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HIPHOPの魅力 ①始まりと精神性


HIPHOPと聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか?

おそらくHIPHOPを聞かない人は、

「不良がやる音楽」
「ラップしている曲」
「柄が悪い」

というようなイメージや最近若者を中心にフリースタイルが流行っているので

「即興で韻を踏みながら相手を罵る」

なんてイメージの方もいるかと思います。


日本では

HIPHOP=ラップをする音楽ジャンル

を指す言葉という認識の人も多いと思いますが、

実はHIPHOPというのは

”ニューヨークに住んでいたアフリカ系アメリカ人から生まれた文化”

の総称です。


僕は日本語ラップ/和製HIPHOPを中心にですが、かれこれ10年ほどHIPHOPを愛聴してきました。

そしてHIPHOPは良い意味で大きく僕の人生を変えてくれました

B-BOYにはなりませんでしたが笑

HIPHIPは上記でイメージを聞いた通り、そのルックスから非常に勘違いされやすい文化です。

また

「韻を踏んでるだけ」
「何を言ってるのかわからない」

なんて世間では言われがちですし、HIPHOPの歴史や名曲を知った上でないとリリックやサンプリングの意味を理解できないという奥深く難解な一面もあります。

この勘違いされやすいHIPHOPという文化をまずは歴史的な背景から3つの切り口で書いていこうと思います。

①HIPHOP 始まりと精神性
②貧しさから生まれた創造性
③アンダーグラウンドヒップホップとは

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①HIPHOPとは / はじまりと精神性


HIPHOPは文化と言いましたが、大きく分けると下記4要素に分けられます。

DJ
BREAK DANCE
RAP
GRAFFITI

そして前述した通り発祥の地はニューヨークのサウスブロンクス

アフリカ系アメリカ人が多く住んでいる治安が悪く、貧困層が多く住む地域です。


お金のかかるディスコにいけなかったサウスブロンクス周辺の住民たちは公園や街頭(パブリック/ストリート)のスペースに集まり、音楽を流しそれに合わせて踊る形で自然発生的に野外イベントが始まりました。

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これが俗に言う「ブロック・パーティ」です。「ブロック」とは住んでいた居住区の区画を指します。

1973年、ジャマイカ系移民のDJクール・ハークが路上で2台のターンテーブルを回し爆音でレコードをかけたのが「ヒップホップの誕生」と言われています。


「ヒップホップの父」と呼ばれるこのDJは、同じ2枚のレコードの歌のない間奏部分(=ブレイクビート)を分離して、その部分だけ再生することでビートの部分を長くすることに成功しました。


このブレイクビートと、ハードファンク、ロック、ラテン打楽器演奏を組み合わせる事によってヒップホップ音楽の基盤を造り上げ、このブレイクビートに合わせて踊るダンス(=ブレイクダンス)が誕生しました。

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今流行りのフリースタイルのように、当時のダンサーも順番に競ってダンスを披露するダンスバトルによりブレイクダンスはどんどん発展していきました。


またダンスだけでなくこのブレイクビートにマイクパフォーマンスを載せることによりラップが誕生します。

なので、まずはじめにDJ(=ブレイクビーツ)が生まれ、その上にダンスとラップが載ってきた形です。


最後に4つ目のグラフィティーですが、再度この地域の歴史的背景を先に説明させていただきます。


1970年代、ニューヨークのスラム街はその貧困ゆえにドラッグの蔓延や暴力事件が後を立ちませんでした。

その大きな原因の一つはストリートギャング間の抗争です。


1973年に結成された”The Zulu Nation”はこの抗争やアフリカンアメリカンやヒスパニックなどの人種差別や貧困に苦しむ者同士の悲しい争いを無血で解決するため、

「争うのなら、その文化で争えば血は流れない」


という思想を音楽(ブレイクビーツ&ラップ)で表現しました。

このメッセージに多くの人々が心を打たれ、ギャングたちはクルーと名前を変え、抗争ではなくダンスやラップの表現で争うダンスバトル、フリースタイルラップバトル、そしてラップソングとして広まっていきました。


そしてそのクルー名を広める手段や縄張りの主張、時には情報伝達や交換のためグラフィティアートが発展し、路上の壁や地下鉄の車体などにタグ(クルー名やそのクルーの出身地)をスプレーで描く文化となっていきました。

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ちなみにグラフィティ(=落書き)自体はHIPHOP以前より存在しましたが、HIPHOPの文化や広がりと混ざり合い発展したためHIPHOPの4大要素となりました。


ラッパーたちがよく自分の生まれ育った場所やクルーの名前を代表/表現(=レペゼン)しているのもこの文化から来ています。


貧困層から生まれたHIPHOPの文化は、


その貧困ゆえに生まれていた争いの解決策にまで発展していたんです。

ただ悪さや強さをアピールしていたわけじゃなかったんです。


この話だけでもHIPHOPの見方が少し変わってきませんか?


ちなみにこの”The Zulu Nation”は


”Peace(平和)
Love(愛)
Unity(結束)
Having Fun(楽しむこと)”

を信条としていて、

これがよくラッパーたちが言っている

”HIPHOP”の根本にある精神と言われています。


そしてThe Zulu Nationを作ったアフリカ・バンバータはDJ, RAP, Break Dance, Grafittyの4要素にKnowledge(知識)を足してHIPHOPと名付けました。


なぜ「知識」かというとHIPHOPを駆使し貧しさから這い上がるためには知識(知恵)が不可欠であり、それを磨くことで成功を収め仲間との信頼関係や家族を愛す/守ることができるためです。


知識を身につけるというのがHIPHOPを体現するための重要な要素として説かれているのです。


柄が悪いどころかすごく暖かくて、真っ直ぐで、平和的ですよね。(もちろん暗い部分も多くありますが…)

このHIPHOPの誕生をラップしてくれている鎮座ドープネスの曲があるので、リリックと合わせて紹介させていただきます。

圧巻ですので、ぜひご覧ください!


“1970年代初頭 アメリカはニューヨーク サウス・ブロンクス
そこは貧困やドラッグ ストリートギャング に溢れたゲットー地区
巷でディスコが流行 サタデーナイトフィーバー トラボルタ
金が無い連中はディスコに行けず みんな公園に集まった
誰かが家から持ってきた ターンテーブルこと レコードプレイヤー
ディスコ ミキサー スピーカー 電源は街灯の コンセントに差し込んだ
レコードとダンサーは くるくる回り 街を埋め尽くすグラフティ
ラップをしだしたMC これがいわゆるブロックパーティ
ここでキーマンとなる 3人のDJを紹介 まずクールハーク
ソウル・ファンク などのレコードを二枚使い ブレークビーツを取り出した
お次にグランドマスター フラッシュ スクラッチを極めた エンターテイナー
フィリアスファイブ 「ザ・メッセージ」は名曲 B・BOYには言わずもがな
最後にアフリカ・バンバータ ギャング集団 ブラック・スペイズのリーダー
だった彼は70年代半ば DJ・MC・ダンサーがいた
引き連れ結成 ズールネーション
知識・自由・平和・愛を提唱 正真正銘ゴッドファーザー HIPHOPの名付け親”

HIPHOP / 鎮座DOPENESS

いかがでしたでしょうか。

HIPHOPの始まりと精神性についた書かせていただきました。

これを理解してフリースタイルバトルや楽曲を聞くとまた違った深さで楽しむことができるかなと思います。

次回は「貧しさから生まれた創造性」という視点からHIPHOPについて書いていこうと思いますので、ご興味あったらぜひ読んでみてください^^

それでは、また^^

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