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I'm not alone.③契約編

 前回はこちら。


 いつき氏の運転で、待ち合わせの公園から見えた山の上を目指す。
 かなり急な坂道をぐんぐん登り、下から見えたお寺の一角にある駐車スペースへ。

 車を降りてすぐ、「ここを見てほしいんですけど…」といつき氏の示す方を見ると、廃墟然とした大きな建造物(※1)があり、その建物の壁に張り付くような印象で、小さな鳥居と社(やしろ)が見える。
(※1)かつては、なんと動物園だったそうだ。閉園してからかなりの年月(30~40年以上?)が経過しているものと思われる。

大半が木に隠れているが、写真中央に白い鳥居がのぞいている。

 神社だろうか?と近付き、社の中をのぞいてびっくり―そこには男根と女陰を模した石像が御神体として鎮座していた

 自然界に存在する、それらしい形をした木片やら岩やらを御神体にしているところがあるのは以前なにかで見たことがあるけれど、ここの御神体は明らかに人工物、またその造形はかなり精巧だった。
 あるいは、そこまで歴史のある社ではないのかもしれない。

 とりあえず―まあここに訪れた者は皆そうするであろう―ふたりして無言のまま、その御神体を撫でる。
 いつき氏は男根に、俺は女陰に。
 特に重要な箇所は、これまでの数多の愛撫により摩耗し、他の部分と比べてつるつるとしている。
 御神体の置かれている台座の下部に掲示された「御神体にジュース類等は絶対にかけないでください」の悲痛な警告文に思わず笑ってしまう。

 あいにく御神体の撮影は禁止されていたので、我々は素直にそれに従う。
 ただし「奥津神社 長野」(※2)などで検索すると、世に一定数存在する不届き者のおかげで、ご家庭にありながらその御神体を拝むことが出来る。
(※2)奥津神社の「奥」の字は、正式には「奥」に”さんずい”の付いたものである。

 言うまでもなく、ここの御利益は「夫婦円満・子宝成就」。
 では、出会って間もない我々にとって、この社はどんな意義があったのだろう。

 思うに、ふたりして御神体に触れたとき―それは「宣誓」というか「契約」というか―つまり、我々は同族であるという認識を、俺たちはその「儀式」を通じて共有した―少なくとも俺はそんな風に考えている。

 ここを訪れたのは、俺が山肌の文字に気を取られたことに起因した、まったくの偶然だった。
 その偶然が奥津神社の参拝―つまり先述の「儀式」に通じたというのは、どこか運命的にさえ思えてくるのであった。

*

 奥津神社の参拝を終えた我々は、引き続きその近辺にある施設を見学する。
 しかしこの旅行記もすでに3本目である―書きたいことがいっぱいあるのはいいことだが、さすがに旅が進まなすぎるので、この地の他の点については写真を添えて、簡潔に振り返ることとする。

城山(じょうやま)案内図。
雲龍寺。どんだけひいき目に見ても、廃寺と思われる。
当初は屋根に金色の観音様がおられたことが、案内図で確認できる。

 雲龍寺の隣には「日本歴史館」という名のバカでかい建物があった。写真は撮り忘れた。

 ここもぱっと見た感じ、やってるのかつぶれてるのかわからん印象―どちらかというと後者だが、しかし立派なホームページが今も生きているし、あるいは何かしらの手続きを踏めば見学が可能なのかもしれない。

 ホームページによると、歴代天皇の肖像画が展示されているらしい。
 現在の天皇が126代目だから、その展示の規模は実に計り知れないわけです。
 この関心は確実に、次回へ持ち越し。

 上のTwitterの写真は、善光寺別院から。左がいつき氏。
 待ち合わせ場所から見えた建物は、このお寺だった。

 なんとなく伝わっているといいのだが、要は奥津神社に負けず劣らず、その周辺施設もなかなか濃いめの印象だった。
 のっけからこの調子では、いったいこのあとどうなってしまうんだろうと、いやがうえにも膨らみまくった期待を胸に、我々は城山をあとにした。

*

 次の目的地は、JR姨捨駅。

 山の中腹に位置する姨捨駅は標高500m強。
 クラシカルな駅舎を抜けホームに出ると、なんとまあ絶景哉。
 あとで調べたことだが、眼下に広がるのは長野盆地(善光寺平)というらしい。

 いつき氏の話では、「日本三大車窓」(電車の車窓からの絶景)に数えられる風景とのこと。
 実際、飽きることなくいつまでも見ていられる光景を前に、なぜか連合赤軍の話をしたり、日本の行く末を憂うなどした。


 次回へつづく。

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