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ケーキの切れない非行少年たち(新潮新書)書評:アール・ブリュットの視点を考える

(私的覚書)ケーキの切れない非行少年たち(新潮新書)宮口幸治 (著) 書評:アール・ブリュットの視点を考える。
因果関係法で結論に導くと思いきや違う、ただ、知らない世界もあると言う事だ。
・この書評を記述致しましたのは、アウトサイダー・アート(アール・ブリュット)の項目に関連して、ただ、申し上げたかった事です。
とにかく、いかなる状態でも、前提は、気負いなく、生き抜くと言うことだ。その人の持てるモノは、それだけじゃない、すべてが、アートの才能に結ぶつけることもないが、生きていて良かったと思える刹那もある筈だ。

書評と概要
著者は、児童精神科医、医療少年院に勤務経験がある。
非行少年の多くが知的障害(WAIS-IQ70以下)にかろうじて含まれない境界知能(WAIS=IQ70-84)の少年少女であり、反省から更生に至る前に、反省の認知が出来ないのだが、このフェーズ(局面)が事例をあげて、何度も繰り返す・・・。
 IQ(WAIS)84以下は、概ね14-16%にも達するという事だ。100人に14-16人はいる訳だ、そして、その人たちは犯罪に結びつきやすいという理論展開だ。
非行少年(少女)たちは知能や身体能力(発達性協調運動症)、そして、認知能力が低い。(円形のケーキを三等分できないと言う図形への認知度、話の理解度)そして、対人スキルが無いがために、会話が続かない。そして、テストの点が低いのは隠せるが、身体能力の低い事(体育全班、そして、蛇口の締めすぎで壊す=加減が出来ない)は、表面化する。

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それは、学校でのいじめの遭遇に会うという事だろう、そして社会に出てもそれは同じであり、結果として、非行に至るという著者の考察プロセスだ。
その視点から、そのような子供の存在を早い段階で拾い上げ、普通教育以外の特別プログラムを行うことで、社会生活で困らないスキルを身に付けさせるというメソッドに尽力しているという事だ。
そして、その様な少年(少女)への対処の部分は少ないのだが、今の学校教育、、通信制高校、フリースクール、高等専門学校・・等の批判にも及び、自らの書籍に誘引している部分もある。具体的には、褒める、話を聞くではダメで、いかに認知機能を支援するか、そして、将来の目標、信用できる人との出会い、人と話す自信、それらから、自己への気づき、自己評価の向上へ導くと言うロジックが出てくる、末尾に近いところでだ。(自らの書籍に誘引している部分は、出版・編集も仕事だから、仕方ないのかも知れないが)

私的な書評として、繰り返すが、因果関係法で結論に導くと思いきや違う。
タイトルにあるが、いかに非行少年たちの知的能力が低いかという事例を第1章-第6章の間、執拗に繰り返す。
漢字が読めない、分数の意味がわからない、九九が言えない、、は、Fクラスの大学にも上記の比率でいる事は現実だ。
そして、著者は、文中には前頭葉に腫瘍があるため衝動を止められず大量殺人を犯したアメリカ人青年の例を挙げている。そこまで書いてだ、最後の第7章で初めて自身が考案し普及させようとしている認知機能トレーニングが紹介されている、それだけだ。
そして、既存の、その子供たちへの取り組み(教育)を否定している。
この書籍の読者が、「対人スキルを身に付けさせることが非行の抑止につながるのだ」と言う、著者の視点に賛同する前に「しかし、非行に走るのは知能が低いからであり、それはいつの世も仕方のない事なのだろう」と言う方向に思考が走るだろう。

ただ、言える事は、そんなにダメな非行少年・少女でも、何をしてでも(もちろん犯罪以外のことでだ)、社会の中で生きて行かなければならないと言う事だ。そして、その子供たちに社会への練習の場としての実務にあたる現場の教育担当者(通信教育、フリースクール、高等専門学校、専門学校、Fランクの大学等々)の教員の試行錯誤の実践努力も、いとも簡単に否定している。犯罪をおこさないまでも、その比率は、14-16%という、相当数いるという訳にも関わらず・・。
例えば、海外の事例をなんでも美化するつもりはないが、英国には、思春期の子供たち対象の感性教育として、無償のアート・メディア教育機関に、ブリットスクール(The BRIT School/London)という存在があるが、多くのパフォーマンス・アーティスト(ミュージック他)を輩出している。
誰でもが、どう生まれるかは、自分では選択はできないのだ、だからこそ、それらの少年少女には、自らに自信を持って、楽しく生きてもらいたいものだ。
また、この書籍の著者にも、医学や、学会、医療少年院関連施設以外に、広い視野に経って、執筆も、今後は頂きたいものだ。
それは、ケーキが切れなくとも、何をしてもだ、とにかく、生きて行かなければならない人もいると言うことだ。

(追記)前述致しましたが、この書評を記述致しましたのは、アウトサイダーアート(アール・ブリュット)の項目に関連して、ただ、申し上げたかった事です。とにかく、いかなる状態でも、前提は、気負いなく、生き抜くと言うことだ。そして、ほんの少しでも、自己の存在感を感じる生きる喜びを見つけられたら、なお、いいのだが。例えば、アウトサイダーアーティストのように・・

明日から、ランダムになりますが、しばらくは、アール・ブリュットの周辺や、その解釈(ロジック)、そして、アール・ブリュットの作家、また、アール・ブリュットと言う造語以前のアーティストたちにも触れていきたいと存じております。


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