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1950年代の前衛映画-Togetherとロレンツァ・マッツェッティ監督

1950年代の前衛映画-Togetherとロレンツァ・マッツェッティ監督の周辺

ロレンツァ・マッツェッティ監督(Lorenza Mazzetti,1927- 2020/イタリアの小説家/映画監督、写真家、画家)

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Together

*フリーシネマ「Together」(1956年)は、ロレンツァ・マッツェッティ監督(Lorenza Mazzetti)のもと、デニス・ホーン(Denis Horne)と共同で、短編小説「The Glass Marble」(ガラスのビー玉)から、ロンドンのイーストエンドにいる2人の聴覚障害者についての映画だ。(英国映画協会の実験映画基金で製作されている)(註)*フリーシネマ:ドキュメンタリーフィルムの映画運動であり、1950年代英国が発祥である。

ロンドンのイーストエンドでの、日常の労働者階級の生活の現代的な描写とリアリズムへの新しいアプローチは、子供たちのグループによって絶えず追跡されている2人の聴覚障害者だ・・・

そして、カンヌ映画祭の2つの英国短編映画作品の1つに選ばれ、高い評価を得ている。

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Fig.アリフレックス-Arriflex (with 400ft magazine)とロレンツァ・マッツェッティ監督、そして、デニス・ホーン(この時代に木製の三脚でなく、金属である事に、技術的にも前進的な部分を感じる)

ロレンツァ・マッツェッティ監督のもとで、フリーシネマ「Together」で聴覚障害者を演じているは、当時のロンドン大学スレイド美術学校の友人のマイケル・アンドリュース(Michael James Andrews, 1928- 1995/ British painter)と、エドゥアルド・ルイジ(Sir Eduardo Luigi Paolozzi,1924 -2005/スコットランドのPOPアーティスト)だ。

そして、ロレンツァ・マッツェッティ(Lorenza Mazzetti)は、イタリアの小説家であり、1950年代、ロンドンの映画運動フリー・シネマの創始者のひとりとして知られる映画作家だ。小説家の業績以外に、1959年には、また、ローマに移住し、イタリア放送協会(RAI TV)のテレビ番組を制作している。

ロレンツァ・マッツェッティについて、もう少し、付け加えると・・
1927年、彼女はイタリア・トスカーナ州フィレンツェに生まれた。
ただ、幼くして孤児になり、2人の娘を持つ、伯父と伯母に育てられた。しかし、1944年8月3日、SS(ナチス親衛隊)に伯母と2人の従姉妹を殺され、伯父は、その1年後に自殺してしまう。
あまりにも、無残な事象がつづいた。
その後、1950年代初頭、マッツェッティは、ロンドンに移住し、ロンドン大学スレイド美術学校(Slade School of Art)に学んだ。このスレイド校でつくった短篇映画が、「前衛映画-Together」だ。
そして、友人とは、ありがたいものだ。

Together (Mazzetti, 1956) Clip


・ロレンツァ・マッツェッティ主な書籍
・ふたりのトスカーナ Il Cielo cade(天が落ちてくる)1961年(邦訳 ISBN 4812411092):自らの悲劇的な幼少期をもとに書かれている。これで、まず、ロレンツァ・マッツェッティは、知られるようになる。

・娘たちは怒りをこめて Con rabbia 1963年(邦訳、1965年)
・Uccidi il padre e la madre 1969年


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