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アメリカ建国前からある黒人への人種差別の歴史②

I have a dream....

誰しもがこの冒頭の文章を聞いたことがあるんじゃないでしょうか?

この言葉はマーティン・ルーサー・キングJrという黒人牧師がアフリカ系アメリカ人の公民権運動のスピーチの際に言った言葉です。


この言葉の続きを知っていますか?


そんなお話をここでは書いていきます。

前回の記事ではアメリカの建国(=独立)から南北戦争の終わりまでとその時の黒人に対する扱いについて書きました。

この記事では、憲法上黒人が市民権を獲得した後の人種差別の戦いについて書いていきます。

奴隷制度廃止、ただし〇〇を除いては


南北戦争が終わった1865年、奴隷制度はアメリカ合衆国憲法修正第13条により正式に廃止されました。

しかしここには一つ例外が設けられました。

第1節 奴隷および本人の意に反する労役は、犯罪に対する刑罰として当事者が適法に宣告を受けた場合を除き、合衆国内あるいはその管轄に属するいずれの地にも存在してはならない。

そう、それは犯罪者です。


まあ、でも犯罪を犯した人はある意味自業自得だからしょうがないんじゃないかなあ。

と思う人もいるかもしれません。


しかし、前の記事でも書いた通り、憲法を作ったのも、取り締まる警察も、裁判官も白人です。


奴隷制の廃止により南部の人たちは400万人もの奴隷を失いました。

しかしまだ憲法上、犯罪者は奴隷として扱えます。

そう、彼らは奴隷がいなくなった代わりに軽犯罪や冤罪で多くの黒人を逮捕し、犯罪者の数を増やすことで失った労働力を補填したのです。

なんて話だ、、、と思いますよね?


話が少しそれますが、実は規模は違えど日本でも似たようなことが起こっています。

日本にはアジアから技能実習生制度という形で多くの労働者がきています。

彼らは最低賃金以下で働かせられたり、過酷の労働環境から過労死してしまったり、自殺してしまっているケースもあります。

実際僕はミャンマーで2年半ほど働き、多くの日系企業と関わってきました。

そして悲しいことに多くの日本人がミャンマー人を「安い労働力」としてしか見ておらず、替えのきく社員として扱っているのを目の当たりにしました。(もちろんそうじゃない人もたくさんいましたが!)

これは僕の感覚的なものですが、日本人の年齢が高い人であればあるほどそういった傾向が強く、おそらくそれは日本のバブル時代に「日本人はすごい!」と自負してていた文化からきているのかなと思います。

アジア人に限らず日本のブラック企業は若者から労働力搾取をしてますがね...^^;

またミャンマーからも多くの技能実習生が日本にきているのですが、日本企業は彼らのパスポートを預かり、途中でやめたり脱走したら給料をなしにしたり、酷い場合は現地の家族へ罰金を支払わせたりする契約を結んで労働させてるなんて話も聞きます...

日本人は優しいとか常識があると言いますが、無意識にどこかアジア人や中国人・韓国人を下に見てる気がしますがどうでしょうか?

この #BlackLiveMatter をきっかけに日本の差別についても調べたり、考えてみたりするきっかけになったら良いと思います。

話がそれましたので戻します。

白人至上主義の秘密結社

秘密結社というと都市伝説のフリーメーソンを思い浮かべる人も多いと思いますが、奴隷制度廃止後に歴史的事実としてKKK(クー・クラックス・クラン)という秘密結社が作られました。

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三角帽に白いシルエット。見た目だけでも十分怖いですよね。

彼らのやっていたことはもっと恐ろしいです。

奴隷制度を採用していたアメリカ南部の人たちは、国が「はい!今日から奴隷廃止です!」とルールを決めても当然納得しない人たちが多くいました。

白人至上主義思想のKKKは黒人に対しリンチやレイプ、焼き討ちや放火、殺人を行い、選挙で投票を行おうとする黒人を暴力で阻止したり、黒人を支持する白人でさえ標的としました。

1872年、KKKは連邦政府により解散を命じられ組織として形は消えました完全に黒人に対する差別が消えたわけではなく、警官により不当な暴力や逮捕は続きました。

にわかに信じがたい話ですが、ビリー・ホリデイという女性シンガーの「Strange Fruit (奇妙な果実)」という曲では 殺されて木に吊るされた黒人=奇妙な果実 と比喩しこの悲惨さが歌われています。

少しだけ歌詞も転載させていただきます。

Southern trees bear strange fruit,
(南部の木は、奇妙な実を付ける)
Blood on the leaves and blood at the root,
(葉は血を流れ、根には血が滴る)
Black bodies swinging in the southern breeze,
(黒い体は南部の風に揺れる)
Strange fruit hanging from the poplar trees.
(奇妙な果実がポプラの木々に垂れている)

人種隔離政策と Martin Luther King Jr.


また憲法上平等と言っても現実としてそうならない状況から1896年、ジム・クロウ制度が制定されました。

これは「白人と黒人で利用できる施設を分けます」という人種隔離政策で、学校、交通機関、公園から食堂、酒場、ホテル、病院などあらゆる場所で利用できる施設を制限・分断しました。


そんなんもろに差別じゃん!


と思うかもしれませんが、アメリカの最高裁判所の結論は「隔離はしても平等なら差別にはあたらない」という判断でした。

現実問題として施設を分けないと争いが生まれ続けてしまうので、裁判所も苦肉の判断だったのかもしれませんが。。。


この制度は約60年もの間続き、1954年に原則破棄され、1964年の公民権法によって法的に人種隔離政策は禁止となりました。


この公民権法の制定に大きく貢献したのが、この記事の冒頭に出てくるマーティン・ルーサーキングJrの公民権運動です。


この公民権運動も今回の白人警官の黒人に対する殺人のように一つの出来事から始まりました。

ジム・クロウ制度により南部では公共のバスに乗る際、黒人は後部座席、白人は前部座席に座るというルールがありました。

またもし前部座席がいっぱいになったら黒人が白人に対して後部座席を譲らなければならないというルールがありました。

1955年ローザ・パークスという黒人女性はバスの前部座席がいっぱいになった際、白人に席を譲ることを拒否し逮捕されてしまいました。

この逮捕に対しての抗議が始まり、381日続いたバスのボイコット運動に発展したのですが、その時のリーダーがマーティンルーサーキングJrでした。

このボイコット運動には黒人だけでなく多くの白人も参加し、バス会社は多大な経済的損失を受けたため、アラバマ州の人種隔離政策は違憲であると連邦最高裁判所が判決を下しました。

キング牧師はガンジーの非暴力主義に習い、デモ活動を暴力を使わず平和に行うように導きましたが、それでも多くのデモ参加者や支持者たちは逮捕や脅迫にあいました。

キング牧師の家には爆弾が投げ込まれたほどです。


このデモをきっかけに、賃金や雇用機会投票権や黒人に対する施設での入店拒否などの公正を求める闘争へと発展していき公民権運動へと発展していきました。

1963年8月28日,「I have a dream -私には夢がある-」の演説で有名なワシントン大行進デモが行われました。

この記事の冒頭にある奴隷制度廃止からの黒人への不当な扱いについてもこの演説から読み取れるので、少し長いですが抜粋します。

100年前、ある偉大な米国民が、奴隷解放宣言に署名した。今われわれは、その人を象徴する坐像の前に立っている。この極めて重大な布告は、容赦の ない不正義の炎に焼かれていた何百万もの黒人奴隷たちに、大きな希望の光明として訪れた。それは、捕らわれの身にあった彼らの長い夜に終止符を打つ、喜び に満ちた夜明けとして訪れたのだった。

しかし100年を経た今日、黒人は依然として自由ではない。100年を経た今日、黒人の生活は、悲しいことに依然として人種隔離の手かせと人種差別 の鎖によって縛られている。100年を経た今日、黒人は物質的繁栄という広大な海の真っ只中に浮かぶ、貧困という孤島に住んでいる。100年を経た今日、 黒人は依然として米国社会の片隅で惨めな暮らしを送り、自国にいながら、まるで亡命者のような生活を送っている。そこで私たちは今日、この恥ずべき状況を劇的に訴えるために、ここに集まったのである。

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われわれは今日も明日も困難に直面するが、それでも私には夢がある。それは、アメリカの夢に深く根ざした夢である。

私には夢がある。
それは、いつの日か、この国が立ち上がり、「すべての人間は平等に作られているということは、自明の真実であると考える」というこの国の信条を、真の意味で実現させるという夢である。

私には夢がある。
それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。

私には夢がある。
それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。

私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。

私には夢がある。

それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。

(引用元: https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2368/)

演説の動画もよかったらどうぞ^^

https://www.youtube.com/watch?v=HqgrHRrssP0


このデモは25万人以上集まり、暴力や暴動はなく平和的に終わりました。


そして1964年、雇用と教育の機会均等を求める公民権法が、1965年には黒人が安全に投票する権利を保証する投票権法が可決されました。

しかし1968年、テネシー州での労働者のストライキ支援中にマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは39歳という若さで暗殺されてしまいます。

公民権運動後の麻薬撲滅政策と大量投獄


マーティンルーサーキングの功績により黒人の権利は以前よりも良いものとなりましたが、不当な扱いが完全に消えることはありませんでした。

1960~70年代、アメリカはベトナム戦争中。

国内では公民権運動以外にもフラワームーブメントというヒッピーを中心とした反戦運動が起こっていました。

政府としてはこのデモを沈静化でき、より多くの黒人を取り締まることで南部からの票を得られるため麻薬撲滅政策法の下に平等という大義名分を掲げ開始します。

TVでは麻薬の脅威を煽り、警察の数を倍にし、麻薬の使用や売買、デモを行う人に対してどんどん逮捕を行なっていきました。

その結果、1960年代までほぼ横ばいだった受刑者の数は1970年代を境に飛躍的にの伸びています。

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ここでも警察は取り締まりの標的を黒人にし、アメリカでは白人の麻薬使用者の方が多いにも関わらず、麻薬関連の逮捕の8割以上が黒人となってしまうような新たな差別の形が生まれました。


この1970年代
ニクソン大統領“アメリカ社会最大の敵=麻薬"として始めた麻薬戦争は、政治的策略によりどんどん強化されていきました。


軽犯罪や不当での逮捕
が可能となれば、犯罪率も意図的にあげることができ、その犯罪率上昇を理由にさらに取り締まりを強化するという流れを意図的に作ることができます。


黒人男性が捕まると、その奥さんと子供は精神的にも経済的にも打撃を受け、貧困に陥りやすくなります。

学校に通う余裕がなくなり子供は成長と共にギャングに入ったり、経済的理由からドラッグディーラーになり捕まってしまうという負の連鎖が起こります。

その父親も息子もたとえ出所できても学歴がなく前科もあるため就職が厳しく貧困のスパイラルから抜け出せずにまた罪を犯してしまうというループが起こります。

この連鎖こそ、今も多くの黒人が貧困から抜け出せない大きな根源です。


しかし逮捕者が増えると刑務所の数やコストが増え税金がかかるのに、なぜ逮捕し続けると思いますか?

それはそこにビジネスが存在しているからです。

確かに刑務所のコストは税金により賄われますが、そこに関連する受刑者の食事代、医療・保険代、家具や電話代に至るまで受刑者が増えれば増えるほど儲かる企業が存在しています。

また受刑者は安い賃金で働かせることができるため、農業や工業、縫製などあらゆる分野の企業が受刑者を安い労働者として利用しています。

だからこそ2020年になっても逮捕者が減らないのです。。。

アメリカ社会は本当に光が強い分、闇が深いですよね、、、


#BlackLiveMatterのデモと今後について



黒人差別の根が深いためすごく長い記事になってしまいましたがまとめに入ります。

この記事を読んでいただけたらわかるように、アメリカの黒人に対する人種差別は白人が黒人=怖い、危ないという簡単な認識で起こっている訳ではありません。

その裏には宗教の違い、奴隷制の歴史、そして何より労働力確保のための経済的な政治利用があります。

そして人種による差別は不当だと感じる白人の数も時代と共にどんどん増え、差別の根源が意図的に作られてきたものだという事実も明るみに出てきています。

そして今回のデモでも様々な変化が起きていると思います。
いくつかその例をご紹介し、この記事を終わろうと思います。

この動画はデモ中に世代の違う黒人同士が話をしている動画です。

31歳の彼は過去と同じやり方では今の差別はなくならず、10年後もまた同じことが起こってしまう、だからこそ怒りを表す以外の違う方法で変えていかなければならない必要性を訴えています。

事実、暴動の様子ばかりが日本のTVでは映されてますが、

・非暴力の示す「テイク・ア・ニー(Take a knee)」という膝をつき抗議をするデモ
・ジョージ・フロイドさんへの敬意を表し、うつ伏せで両手を後ろに組み押さえつけられた格好で沈黙し行うデモ
・暴力ではなく踊ることで平和を訴えるデモ

といったような様々な形で平和的なデモが広がっています。

また上のニュース(0:40~)では、デモを取り締まる黒人警官が膝をつき抗議への賛成と今回の事件に納得していないことを表明し、市民対警察の構図にならない平和的なデモも起こっています。


政治や経済を理由に意図的に作られたシステム自体の悪に気づき、人種間での争いではなく、その経緯と根源を理解することで根深いこの差別問題が解決へと向かうことを願っています。

そして何より差別というのは制度がいくら整っても、そのレイシストの「差別意識」がなくならない限りはなくなりません。

そんなメッセージが込められたバンクシーのこのデモに対する作品を紹介しこの記事を終わります。

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At first, I thought I should just shut up and listen to black people about this issue.
最初、僕はこの問題についてただ黙って黒人の話をただ聞くべきだと思いました。

but why would I do that? it’s not their problem. it’s mine.
でもなぜそんなことを?これは彼ら黒人の問題ではなく、僕ら白人の問題だ。

People of colour are being failed by the system. the white system.
有色人種の人々は白人によるシステムにより貧困や苦難へと陥れられている。
like a broken pipe flooding the apartment of the people living downstairs.
壊れたパイプがアパートの下に住む人の部屋を水浸しにしているように。

This fault system is making their life a misery, but it’s not their job to fix it. they can’t – no-one will let them in the apartment upstairs.
この欠陥のあるシステムが彼らの生活を悲惨なものにしているけれど、それを修理するのは彼らの仕事ではない。なぜなら彼らはアパートの上の部屋には入れてもらうことができないからだ。

This is a white problem. and if white people don’t fix it, someone will have to come upstairs and kick the door in.’
これは白人の問題だ。そしてもし白人が解決しないのであれば、誰かが上の階に来て、ドアに蹴りを入れなければならない。

僕もこの意見に賛成です。

黒人差別は黒人の問題ではなく、その差別を行い、不平等なシステムを作った「白人」側の問題だと思います。

#BlackLivesMatter

まずは歴史を知り、その実態を知り、考えるところからよりよい未来へと繋がると願い、この記事を終わりにします。

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それではまた。


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