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「売れなかった」画家たちの、超個性派な作品と人生


一生懸命頑張っても、報われるとは限りません。
美術史に名を残した画家の中にも、生前に売れずに苦しんだ人がたくさんいます。

しかし彼らは、苦境の中でも自分の芸術を貫き、誰にも真似できない作品を残しました。

今回は、そんな画家たちの超個性的な人生と作品を追っていきます。

絵描き以外の道がなかった画家

「売れなかった画家」として、真っ先に名を挙げられるのが、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890)でしょう。
もはや知らない人はいない人気画家です。

『ひまわり』
バブル期に日本で購入された作品です。その金額はなんと約53億円!
新宿のSOMPO美術館で観ることができます。


ゴッホの作品は色が素晴らしく、『ひまわり』では一面の黄色が目に飛び込んできます。
画家のゴーガンは「ゴッホの場合、絵が何を表現しているのかがわかる前に、色彩の調和という魔術に捉えられてしまう。」と語っています。
筆致も特徴的です。絵具をチューブから直接載せたかのようにデコボコしています。

陰影のない平面的な表現ですが、大胆な色彩と筆致により、対象に存在感を与えているのがゴッホのすごいところです。

『種まく人』
太陽のまばゆいオレンジと、地面の青が厚く塗られています。
色彩の対比により、画面の鮮やかさが引き立ちます。


ゴッホは作品も有名ですが、売れなかった画家としても有名です。
生前に売れた絵はたった一枚だったといわれています。

絵で食べられなければ別の仕事をすればよいのですが、彼の場合はそうはいきませんでした。
画家になる前に様々な仕事を経験していますが、何一つ上手くいかなかったのです。

① 叔父の会社にコネ入社したものの、勤務態度が悪くクビになる。
② 学校教師になるが数ヶ月でやめる。
③ 書店員になるが数ヶ月でやめる。
④ 神学学校に入学するための受験勉強を始めるが、勉強が苦手すぎて試験を受ける前に挫折。
⑤ 伝道師として貧しい炭鉱地帯で活動するも、伝道師の資格を半年で剝奪される。(坑夫たちに自分の持ち物をすべて分け与えたり、坑夫の苦しみに寄り添おうとボロボロの身なりで飲まず食わずの生活をするといった極端な行動を繰り返したため。)

職を転々とした挙句、ゴッホは27歳でニートになってしまいます。
残された道は、得意の絵で生計を立てることだけでした。
もはや他に選択肢はなかったのです。

画家になったはいいものの、絵はほとんど売れません。
生活は家族(特に弟)に依存していました。
(弟は自分の約半月分もの給料を仕送りしたこともあったそうです。)

おまけに、ゴッホはもともと精神的に不安定でした(双極性障害だったともいわれています)。
振られた女性にしつこく付きまとって実家に押しかける、人から少し意見を言われただけで激高するなど、周囲とのトラブルが絶えませんでした。

友人と同居中には、自分の耳を自分で切り落とすという事件を起こします。
しかも、切り落とした耳を知り合いの娼婦に手渡していたのです。どう考えても常軌を逸しています。
もともと変人扱いされていたゴッホ。この事件を機に近隣住民から「あいつを精神病院に入れろ」と嘆願され、しばらく精神病院に閉じ込められました。

退院後も発作を繰り返し、最期は拳銃で自殺しました。

作品も人柄も稚拙だった画家

次に紹介するのは、「ヘタウマ」の元祖として人気の画家です。

『夢』
この絵には詩人アポリネールによる副題が付けられています。
「美しい夢の中でヤドヴィガは、優しく眠りにつき、善意の蛇使いが奏でる笛の音を聞く
月が花、青々とした木々に映ると、野生の蛇が楽器の楽しい音に耳を貸す」


作者はフランスの画家、アンリ・ルソー(1844~1910)。
画家といっても、彼はもともと税官吏として働いていました。
絵を始めたのは41歳のとき。正規の絵画教育はほとんど受けたことがありません。

そのためか描写にはぎこちなさが残ります。
人物のポーズは少し不自然ですし、動物もパペットのようです。
しかし、対象のぽってりとした形や、塗り絵のような色遣いはルソーならではの個性です。
単に上手い絵とは違う、独特の魅力があります。
(ルソーの魅力については過去の記事で語っています。)


生前、ルソーの絵はどちらかというとゲテモノ扱いされていました。
作品を観た聴衆が、あまりの下手さに笑い転げたというエピソードもあります。
当時は写実的で高尚な主題の絵が高く評価されており、「ヘタウマ」では通用しなかったのです。

当然絵は売れずに生活は困窮し、完成した作品を中古のキャンバスとして売り払うこともありました。

自分の作品を買い上げてほしいと何度も国家や市長に要請したものの、全く相手にされませんでした。
現在のルソーの人気ぶりを彼らが知ったら、地団太を踏んで悔しがるでしょう。

『眠るジプシー女』
ルソーが故郷ラヴァルの市長に売り込んだ作品。
当時ルソーが提示した金額はたったの200万円程度です(お買い得大セールですね)。


ルソー自身は、作品のとおり素朴な人物だったようです。
彼にインタビューをした美術批評家は「私はそこでまったく素朴で丁寧な当の人物と面会した。彼は生きること、制作することを喜びとしているようだった」と語っています。

『私自身、肖像=風景』


たしかに彼はある意味「まったく素朴」な人物でした。
上の作品を発表したとき、批評家から「ルソーは肖像風景画の発明者だ。特許をとっておいたほうがよい」と皮肉を浴びせられます。
それを受けたルソーは、「そのとおり、私は肖像風景画を発明したのです」と無邪気に喜んでいました。
彼は自分が「ヘタウマ」ではなく、心の底から「上手い」と信じていたのです。

純粋なルソーですが、単に良い人だったわけではありません。
虚栄心が強く、「フランスの官展で何度も入選した」「メキシコに従軍してジャングルに行った」といつた嘘をたびたび吹聴していました。
本人はバレていないつもりだったようですが、周囲はその嘘を見抜いていました。
良くも悪くも子どものような性格だったのでしょう。
そのうえ、切手の窃盗や銀行資金の着服の容疑で2度も逮捕されています。

晩年には10歳以上年下の未亡人に惚れ込み、貢ぎに貢いで資産を使い果たした挙句、あっけなく振られてしまいます。
最期は極貧のうちに亡くなったといわれています。

美と退廃を体現した画家

2018年、ある画家の裸婦像が約172億円で落札されました。
競売で落札されたアート作品としては4番目に高い価格です。

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/15294


作者はアメディオ・モディリアーニ(1884〜1920)。
引き伸ばされた首と瞳のない目の女性像が特徴的で、今でも多くの人を魅了しています。

『大きな帽子を被ったジャンヌ・ユピテル』


モディリアーニの描く女性は、洗練されているのにプリミティブでもあり、強い印象を残します。

しかし生前の彼は決して売れっ子ではなく、35歳という若さで貧困のうちに亡くなりました。

彼が夭折した大きな要因は、その退廃的な生活にありました。

イタリアのユダヤ人の家に生まれたモディリアーニ。
もともと病弱で、甘やかされて育ったといいます。

おぼっちゃまだった彼は、絵の勉強のため大金を持ってパリに出てきます。
しかしその資金は酒や大麻、娼婦に費やされ、すぐに底を尽きました。
なかなか売れずに焦りを感じたモディリアーニは、ますます酒に溺れるようになります。酒場で勝手に客の似顔絵を売りつけては、そのお金をまた酒代に充てていました。

そんな体たらくでも、モディリアーニは魅力的な人物だったようです。
美男子かつ上品な物腰のモディリアーニ。お相手には事欠きませんでした。

モディリアーニ


最初の同棲相手は、年上の文化人ベアトリス。
2人揃って酒と大麻を愛好したため、生活は大いに荒れていたようです。
おまけにベアトリスは気が強く、殴り合いの喧嘩をすることもありました。2人の関係は2年で破綻します。

その後出会ったジャンヌ・ユピテルは、モディリアーニより14歳も年下でした。
ジャンヌの家族の反対を振り切り、2人は同棲を始めます。
同棲した翌年には長女が生まれましたが、子育ては基本人任せ。モディリアーニは相変わらず酒浸りで、酔って家に帰らないこともありました。

そんな中、彼は自分の芸術を進化させていきます。
支援者を見つけ、ついに個展を開くことになりました。
無名の画家の個展です。少しでも人目を引くため、ショーウィンドウにはいくつかの裸婦像を飾りました。

『赤い裸婦』
脚や腕が画面からはみ出てるほどモデルにクローズアップしており、
胸や陰部が鑑賞者に近づいてくるように見えます。


しかし、この裸婦像が問題でした。開催初日から警察に目をつけられ、作品が猥褻だと咎められたのです。
「猥褻」の理由は、裸婦像に陰毛が描かれていたことでした。
当時も陰毛のある作品がないわけではなかったのですが、公衆の面前で堂々と展示することは許されていませんでした。

この騒動で個展は打ち切りとなってしまいます。
作品は数点しか売れず、世間の話題にも上りませんでした。
生涯唯一の個展は失敗に終わったのです。

その後、モディリアーニの体調は急激に悪化していきます。不摂生がたたったのでしょう。
最期は吐血を繰り返し、結核性脳膜炎で亡くなりました。
当時、ジャンヌは次女を身ごもっていましたが、モディリアーニの死の2日後、アパートから飛び降りて亡くなりました。

自分を貫いた画家たち

世間に評価されるためには、現実に適合する能力が必要です。
それは周囲に自分を売り込み、市場が求めるものを見極める力でもあります。

今回紹介した画家たちには、そうした能力がほとんどありませんでした。
それどころか自分の生活を整えることすら、ままならなかったのです。
彼らはみな破滅型の人生を送っています。
しかし、世間が求める正しさよりも、自分なりの生き方を貫いたからこそ、唯一無二の作品を残せたのでしょう。

現実に合わせて方向転換すべきか、自分が決めた道を進むべきか。
迷ったときに、彼らの生き方と芸術がヒントになるかもしれません。


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