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おまけの人生にしては。

昨日、ママ友と神社仏閣の公園で、子供たちを見ながら話していたこと。

「父方は代々神主で、父が継げば僕も神主だったんですよねぇ」と言いながら、改めて、(そうだよな、本来は神主の道を歩んでいたんだろうな)と感じた次第です。

父は、祖父がまだまだ現役だったこともあり、初めは市役所に努め、上司と喧嘩別れし、画家になるか造園業になるかで、造園業になりました。
その後、故郷を離れたこともあり、父方とは疎遠になってしまい、家業を継ぐということはなくなりました。

父としては、神主を継いでいたほうが世間的には幸せだったかもしれない。しかし、刺激と新しさを求めて、大海原に勝負に出たのでしょう。
お陰で、幼少時代は大変苦労しましたが、なぜか、父が選ばなかった「画家」と言う道を歩んでいます。

先祖代々のことを思えば、神主になり、神社を復興することが良いのでしょう。しかし、先祖の本当の悲願はなんでしょうか。私たちが生を受けた意味とは、きっと脈々と受け継がれたものを、新しい形で達成することなのではないでしょうか。
それは、家業であれ、なかれ。

おまけのような人生なんだなと感じました。家業を継げば200年ほどの叡智があったことでしょう。
しかし、もっと大きな意味で父方の家系図を追えば、平安鎌倉から続く大きな流れの中の一つの点として、僕はいま存在している。
となると、家業は関係ないかもしれません。(たかが画業20年で、何ができると言うわけではありませんが)。

おまけのような人生。

今朝、ふと、アーティストの友人の記事を見ました。イベントが大成功して、華々しい姿でした。
相談に乗っていた数年前からしては大きな飛躍で、ファンもしっかりと固め、作品も素晴らしい出来でした。
奇しくも、自分が目指しているイメージと近しいものがありました。
その人は、私生活にとらわれず、自分の時間のほとんどを使って制作に打ち込めるし、悩める、試行錯誤出来る。それは結果が出るのは当たり前です。

朝起きて、数日間、一筆も進まないキャンバスにため息をつきながら、2階で呼ぶ息子の声を聞いて。
これもまた一つのアート作品か、と。

おまけのような人生にしては、上出来なほうでしょうね。アート作品は絨毯に朝食をこぼして、掃除に追われるという作品を残してくれますが・・汗。

画家としては落第点。だけど人間としては、毎日学んでいく・・。長い目で見るとそうなるのかしら。
少しでも、先祖に顔向けできる人生を歩んでいる、と思いたいものですね。

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