見出し画像

夢の意味を理解する。

毎晩観る夢の中で、今朝の夢は印象的だったので記録しておきます。

昨夜は思考が回りすぎて、寝ついたのは深夜2時でした。そんな時は観るのは、だいたい逃げる夢です。

僕は10階建はあろうかという学校の最上階の牢獄に閉じ込められていました。何か重大な罪を犯したようです。それは自身の罪というより、身分とか、血族に関する罪のようでした。実に理不尽ですが、このまま宣告を待つ身でした。
窓から夕暮れの光が差し込んだ時に、檻の鉄柱が少しだけ開きました。僕はその隙間からするりと抜け出して、窓を開けました。外の景色は、金色に染まった山並みが続いています。
なぜかグライダーが用意されていました。乗ったことはないけど脱出するのであれば、迷う余裕はありません。監視人が来る前に、いそいで乗って、窓から飛び降りました。必ず飛べるという確信がありました。

上昇気流に乗ってふわっと浮き上がり、滑降していきます。山並みをすり抜けて集落ら見えます。学校はすでに遠のきました。どんどん飛んでいくと、また集落がありました。見覚えがあるなと思って着陸してみたら、僕の良く知る職人の工房がありました。
夜更けでしたがノックをし、ここに泊めてほしいと職人に頼みました。彼はまだ仕事中でしたが、軒下なら寝てもいいと言いました。ありがたい、明日までは追っ手もこないだろうと、束の間の休息を取りました。

朝。職人の打つ木槌の音で目が覚めます。急いでここを出ないと、迷惑をかけます。仕事の邪魔をしないように、玄関に宿代の絵を描いて、そっと旅立ちました。ここからは歩くことしかできません。それでも気力に満ちていました。何日も山道をどんどん歩いていくと、木々の切れ間から海岸線が見えました。

見覚えがある場所

海岸線の崖の先に、大きな丸い岩が立っていました。不思議なオブジェです。灯台のようで、そうではない。卵のような巨大な岩。。
僕は、ここは四国だと理解しました。そうか、四国まで行けば、あの司書さんを頼っていこう。海を越えればさらに追っ手を巻けるだろう。まだまだ歩ける。まだまだ。
20代の頃、自転車で北海道まで走ったことを思い出しました。あれから25年も経ち、体力が衰えたとはいえ、僕はまだまだ歩ける、という自信がみなぎってました。歩いて進むほど確かなものはないと。

司書さんのところを後にしたら、九州に入れる。そして、目指すは故郷・鹿児島だ。鹿児島まで行けば、僕はきっと自由になれる。だから、歩くんだ。

そうして、目が覚めました。
昨日の育児疲れが残った身体は鉛のようで、すぐには動けません。妻がリビングから「早くきて!」と怒鳴ってます。娘も泣いています。
僕は、尺取り虫のように布団から這い出て、モゴモゴと動きました。そうして、ふと理解しました。

「あの旅は、“自分“から逃げる旅だったんだ」と。

自分、という意識。
こうでありたい、という理想。
時に惨めで、アイデンティティの塊。自分や他人が決めた自分。社会の役割・・。どこまでも追いかける自分意識という監視人。

そういう概念から、全て自由になりたかったんだと。まさにワンネス。個を超えた大きな意識。全ては一つにまとまっていく。愛の方向へ。

逃げる夢は、締め切りだとか、何かに追われてたり、焦ってたり、強迫観念の心理が影響されると言われますが、その大元は「自分」という枠だったのかもしれません。

故郷に帰る道のりは、逃避行というより、「凱旋」に近いように感じました。何かの真実に還る。その足取りは力強く。

今日は、僕個人の意識から解放されて、何者でもない1人の人間として、いろんなことを遮断して過ごしていきたいと思いました。
向かう先は、やはり神社です。

おしまい。

よろしければサポートお願いいいたします。こちらのサポートは、画家としての活動や創作の源として活用させていただきます。応援よろしくお願い致します。