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I'm not alone.④人柱編

 前回はこちら。


 姨捨駅からの絶景に酔いしれたあと、我々はいよいよ件の「即身仏」に向けて出発。午前10時すぎ。

 車内の会話は、それぞれの音楽遍歴であったり、家族のことであったり、共通の趣味のカメラのことだったり、互いに探り探り、Twitterでわずかに明らかにされている情報から推測したイメージの答え合わせをする感じだった。
 無理なく会話が途切れないのは、双方向的な関心あってこそ。
 およそ2時間―そこそこ長い道程だったが、あっという間だった。
 途中で雨が降ってきた。

 目的地に近づくにつれ、人の姿も、すれ違う車も、徐々に見掛けなくなっていった。
 人家が点々と在る、ひっそりとした山間の集落に、即身仏を祀ったお堂はあった。

*

 ここで、その即身仏にまつわるエピソードを簡潔に紹介する。

 なんでも―今から800年ほど前、この地域の人々は、大蛇の”悪さ”にアタマを悩ませていた。
 ”悪さ”というのは山の地すべりのことであり、それを封じるため、ひとりの旅の僧が人柱となった―という伝説が伝わっていた。
 あくまで”伝説”と思われていたそれだが、昭和初期、田んぼの地中から"かめ"が掘り起こされ、その中から、座禅を組んだ姿の人骨が見つかったことにより、"伝説"ではなく実際の出来事だったとわかった―という話。

 さらなる詳細をご所望の方は、以下の新潟県ホームページへ。

人柱供養堂。あの奥に、いよいよ即身仏が―

 短い階段を昇り、お堂に入ってまず目に飛び込んできたのは、祭壇の中央に置かれた、即身仏の入っていたと思しき”かめ”だった。
 祭壇に近づいてみると、その”かめ”の下の方に、ひらべったいショーケースが置かれていて、その中にいかにも年季の入った(?)人骨が、部位の説明と共に配置されていた。

 さて―少なくとも我々が「即身仏」と聞いて想像していたのは、座したままミイラ化したであろう骸の姿である。
 しかし目の前にあるのは、まるで宝飾店のショーケースの如く、点々と、整然と、陳列された人骨。
 つまり、思ってたのと違う

 興味深いのは、このとき共に抱いたであろう同様の認識を共有したのは、その日の晩、別れる間際に立ち寄った喫茶店においてだった。
 その折、いつき氏は「ぶっちゃけ言いますと…」とこの件について切り出した。

 終日通して、とても初対面とは思えぬ距離感で時間を共にすることができた我々だったが、まだこの供養堂の時点では、相手に対する多少の”気遣い”めいたものがあったのかもしれない。
 逆に、このタイミング以外にそういったぎこちなさがまったくなかったゆえ、妙に際立つ一件となった。

 はるばる出掛けてきた物好きの男たちが、小さなお堂の中で「思ってたのと違う」を口にできず無言で佇む様は、後方から記念に写真を撮ってもらいたいくらい味わい深い絵面だったのではと、いま思い出してもじんわり笑えてくる。

 話は供養堂に戻る。

 ひとしきり人骨を眺めたあとであたりを見回すと、音声案内の再生スイッチが壁にあったので押してみる。
 女性の落ち着いた声で、人柱伝説についてのひととおりの説明がされるわけだが、その声の背後に流れるBGMに耳馴染みがあり、それを思い出すのにたいして時間はかからなかった。

 映画『天空の城ラピュタ』のテーマ曲ともいえる『天空の城ラピュタ』という曲だった。
 人柱伝説とラピュタがどうしても結びつかず、そのミスマッチ感にひとしきり笑った。
 そのおかげで、肝心のナレーションがまったくアタマに入ってこなかった。

 説明の再生が終わると、我々なりに人柱伝説についての考察を重ねた。

 ”座禅を組んだ状態で人骨が発見された”と、話を聞くだけなら頷けるわけだが、目の前にあるバラバラの人骨を見ていると、白骨化した死体が果たして”座禅を組んだ状態”を800年ものあいだ維持できるものだろうか?―”かめ”の発見時点で、ただ単に”かめ”の中に人骨があっただけではなかろうか―座禅云々はあくまで伝説上の「僧侶」と人骨を結びつける方便にすぎないのではないか―なぜラピュタなのか―

 上記の如く、ほんのわずかな時間のうちに数多の疑問が噴出するわけだが、隣接する資料館に行けばきっと、我々にその答えを与えてくれるであろうということで、その供養堂をあとにした。

 結論を先に言うが、資料館の展示内容に、人柱伝説についてこれまで得た以上の知見はなかった。


 次回へ続く。

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