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死刑台のエレベーター(ルイ・マル監督)-サスペンスの名作

死刑台のエレベーター(仏:Ascenseur pour l'échafaud、英:Elevator to the Gallows 1957)ルイ・マル監督/フランス映画。
斬新な手法で組み立てられたサスペンスだ。欲望の果てに自らの運命を狂わせていくカップルのプロセスを、描いたクライム・サスペンス(犯罪サスペンス)。
モノクロの映像美と共に、技術的には、手持ちカメラ(アンリ・ドカエ)を主体とした撮録による、不安定なショットと流れるJazz、最後まで不安定な時間軸が揺らめいている。
そして、社長夫人のフロランス・カララ(ジャンヌ・モロー)と大企業社長の側近ジュリアン・ダベルニエ(モーリス・ロネ)たちの、殺害計画と完全犯罪へのかなり、危ういシーンの連続性。ジュリアン(モーリス・ロネ)の乗った週末のオフィスビルのエレベータさえ止まらなければ・・・また、時間軸の同時性の中に、彼の車がカップルに盗難され・・・

マイルス・デイヴィスのJazz(即興性)、それらと共にルイ・マル監督の斬新な演出が評価された。
ルイ・デリュック賞 (Le Prix Louis-Delluc-著名なフランスの映画賞) を受賞。
サスペンス小説「死刑台のエレベーター:ノエル・カレフ-1956」を映画化したものだ。

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Elevator to the Gallows - 1957 - Trailer

映画「死刑台のエレベーター ニュープリント版」- Trailer

ルイ・マル監督(Louis Malle, 1932- 1995)-略歴
ソルボンヌ大学(パリ)政治科学を中退、フランス国立高等映画学院で学ぶ。
1956年、沈黙の世界(海洋ドキュメンタリー映画)で、カンヌ国際映画祭パルム・ドールやアカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞する。
1957年、死刑台のエレベーター:ルイ・デリュック賞を受賞、そして、これは、*ヌーヴェル・ヴァーグの初期の作品として著名となる。ただ、ルイ・マルは、独立系の作家と見た方が良いのかも知れない。
1958年「恋人たち」、1960年「地下鉄のザジ」、1963年「鬼火」・・
1968年には第21回カンヌ国際映画祭の審査員となるも、、五月革命の最中に映画祭を開催することに異議を唱えた。周囲の仲間とカンヌ映画祭を中止に至らしめた。
1976年、アメリカへ移住する。1978年「プリティ・ベビー」、1980年「アトランティック・シティ」ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞。
1987年、フランスへ戻る。
1987年、「さよなら子供たち」ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞やルイ・デリュック賞
1989年「五月のミル」、1992年「ダメージ」、1994年「42丁目のワーニャ」
1995年、病のため死去

(註)ヌーヴェル・ヴァーグ(Nouvelle Vague 仏)は、1957年頃に始まったフランスにおける映画運動。ゴダール等々、内容は、その名の通り「新しい波」を意味する。具体的には、映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」の主宰アンドレ・バザンに感化され、同誌で批評、また、その作品。



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