラルキーのトップは、国家司令官。この社会において一番特権を有している人たちで、力がある人の集団です。もちろん、男性のみが就けるポジションです。トップの中のトップ。

司令官の下にいるのが、彼らや国家を支える男性たちがいます。その人たちは、アイズ(目)と呼ばれている、監視役の(スパイのような)男性や、またエンジェル (守護者)と呼ばれる兵士の男性たちがいます。

女性の階層:
女性のトップは司令官の妻です。女性のトップとはいえ、司令官に従属する妻たちには社会への権限はありません。ギレアド共和国の女性は、読み書き禁止、仕事をすることも禁止され、財産を所有することも、金銭の受け取りもできません。これは司令官の妻も含めた全女性に禁止されていることです。明らかに男性よりも特権を欠いているのが、この階層社会の女性の立場です。そんな司令官の妻たちは、青い服が割り当てられ、毎日の暮らしでは、自宅の庭の植物の手入れをしたり、兵士のためにマフラーを編んだりしています。彼女たちの最大の関心ごとといえば、自分の家に派遣されたハンドメイドが妊娠することです。

そのほかに、司令官の家の家事を取り仕切るマーサ(女中)という女性たちがいて、薄い緑の衣装を着ています。そのほかハンドメイドを教育する叔母たちは、軍隊の色のようなオリーブグリーンの服を着ていて、最後に、エコーワイフと呼ばれる低級市民の妻たちも存在しています。以上がギレアドにおいての市民とされる女性たちです。

次にギレアドの非市民の女性たちについてですが。この物語の中心的な人たちが、子供を産む役割としてのハンドメイド(侍女)。彼女たちは、生殖機能を兼ね備えているため、子供を産むという役割をになっています。言い換えれば、彼女たちは子どもを産む奴隷なのです。彼女たちのカラーは赤。洋服も赤色で、出かける時には顔を隠すような翼と言われる被り物を着用します。

また、様々な問題を起こした女性たちは、放射能にまみれた危険なコロニーへ送られ奴隷として強制労働をさせられるか、イゼベルという娼婦の館に送られて、性奴隷にさせられるという世界もあります。

このように、それぞれの役割と、割り当てられた衣装一つとっても、モノ化された記号でしかないということが見えます。そして上記にもあげた、女性全員にある禁止事項を見ると、ギレアドでは男性が女性を支配していることがよくわかり、また市民とされていない女性たちは、そこに人間性などはなく、モノのように扱われる奴隷です。

ハンドメイドたち

ギレアドでのハンドメイド(侍女)たちの役割は、子どもを産むことです。
冒頭で、このドラマの背景には、異常なまでの出生率の低下があると書きました。環境汚染などで、生殖に問題が出てしまった社会なのです。そんな社会の中で、生殖機能が正常である女性たちは、社会の存続のためには必要な存在でした。

ハンドメイドたちは、かつて子どもを産んだことのある人たちで、半ば強制的に拉致され、レッドセンターというところで、ハンドメイドになるために教育されるのです。

ハンドメイドたちには名前がない

ハンドメイドたちは、ギレアドでは自分の名前は使われません。派遣された家庭の家長である、司令官の苗字をとって名前がつけられます。
主人公の名前はオブフレッド(Of Fred)、すなわち「フレッドに属するもの」という意味で、この名前がハンドメイドの存在の意味の全てを語っているのではないでしょうか。オブフレッドは、司令官であるフレッドの所有物であるという意味で、彼女はモノ(客体でしかない)ということです。派遣先が変われば、また名前が変わります。

自分の名前を誰からも呼ばれない社会の中で、子どもを妊娠、出産する役目を全うするという人生は、どんな人生なのでしょうか?このような女性たちは、決して架空のキャラクターだとは言い切れません。

国家が家族に介入し支配するときというのは、同じようなことが必ず起こります。もっと身近な例で言うと、母親になると「〇〇ちゃんのお母さん」や、ママ、パパと呼ばれたりと、いつの間に、自分の名前を誰も呼んでくれないという生活の中で、自分とは一体何か?と感じることもあります。

家父長主義的な構造が残る社会では、個人よりも役割の方が重んじられる、もしくは無意識的に誰もが個人よりも役割になってしまっていることも多く、その役割と本当の自分の気持ちの間のギャップが大きくなれば、心の葛藤も増え、メンタルヘルスへはマイナス影響となります。

客体化されたその先に

ハンドメイドになるために、侍女たちはレッドセンターというところで最初は教育を受けます。その教育とは、司令官の家庭に派遣させるまでに、しっかりと自分の役割を理解し、その使命を全うすることを教え込まれます。信仰、思考、全てを矯正するため、センターに所属する叔母(教育係)から、ハンドメイドとしての教育を徹底的に教え込まれます。

ルールを破るもの、叔母のいうことを聞かないものは、すぐさま叔母の持つ電気の棒でビリビリっと、痛みでもって教えます。ムチです。またそれだけではなく、ハンドメイドたちの反抗によっては、大きな罰が与えられ、片目をえぐられたり、女性器切除(Female Genital Mutilation, FGM)をされたりします。

ドラマの中で印象的な言葉があります。それは「歩く子宮」という言葉。女性たちは、人間としてではなく、健康な子宮をもつ身体、子供を産むことができる子宮、としかみなされていません。これがまさに客体化でです。その結果、ハンドメイドに子宮さえあれば、目がなくても、腕がなくても良い、ということなのです。また女性が快楽を感じることも禁じられているので、子どもさえ産むことのできる子宮の機能さえ健康であれば、女性器も必要はありません。ですので先程説明した大きな罰も簡単に遂行されるのです。それをみている他のハンドメイドたちへの見せつけと恐怖による支配を強化しています。

彼女たちの人生、感情、感覚というものは、あたかもないかのような扱い、すなわち人間性を無視した扱いをハンドメイドたちは受けているのです。それが客体化の一番怖いところです。国家にとっての歯車の一部で、プロジェクトに必要な役割でしかない道具「モノ」ならば、非人道性すらも容認してしまう社会になるのです。

ミソジニーと暴力

ギレアド共和国は、家父長制からなるキリスト教原理主義の教えを(彼ら独自の解釈で)作り上げた社会です。そのような社会はミソジニー国家、男性優位な女性蔑視社会です。(詳しくはこちらもどうぞ)。

ミソジニー: misogyny) は、女性に対する嫌悪や蔑視の事である。女性嫌悪(じょせいけんお)[1]女性蔑視(じょせいべっし)などともいう。ギリシア語の「μῖσος mîsos(嫌悪、憎しみ)」と「γυνή gunḗ(女性)」に由来する。女性を嫌悪する人物をミソジニスト(英: misogynist)と呼ぶ。

ウィキペディア

女性蔑視といっても、必ずしも、”女嫌い”という現れだけではなく、むしろ女好きのように見える男性も、そこにはミソジニーが潜んでいます。女性をモノとして見ているから『女好き』な行動になっていることもありますね。(女性を性的な対象としか見ない性的客体化がその表れの一つでもあります)

女性にとってのミソジニーは、女性蔑視を内面化して、女性である自分が嫌い、という自己嫌悪になります。

女性の自己嫌悪や罪悪感を植え付けるような社会がギリアドにはあります。それは女性への暴力で、男性の支配をより強めている社会と言えるでしょう。

この物語の中には、本当に様々な例があるのですが、その一つの例として今回あげたいのは、生殖問題の原因が、女性にあるという決めつけです。『子どもを産めない女性の身体』という考えが根底にあるために、生殖機能が正常の女性たち(すなわち子供を産んだ経験のある女性たち)が、男性ではなくて、奴隷のターゲットとされるのです。

実際ドラマの中で、男性の精子にも問題があることが示されています。しかし、ギレアドでそれを公にするのはタブーであり、語ってはいけません。しかし多くの人たちはわかっていることなので、司令官の妻たちは、時にハンドメイドが他の男性とsexをする手引きをして、妊娠することを目指すこともあります。司令官の妻の目指すことは妊娠。どんなやり方をしてもハンドメイドを妊娠させる、という視点には、ハンドメイドの人間性を尊重した姿勢はなく、結果的に、ハンドメイドを他の男性に差し出す、レイプの共犯にもなり得るのです。

また男性の精子にも問題のあると知っている医師は、ハンドメイドが検診の時に、内緒で自分の精子を提供しようかと語り掛けます。これは医師がハンドメイドをレイプするという意味にもなります。ハンドメイドたちは、いろんな立場の人たちから都合よく扱われ、性的虐待を受ける性奴隷だということが、ドラマではあちこちに出てきます。

そもそもハンドメイドの任務というのが、非人道的です。その任務は、司令官の家庭に派遣された時に行う儀式によって子どもを妊娠、出産することです。月1度の排卵日に子どもを作る営み、それを「儀式(セレモニー)」と呼びます。「儀式」といえば、聞こえはいいですが、それは司令官である男性が、ハンドメイドである女性を犯すことと何ら変わらないからです。それも、司令官の妻のいる前で。ギレアドにおいての子どもを作るという行為をめぐって、様々な暴力をハンドメイドたちは受けています。極め付けは、この役割、任務そのもので、「儀式」という名でコーティングされた、レイプなのです。

客体と人間性の狭間で

こうして役割を全うすることが期待される社会、もしくはそうあるべき社会では、個人の意思というのものは尊重されません。特に特権を持たない人々(特に女性)の意思が尊重されるどころか、読み・書きも禁止なので、社会での発言権もありません。

ハンドメイドたちは子どもを産む奴隷です。この物語の主人公であるジューン・オズボーンは、役割に徹することは、罰を受けないため、生き残るチャンスが増えるが、自分という人間はどうなるのだろうか?といった、役割(客体)と人間としての自分の間で揺れ動き、葛藤する様子がシーズン1ではよく現れています。

私たちは、生まれながらに持つこの人間性を、完全に失うことができるのでしょうか?

生き延びるために思考停止になって、この社会に合わせ、役割をただただ生きるのか・・それとも、自分の意思を優先し、そんな自分の意思で行動するのか?このような問いは、私たち現代社会でも常に問われることなのかもしれません。

バトンタッチ

ジェンダーとメンタルヘルスで一番やすのさんと話したかった物語、「ハンドメイズテイル/侍女の物語」にようやく辿り着くことができました!今回は、ドラマの家父長制による階層的階級の役割と客体化がうむ暴力性について、ハンドメイド(侍女)の役割から探ってみました。

今現在、アメリカで起こっていることを見ると、このドラマをどうしても思い出してしまいます。けれど、それは遠い国の話ではなく、日本においての人口中絶や避妊に関する扱い、また先日は、自民党・国会議員の懇談会で、差別的な内容の文書が配布されたことを見ても、宗教と家父長制、そして政治の繋がりというものは、アメリカだけではなく存在するということが見えてきます。

今、時代の分岐点にいるような出来事が起こる中で、ここから学べることは何だろう?そんなことをもっと考えたいと思いました。そんなわけで、ハンドメイズテイルに関しては、本当に書きたいことが沢山あるのですが、ここで一旦、やすのさんにバトンをタッチ!です。やすのさんから見えていること、ハンドメイズテイルのことを、もっと聞いてみたいと思います♪

筆者:加藤夕貴

参照:
・ドラマ・ハンドメイズテイル/侍女の物語 シーズン1 (2017) Hulu
・上野千鶴子 女ぎらい〜ニッポンのミソジニー〜(2010)  紀伊国屋書店
・【解説】「ハンドメイズ・テイル/侍女の物語」完全没入ガイド ─ ダークな世界を「生き抜く」希望、傑作ドラマを噛みしめる The River編集部
The Parallels between the Handmaid's tale and the United States Today (2019) Hoochie An Intersectional Feminist Media Project

バラの画像:Image by Image by Melk Hagelslag from Pixabay


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