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父の背中と、爪を切る音。

息子が小さかった頃、爪を切っていてよく思った。柔らかい爪で、切った時の音が軽いのだ。「ぱちっ、ぱちっ」となるのは、ある程度大きくなったころで、もっと小さな頃は、いわゆる爪切りではなくて、専用のハサミで「フワっ」と「サクっ」の中間くらいの、なんとも言えない優しい音。

赤ちゃんの頃などは、小さな指に生えた柔らかい爪を切る時、妻は器用にこなすが、俺はいつも指を切ってしまいそうでいつもおっかなびっくりだった。

「お父さんの爪の音、大きいね」

夜に爪を切るとなんとか、という迷信など俺はちっとも気にせずに、寝る前にリビングで爪を切っていた。

そこに冷蔵庫の麦茶を飲むために、自室からリビングに入ってきた中学生の息子がそんなことを言ってきた。

「そうか?」爪の音?「うーん…。こんなもんだろ?」

そう答えたが、しんと静まり返った室内に、確かに俺の爪切りの音はよく響いていることに気づいた。それも「ばちんっ!ばちんっ!」と。

確かに、子供の頃の息子はもちろん、今の息子にしたって、妻が爪切りしている姿にしても、当然何度も見たことあるが、こんな音は立てていないなと気づく。

「おやすみ」

麦茶をぐいっと飲んで、息子はそう言った。

「ああ、おやすみ」

俺はもう爪を切ってやることのないだろう、大きくなった息子の背中を見送りながらそう答えた。

そして爪を切る。ばちんっばちんっと。

俺はギターを弾くので、妻からも「また?」と呆れられるほどしょっちゅう爪を切る。そもそも楽器弾きは、指への刺激が強いので、爪が伸びるのが早いのだ。だから切りたくて切ってるわけではなく、切る必要があって切っている。

「ばちんっ」

ふと手を止める。やはり大きな音だった。静かな部屋に、爪を切った後の余韻が残るくらい。

そういえば自分自身も子供の頃、自分の父の爪を切る音が大きな音だと感じていたのだと思い出した。確かに、父の爪を切る音は大きくて、爪切りも母用と、仕事部屋に父専用の大きなものがあったことも覚えている。

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大人の男という存在は、子供にとって畏怖する存在だ。

しかも俺の父は体つきも筋肉質で、背もあの世代にしてはまあまあ高かった。だからなおさら、小さな俺にとって大きな男であり、彼のやることなすことダイナミックに感じた。また、父の行動の後にも、豪快な大人の男の力強いオーラというか、空気感のようなものが居座っているのを感じていた。

「オレはその場所にいたぞ」、という“氣”のようなものが、濃い気配として臨在していたのだ。

そんな父とは、最後の最後まで分かり合えなかったし、最終的にはいくつかのひどい言葉を浴びせ、それが最後の会話になり、そのまま父は息を引き取った。

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言葉の力で、「言葉で伝えられないものを伝える」ことを、いつも考えています。作家であり、アーティスト、瞑想家、スピリチュアルメッセンジャーのケンスケの紡ぐ言葉で、感性を活性化し、深みと面白みのある生き方へのヒントと気づきが生まれます。1記事ごとの購入より、マガジン購読がお得です。

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