見出し画像

大人の男になりたかった。酒とタバコとコーヒーと。


俺は1978年生まれで、いわゆる一般的に“青春”と呼ばれる十代は、1990年代。時は『世紀末』だった。そういえばこれを書いててデーモン小暮閣下率いるハードロックバンド「聖飢魔II」を不意に思い出してしまったが、今も健在なのだろうか?

(で、今ググったら、1999年に解散してるが、その後も「期間限定再結集」を何度もやっていて、去年も今年もLIVEやってる。ちなみに閣下の「歌」に対する考え方や姿勢は、とても影響を受けた。)

聖飢魔IIの話などどうでもいい(自分で書いたんだろ!)。90年代の青春時代の話だ。

90年代は政治やら経済やらテクノロジーの発展やら、今と同じく、目まぐるしい変化があったのだろうけど、しょせん当時の俺は十代の田舎の少年。そんな大それたことよりも、自分に関わることしか興味がない。

十代の男子は、『大人の男』に憧れるものだ。具体的に「誰」というより、漠然としたイメージとしてだが、少年にとって大人の男とは、自らの無力さを克服する、あらゆる“強さ”の象徴なのだ。

俺も十代の頃は自分がガキだという事実が毎日もどかしくて、早く大人になりたいと思っていたし、大人の男に憧れた。かっこいい男になりたかった。強くなりたかった。

大人へのステップとして、やはり「大人の男の嗜み」をやることは、欠かせないことだった。

人それぞれの価値観があるのだろうけど、田舎者の素行の悪い俺にとっては「酒」「タバコ」「コーヒー」は、いわば『大人の男の三種の神器』というくらい、大事なものに思えた。

ちなみに、大人の男の条件に他に付随するものは「女(不特定多数)」「金」「ギャンブル(麻雀・パチンコ)」とか、とにかく、十代の俺の頭はろくなことを考えていなかったことがわかる。それが今や作家だのスピリチュアルだのやってんだから、世の中何が起こるかわからないものだ…。

無論、高校生、まして中学生くらいには、それら三種の神器はに肉体にとって相当な刺激物であり、発育に非常に悪影響だ。いや、大人だって、実はこれらは刺激物であり、量を守らないと簡単に心身に悪影響を及ぼす。

酒もタバコも、中学生に覚えた(良い子は真似しないように!)。タバコは比較的スムーズに馴染むことができ、高校一年生には常飲していた。周りも喫煙者は多かったので、当時は珍しいことではなかった。

酒に関しては、中学3年生にして「酔う」という状態を覚えてしまい、とにかく酔っぱらうとなんだか頭がぼけっとして楽になるし、寝つきの悪い俺がすぐ眠れるということがわかり、夜な夜な、親父の日本酒や、ウイスキーをちびちび飲んでいた。

もちろん、「美味しい」とは思えない(日本酒はけっこうイケると思ってたがw)。

しかし、そんな日々を過ごしているうちに、なんだか体調が悪くなり、奇妙な疲労感を覚えて、心配で病院に行った。

「あの〜、あなたは、中学生、ですよね?」

医師は検査結果を怪訝な顔で見ながら俺に訊く。

「はい、そうです」

「うーん、あの、あなた、ひょっとしてなんですけど、その、まさか、お酒、飲んでませんか?」

と、医師はなんとも不可解そうな表情で尋ねた。

もちろん俺は自分が未成年どころか、中学生であり、飲酒は良くないと言うことくらい知っていたので、その問いへの返答の困ったが、やはり嘘をつくわけにもいかず、

「えっと…嗜む程度に…」

と答えた。さすがに毎晩ほろ酔いになるまで飲んでますとは言えず、控え目に答えた。

医師は数秒間絶句した後、

「あのね、どういうことかわかってる?君の肝臓、すごい数値だよ?」

どうやら、γGTPが急上昇して、肝臓がかなり疲労しているとのこと。慢性的な疲労感はそのせいだと。

(そ、それはアカン…!)

幸い、親にも学校に知られずに済んだ(病気の母親が知ったらショックでひっくり返る。中学校は生徒会長だったから、教師から何言われるかわかったもんではないから、助かった)。

しかしさすがにそこから、酒はしばらくやめた。毎日飲むのはやめて、たまに仲間と集まった時にだけお遊びで飲むだけ。

余談だが、高校生の頃のバンドメンバーのベーシストは、中3で酒を飲みすぎて胃潰瘍になったという強者もいた…。まあ、類は友を呼ぶものだ。

そんな俺が一番苦労したのが“コーヒー”だった。

今考えると、アルコールもタバコも、法律的にアウトで、コーヒーは法的には問題なかったのに、これが一番覚えるのに苦労したとは変な話だ。

とにもかくにも、コーヒーだけはどうしたってダメだった。美味しいと思えないどころか、とにかく気持ち悪い。中学生の頃から憧れつつ、大人の階段を登れないジレンマを抱えていた。

しかし、高校二年生の頃だ。友人の家に泊まりに行った際、朝食を用意してくれたのだが、その家では当たり前のように朝は家族でコーヒー、というおシャンティな家だったのだ!

(な!こいつ、コーヒー飲めんのか?どうなってんだ!)

俺はその友人に激しく嫉妬した。砂糖とミルクを入れていたが、彼は普通に食パンとコーヒーで朝食を取っていた。俺の憧れのアメリカン・ブレックファースト(俺の勝手なイメージ)を実現してやがる!

「あなたもコーヒー飲む?」

と、友人の母に尋ねられて、もちろんそこは、

「はい、いただきます〜」

(ええ、朝はコーヒー飲まないと始まらないですよね)と言わんばかりの余裕な表情で答える。

砂糖とミルクが入っているが、とにかく苦いし、おいしくない…。せっかくのサラダとトーストが、ぜんぶコーヒーに持っていかれてしまう…。しかし、友人は至って自然に、コーヒーを飲んでいるので、俺は強がりながら、苦味を顔に出さないように必死に堪えながらコーヒーを飲んだ。カップ一杯を飲んだのは人生で初めてのことだった。

パンをコーヒーで流し込む、という表現はあるが、その時の俺は逆で、“コーヒーをパンとサラダと目玉焼きで流し込む”という状態だった。

だが、その友人への嫉妬心とライバル心で俺は覚悟を決めた。

「俺、大人の男になるべ!」

そこから、本格的にコーヒー修行をした。家にあったいつ買ったかわからんインスタントコーヒーを薄めにして飲む。飲む、飲む。

しかし、砂糖入れてもミルク入れても、まずい…。

缶コーヒーで試したが…、やはりそれもまずい。いや、むしろまずい。

わかったのは、俺には「甘ったるいミルクコーヒー」が気持ち悪いということ。甘いものは好きだったが、甘いコーヒーにさらにミルクのねっとり感が、とにかく胸焼けを起こす事に気づいた。そもそも、俺は小学生から高校生まで、牛乳は嫌いだった(飲むと下痢をしてしまうので、給食でも飲まなかった)。

しかし、ある時気づいたのが「キンキンに冷やす」、つまりアイスコーヒーだ。それだと意外といけることに気づいた。シロップはほんの少し、苦味が少しマイルドになる程度に垂らす。

(これはいけるじゃん!)

正直、美味しいなどと微塵にも思わなかったが、とにかく「コーヒーの飲める男になった」という事実が嬉しかった。

だが、俺は生来虚弱体質。やはりカフェインとか、コーヒーという飲み物そのものが強かったのだろう。

酒で肝臓をやられたが、今度は胃をやられた。元から胃弱だったが、コーヒーを飲むようになってから、胃痛がひどくなった。

だから、コーヒーも毎日は飲まないようにしていた

しかし、「ホットコーヒー」で飲むと、そうでもないと知ったのは、高校卒業して、自分がカフェに働き出してからだ。

その店のコーヒーは薄目だったのと、酸味が少なく、とても飲みやすかった。しかも、胃が痛くならないのだ。

カフェに働いて、自分でアイスコーヒーを作るようになってわかったのだが、アイスコーヒーは、ホットよりも数倍「濃い」のだ。それはかなり刺激物。それをさらにキンキンに冷やして胃に流し込んでいたのだから、そりゃ胃がやられる。

そこから、俺のコーヒーライフが始まり、「酒・タバコ・コーヒー」という、大人の男三種の神器を手に入れた。

しかし、その三種の神器を手にしてわかったことは、お分かりのとおり、ちっとも俺は大人になっていなかったということだ。むしろ、その「刺激物」は、とても楽しませてくれるが、依存性があり、時にそれは諸刃の剣として、俺の心身にダメージを与えたこともしばしばだ。

それにしても「大人になる」とは、どういうことか?今もその明確な答えなどない。

そもそも、今も俺は「本当の大人なのか?」と問われても、首を傾げてしまうのだ。

確かに、社会人であり、事業者として働いて、税金を納め、結婚をして、子を持ち、家族を養っている、という事実は「大人」と呼ばれて然るべきなのだろうが、どうも本人にはその実感がないのだ。

こんな経験ないだろうか?

中学一年生の頃、三年生がとても大人に見えた。しかし、自分が三年生になっても、ちっとも自分が大人になったという実感がなく、むしろ高校生とか超大人に思えた。しかし、これもまた自分が高校生になっても、今一つピント来ないまま、結局そんな風に年齢を重ねた…。

あの頃と、何が変わったのだろう?全部変わったと言えば全部変わったけど、あまり変わっていないと言えば変わっていない気もする。そもそも、本当の自分とはなんなのだろう?十代の俺は、本当の俺じゃないのか?20代は?今の俺が本当の俺?でも、今の俺もすぐに過去の俺になる。

私は誰?ここはどこ?

うむ、迷走だ(笑)

まあ、俺はそれでも、自分が「大人だ」なんて威張れず、ただただ、自分の欲求と情熱の赴くままに、生きていきたいと思っているよ。少年のようにね。もちろん、経験を通して、十代の頃ように、いちいちおっかなびっくりでもないし、ドキドキしたり、新鮮さはだいぶ減ったとはいえ、好奇心はなくならない。

最後に、酒とタバコとコーヒー。今の若者は、こんなものに憧れを抱かなかった人が大半だろうし、上記の通り、こんなもので人は大人になるわけではない。そして、厳密に「美味いのか?」と訊かれても、正直曖昧である。

だって、子供とか、飲めない人には、「まずい」としか思えないものばかりだ。俺も、酒もタバコも、初めは美味いなんて思うはずない。今では大好きになったワインだって、日本酒や焼酎の味を覚えた後になって、高級ワインを飲んでからようやく美味いと思えるようになった。

つまり、「慣れたから」というのは、一つの事実かもしれない。だって、これらは刺激物であり、酒は百薬の長だし、コーヒーも本来は薬として使われていたし、タバコもインディアンのシャーマンの儀式だ。

そこに「嗜好品」として価値観を後から添加したのかもしれない。そして、その「刺激」が、クセになる。

今の若者が、これらをあまり欲しがらないのは、刺激的な「粗い」ものより、もっと繊細なものや、優しいものを求めているのかもしれない。

なぜ俺や、俺たちの世代や、上の世代は、これらを求めたのか?それほど、時代全体が荒っぽかったし、それくらいの粗さがないと、生きて来れなかったのかもしれない。カフェインやらニコチンやらアルコールで脳ホルモンを出して、事に向かって行った。

年々、俺もこれらのものが苦手になっている。タバコはオーガニックの、一番軽いやつを、吸ったり吸わなかったりで、吸っても1日数本。

コーヒーは、今は週に一杯か二杯。カフェインレスですら、コーヒーは刺激が強く感じられ、最近はハーブティーかルイボスティー、もしくは水ばかりだ。

お酒は、昨年一時期まったく飲めなくなったが、この頃また復活してきた、とは言え、ビールはほとんど飲まず、ワインを中心に、食事の時に軽く飲む程度だ。一定量を超すと、翌日ずっと頭がぼうっとする。

いや、そもそもウイスキーなんかの強い蒸留酒は、昔は大好きだったのに、5、6年前から飲めなくなった…。

そのように、自分が繊細になってくると、これら刺激物は、自然と苦手になってくるのかもしれない。

ただ俺は本来、刺激物に弱い人だったと、思い出したのかもしれない。体質によっては、欧米人のように、アルコールやカフェイン耐性が強い人もいるだろうから、一概には言えないけどね。

ただどんな形であれ、人は変化していくものです。

ここから先は

0字
言葉の力で、「言葉で伝えられないものを伝える」ことを、いつも考えています。作家であり、アーティスト、瞑想家、スピリチュアルメッセンジャーのケンスケの紡ぐ言葉で、感性を活性化し、深みと面白みのある生き方へのヒントと気づきが生まれます。1記事ごとの購入より、マガジン購読がお得です。

アーティスト、作家・大島ケンスケによる独自の視点からのエッセイや、スピリチュアルなメッセージを含むコラムを、週に3回以上更新していきます。…

サポートという「応援」。共感したり、感動したり、気づきを得たりした気持ちを、ぜひ応援へ!このサポートで、ケンスケの新たな活動へと繋げてまいります。よろしくお願いします。