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甘酸っぱい歌の追憶 -ブリットポップ周辺を巡る随想


 【金曜日は音楽の日】

 
音楽を聴く喜びの一つにメロディの良さがあります。
 
1990年代のイギリスを中心に起きた、通称ブリットポップの音楽は、素晴らしいメロディの楽曲の宝庫です。
 
今日はこの「ブリットポップ」について、思うことをいくつか書きます。といっても、私は実のところ、ブリットポップ全盛期でなく、後追いで好きになった面があります。

そこまでコアな作品を掘れるわけではないけど、あの総体の雰囲気が、何か今でも好きなのです。




ブリットポップの起源は、諸説あると思いますが、90年代初頭の「クリエイション」レーベルの動きが大きかったと思っています。
 
パンクを信望する名伯楽アラン・マッギーが率いて、1991年にマイ・ブラッディ・ヴァレンタイン『ラブレス』、ティーンエイジ・ファンクラブ『バンドワゴネスク』、プライマル・スクリーム『スクリーマデリカ』と、3つの名作アルバムを出しています。どれも、高度な音楽性と、美しいメロディの粒ぞろいの楽曲を揃えたアルバムです。



 
そして、オアシスとブラーの登場が、その最盛期だというのは、誰しもが認めることでしょう。
 
前者の『ロール・ウィズ・イット』と後者の『カントリー・ハウス』という両シングルが直接チャート上で火花を散らした1995年8月14日が恐らく頂点で、ブラーのデーモン・アルバーンが1997年にはブリット・ポップは死んだと宣言しています。
 
とはいえ、興味深いバンドは、2000年代初頭くらいまでは、面白いアルバムを出していたように思えます。

そんな中で私が好きなアルバムをいくつか挙げてみましょう。
 



オアシス『モーニング・グローリー』(95)

 
この大ヒットアルバムは何といっても、中心となるギャラガー兄弟の、兄ノエルの楽曲と弟リアムの歌唱が素晴らしい。

ビートルズに影響を受けつつも、音圧の強いラウドなギターサウンドのノリと、ふてぶてしさといなたさを合わせたリアムの歌声は、陶酔的で独自のものがあります。
 
今聞き直すと、スタジアムでファンが熱唱できるシンガロングなポップソングなのは確かだけど、思っていた以上にささくれだって、個人的な歌だと感じます。

 




ブラー『パーク・ライフ』(94)
 

ダンスミュージックや、ギターポップ等、ポップソングの様々なガジェットを再利用して、その上澄みをうまく取り入れた作品。

曲の中身というより、そのありようが、ビートルズやキンクスといった、60年代のイギリスの名バンドと同じように思えます。
 
労働者階級のオアシスのギャラガー兄弟と違って、中流階級のアートスクール出身のバンドであり、アルバムのアートワークの良さ、知的な佇まいが、今でも私は好きです。
 


 



 パルプ『ディファレント・クラス』(95)


上記2つのアルバムとこの作品が、ブリットポップのメインだと思っています。

普通の人を皮肉と誇りを持って描く『コモン・ピープル』が特大ヒット。ボーカルのジャーヴィス・コッカーの囁くようなねっとり歌唱が好きです。今となってはちょっとチープな音もいいですね。




ティーンエイジ・ファンクラブ『ソングス・フロム・ノーザンブリテン』(97)
 
 
ここからは、ムーブメントを少し離れた後の、90年代末からゼロ年代くらいの個人的に好きなアルバムを。
 
これは、バーズ直系のギターのリフに、甘酸っぱいメロディと美しいコーラスを持ったバンドの、素晴らしい傑作。
 
夏の陽射し溢れる都市を歩いているような、多幸感に満ちた作品です。 





コーナー・ショップ『ハンドクリーム・フォー・ジェネレーション』(02)
 

ブリットポップから派生する作品の中で、一番好きなアルバムかもしれません。インド系イギリス人のティジンダー・シンを中心とするバンド。
 
太い音に、ダンスミュージックとロックのうま味、怪しいエキゾチカと、ちょっとバカっぽいユーモアが同居しているのが魅力。

シタールとクラブミュージックを、カレーのスパイスによって煮込んだヘヴィーなスープです。寡作なのが惜しまれます。

 





レディオヘッド『OKコンピューター』 (97)


その後とんでもなく音楽性を広げて、怪物バンドになりましたが、このアルバムくらいまでは、ブリットポップの甘い感触が残っています。
 
トム・ヨークが柔らかく歌い上げる、麗しいメロディの中に、ノイズがうまく溶け込んでいます。

次作は曲の方がノイズの中に消えていってしまうわけで、溶けてしまう直前のアイスのような、やるせなさと退廃味があります。
 
 




なぜ私はブリットポップが好きなのかというと、それは空気感だという気がします。
 
90年代からゼロ年代初期ぐらいまでの、どこかふわふわ宙に浮いたような雰囲気。

冷戦が終わって、日本はバブル崩壊後でも、その残照の、まだ華やいだ雰囲気があった頃の空気感。



ブリットポップには、昔の音楽を無理なくとり込んで、ポップな音楽を再創造するようなところがあります。
 
ここに挙げたアルバムは、いずれもビートルズやローリングストーンズを意識したような部分があります。
 
レディオヘッドの『パラノイド・アンドロイド』はビートルズのような組曲形式ですし、コーナー・ショップは『ノルウェーの森』をヒンディー語でカバーするというけったいなことも、別アルバムでやっていました。
 
昔の音楽が、しなやかなバンドサウンドの中に溶けている、爛熟の音楽。

私はそういう風に、過去や異国の要素が溶け合って新しい美を産み出すことに、自由と喜びを感じるのだと思います。




ただ、このブリットポップの「感触」はもう戻って来ないものだとも思っています。
 
例えば昨今「シティ・ポップ」として、リバイバルされたのは、70年代~80年代くらいのいわゆるAORや、フュージョンを基にした音楽です。
 
それらは、ゼロ年代にも結構リバイバルされていました。当時を体験していない世代にも定期的に再発見されるということは、それはもう普遍的な良さを備えているということなのでしょう。
 
しかし90年代の音楽が「リバイバル」するのを感じたことは、個人的にあまりないです。
 
理由は分かりません。90年代特有のバンドサウンドや狂騒のメディアの要素が、ネット時代には忌避されてしまうのかもしれません。




シティポップの中には、勿論素晴らしい曲や好きな曲はあります。でも、私はどこか、のめりこめないものも感じています。

何というか、音楽から立ち上る「匂い」が、馴染めないのです。ある種の香水が、自分には合わないと感じるように。
 
それは勿論、90年代の音楽の方が優れているという意味ではありません。

誰にとっても自分の好きな匂いがあるように、ブリットポップのあの、甘酸っぱくてしなやかで、ちょっとダサさも含んだ香りが、私は好きなのです。




例えば恋人との思い出みたいなものは、これらの音楽にはありません。でも、私が本当に好きな生き方の香り、エッセンスのようなものがある。
 
皆さんも、ぜひそうした大切な音楽を見つけていただければと、そう思っています。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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