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女性日本画家-北沢映月、現代との諧和(かいわ)

北沢映月(きたざわえいげつ、1907-1990)本名は北沢嘉江(よしえ)
昭和から平成時代の日本画家。
現代女性の社会的風俗、そして、歴史上の女性たちを描いた。
画壇の師から受け継いだ繊細な筆致と広がる色彩、晩年には、現代の写実と装飾の諧和(かいわ/しっくりと調和)が画業の特徴と言われる。
その晩年に至るプロセスの流れにある絵画と、昭和期の作品、そのモダーンさに惹かれる作家だ。

上村松園(しょうえん)、土田麦僊(ばくせん/日本画家)に師事。院展を中心に活躍し、昭和16年(1941)日本美術院同人となる。
小倉遊亀(ゆき)に次いで、二人目の女性の日本美術院同人。
モチーフは、現代の女性の社会的風俗や、歴史上の女性を描いた事で著名だが、戦後期、そして、晩年には、現代的な諧和(かいわ)が感じられる。その晩年の作品には、リトグラフ(lithograph/石版画)と幅広い。

初春 うつき-1981

桔梗

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茶席

婦女図

蛍狩り

羽根つき

旅路

樋口一葉 想

寧々と茶々

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(c)北沢映月(時系列は前後しています)

略歴-北沢映月
1907年、(明治40年)京都に生まれる
1923年、上村松園の塾にて人物画を学ぶ。
1935年、土田麦僊の山南塾に入門
1938年、院展に初入選
1941年、日本美術院賞第三賞を受賞、日本美術院同人に推挙
1961年、日本美術評議院
1970年、院展「ねねと茶々」、内閣総理大臣賞を受賞
1980年、院展 文部大臣賞を受賞
1990年、平成2年に死去、82歳だった。
多くの賞があるが、総理大臣賞・文部大臣賞受賞、そして、日本美術院評議員でもあった。

(余談)次回は、「女流日本画家-広田多津の美人画、それは裸婦」を予定しております。また、画家の生涯まで範囲を広げずに、1枚の絵画を取り上げて、多様な角度で観てみるのも・・・駄文ですが、ありがとうございます。

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