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「田舎暮らし」のススメ。(無料記事)

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数日前だが、朝8時15分からのNHKの「あさイチ」で(朝ドラ「エール」を見て、あさイチを観るのが平日の日課です…)、コ〇ナの影響から、都市部から田舎への「移住者」が増えている、という話題があって、ゆるっと見ていた。

そういう話は知っていたし、当然だと思う。

2011年の「3・11」の後にも、田舎暮らしを始める人がどどっと増えた。大半は、東京からの放射能への恐れだったが、実際に「都市生活」や従来のライフスタイルに疑問を持ち始めた人が多かったのだろう。

それと、今回に関してはなんと言っても「リモートワーク」の可能性だろう。「現場作業」の仕事の人はともかく、オフィス系の業務なら、

「あれ?直接出向かなくても、ネットで打ち合わせできるし、データを転送すれば良くね?」

と、やってる人はとっくにやっていたが、社会的にそれが浸透した。コ〇ナのおかげさまだろうし、ある意味「バレた」というのもあるのでは?

何がバレたかと言うと、「会社に毎日行かなくても良い」と判明したので、様々な経費がいらなくなった。無駄な時間が必要なくなった。そして“とりあえず出社していれば給料がもらえる”という、古き良き、悪しき日本の年功序列的な制度に則った窓際社員の不必要性がバレたのだ。

このように、仕事の“在り方”も、どんどん変わっていく。

そして「コ〇ナ離婚」のように、夫婦間、パートナーシップの変化も大きいだろう。今まで向き合ってこなかった夫婦ほど、家で顔を付き合わせる時間が増えたことにより、向き合わざるえなくなったのだ。

あらゆる在り方を、根本的に見直す時期だ。だから現状を見直す上で、生活を変える、住む場所を変えるというのは、発想として素晴らしいし、何も都会で密集して暮らす必要はない。都会は、実はいるだけでストレスがあるのだ。

かく言う我が家も、2013年6月に、東京練馬区を離れ、八ヶ岳南麓の山梨県北杜市へ家族で移住し、その半年後には、お隣の長野県富士見町へ移住し、約7年間暮らした。

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(富士山がよく見える場所でした)

だが時代の流れに逆行して、コ〇ナになって、我が家は再び東京へ戻ってきたんだけどね(笑)

そこに関しては、我が家なりの理由や考えがあるが、田舎暮らしが嫌になった訳ではなく、また機会があれば田舎にも住居スペースを作っておきたいとは思っているし、必ず実行すると思う。

しかし、家は一軒でなくてもいいし、定住地が必ずしも必要なわけではない。まさしく、これからの「風の時代」には、そんなライフスタイルをする人たちが主流になると思う。

土地や家屋に縛られず、所有概念を手放し、自由で、風の如く生きる。ここ数年、俺は月の3分の1は“ホテル暮らし”だったので、すでに風の時代を先取りしていたが、自由ってとても素晴らしいものだと実感している。今年はあまり外に出ていないが、基本的には自由なライフスタイルが好きだ。

さて、今回は、移住を考えている人や、興味のある方へ、田舎暮らしの実情や、具体例を示しながら、色々と紹介してきたいと思う。

こう見えても、7年も住んでいたのだ。コンビニまで車で10分。息子の小学校は1クラス20人弱。地元はおじいちゃんおばあちゃんまで全員顔見知り、という土地で…。

都会と田舎のリアルな違いや、『住んでみないとわからないこと』ってたくさんある。それを身に染みて知っている。田舎暮らしのメリット、デメリット。暮らしてみないとわからないことって多いのだ…。

ちなみに俺が移住したのは2013年6月だったが、実は3月末から、俺は「自然農」という農法の研修で、東京から週に一度通っていた。当時は、特急に乗れるほど金銭的余裕もなく、各駅停車で行ってたので、片道3時間以上かかっていた…。

田舎暮らしをしよう!と、夫婦で決めたのは、2012年の夏頃かもしれない。長野県、安曇野と松本へ旅行をしたのがきっかけだ。

(あ、ここに住みたい…)

漠然と思った。漠然とだ。予感、に近かったかもしれない。そして、実際に『頭』で考えても、松本市のように、大きな街には何でも揃うし、ミュージシャンの夢を諦めていた俺にとって、東京にいる理由が見つからなかった。

田舎暮らしに向けた、ネガティブとポジティブ

実際に、田舎暮らしを考えた一番の理由としては、健康オタクを極めていた事で、

「健康な食事をするには、自分で野菜を作るしかない!」と思ったり、
「都会生活が嫌になった」
「資本主義への疑問」
「都会で子供を育てたくない」など、ネガティブな要素はあった。

仕事は、ミュージシャンになるという夢はとっくに挫折し、小説家をこっそりと目指しながら(嫁は常にそこに関しては呆れていた)、田舎で農業しながら、自然の中でオーガニックカフェでもやれればいいなぁと、そんなささやかな夢を見ていた。

小説やブログは、自己表現として俺の生きる糧だったが、それらは東京でなくても、どこにいても書けるという理由は大きかった。

その他にももちろん、

「自然農をやってみたい」
「自給自足にチャレンジしたい」
「自然の中で伸び伸び暮らしたい」
などという“前向き”な理由もたくさんあった。

なんでこんな個人的なことをつらつらと書いたかというと、移住する際に考えた方がいいと思うのが、メリット・デメリットの前に、「ネガティブな動機」と「ポジティブな動機」の掘り下げだ。

ここを、甘く考えない方がいい。ネガティブな動機は、つまり「恐れ」の選択だ。恐れで始まったものは、恐れを引き寄せる。だから、極力ネガティブな動機は持ち越さず、仮に持っていても、手放せないのなら、とにかく一旦、そのネガティブな現象が「起きてもいい!」「それでもいい!」と、自分の恐れに対して腹を括ることだ。恐れを飲み込むメンタルを持った方がいい。怖いのなら、いっそのこと『覚悟』することで、恐れの周波数から開放される。

実際、俺が八ヶ岳へ移住した頃は、3・11の後で、原発や放射能を恐れている人たちの移住者が多かった。ガイガーカウンターを持って、線量を毎日測り、子供達の給食にも放射線を目を光らせて、怯えている移住者たちにたくさん会った。放射線のデータを毎日チェックして…、放射能を気にしない人たちを「彼らは何もわかってない!」と批判して…。

はっきり言って、見てて全然幸せそうでなかった…。

大体そういう「放射能コワイコワイ病」の人たちは、小さな子供がいる人が多く(中には、老夫婦で怯えている人もいた…)、親が恐れの中で生きているので、子供達も過敏そうだった。

俺は放射能に関しては、とことん持っている情報を駆使して、調べに調べまくって、裏ルートの情報も集めた結果、

「うん、この線量は毒にも薬にもならん。大丈夫や。超どーでもいいわ」

という結論で、まったく恐れていなかったが、移住した時期と、子供が6歳だったので、

「放射能、コワイですよね〜?」
「今度、給食の放射線測るので、ぜひ一緒に計りましょう!」

など、そういうお誘い(?)も多かった。まあ、その手の人たちと折り合えたなかったので、あまり友達はできなかったな…。

話を戻そう。

初めは、山梨県北杜市へ移住した。とにかく「住めるならどこでもいい」って感じで、紹介してもらった物件に住んだが、最後は揉めるハメになって、慌てて出て行った。まあ、それもいい勉強だ…。

ゴミの出し方とか(歩くと10分以上かかり、町内だけの鍵とか、何かと厳重だった)、とにかく田舎は「地域」によって差がある。事前情報があった方が何かと楽だと思う。

その後、隣の長野県諏訪郡に住んだ時は、また全然違うルールだった。こちらの方がゆるい部分は多かったかな。

地域的に、結束感が強い場所、弱い場所もあり、地域へ「ガチ」で入るか、距離を置いて入るかで、会費の額も違うし、その後の関わり合いは全然違う。

俺が住んでいたのは、たまたま、あまりその手の「地域行事」「地域の結束」に熱心ではない地区だったので、子供がいたにもかかわらず、距離を置いていた。とても楽だった。子供が少なかったから、子供会もなかったので、人付き合いが得意ではない嫁にとっては、まさに僥倖だった。これが、結束感強い地区だったら、ちょっとしんどかっただろう。そういう話は、ちょいちょい耳にしたことがある。

田舎では、各地区で「会費」が発生する。俺はちょっと特例で「別荘扱い」ということで、年会費は2万ちょっとかな…。地域にしっかりと根差す『正会員(?)』のような人は、入るだけで10万くらい払う場合もある。年会費ももっと少し高い。そして、そのお金が何に使われているのかは、地域の長老たちしか知らない、と言うこともある…。(地区の整備とか、公民館の管理費という言い分だが、主に飲み会に使われている気がする…)

田舎の伝統と慣習

様々な古い慣習が、田舎はたくさん残っているが、今後は変化していくのでは?と思う。

俺の住んでいた諏訪地方には「御柱祭」という伝統的な祭りがある。これは、どんな地域に行っても、それぞれの風習や伝統はあるだろう。

だが実際のところ、若い人たちの意見を聞くと、祭りに思い入れどころか、「嫌々やってる」人が多かった印象を受けた。張り切っているのは、仕事をリタイヤした老人ばかり。そのギャップが激しかった。

忙しく働いてる人が、好きならばともかく、祭りの1年前から毎週土日は練習と会議と飲み会…。家族と過ごす時間が取れず、諏訪地方では御柱祭の年は離婚率が高まるという話もある。

田舎は古い慣習への強制力や同調圧力は確かに強い場合は多い。おそらく、日本の多くの田舎で、そういう「伝統」に縛られた風習で、意見が分離している場所は多いだろうし、移住者にも、そういう圧が強い地域もあるかもしれない。

しかし、ここは思い切って「無視」しても良いと思う。そんなやり方、もうこれからの時代は通用しない。

そしてしょせん日本人。最低限のことさえ守れば、向こうもそこまで強気には来ない。もちろん、好かれるということはないが、無理に仲良くする必要もないと思う。

人間関係。どうしたって合わないものは合わない。すべての人と仲良くしようとすると、それはそれで、都会とは違ったストレスを抱える事になる。だから、その辺の割り切り、開き直り、ドライな距離感は、大切にした方が、自分の幸せのためだ。郷に入れば郷に従え、的な事を言う老人もいるが、ほどほど、テキトー、いい塩梅の愛想笑いで切り抜ける要領の良さがないとやっていけない。

さて、あえて、マイナス面なことを先に書いてみた。どうだろう?気持ちが萎えたかな?(笑)でも、これくらいのことは飲み込める強さがあった方がいい。

そして、ここからは田舎暮らしの素晴らしさを述べていくぞ!田舎暮らしは本当に素晴らしいのだ!

水と空気

まず、何と言っても空気がいい。朝起きて深呼吸するだけで、胸が洗われるようだった。水道水は、カルキ臭は地区によってはそれなりにするが、都会より遥かにましだ。シャワーの湯も柔らかい。

水と空気。これはあまりに「当たり前」すぎてわからないかもしれないが、この二つが美味いって、最高に贅沢なのである。これは「旅行」レベルではわからない。住んでみて、身体の変化と共に実感し、ありがたみに気付ける。

豊かな自然

田舎はどこでも、ちょっと足を伸ばせば森林浴ができる。それがいちばんの「癒し」だ。景色も、俺が住んでいた八ヶ岳山麓は抜群で、都会の夜景を「〇〇ドルの夜景」なんて例えるが、神々しい山景色の方が、俺には遥かに魅力的だった。

人間、生きる上で『癒し』が必要である。都会の中の癒しと違い、自然の持つ力は、本当にすごい浄化力を持ち、身を起くだけで心身洗われる。また、自然の神秘には、「神の存在」や「スピリチュアル(霊性)」との関係も露わになる。

何と言っても俺の場合は「八ヶ岳」という山だった。山登りにすっかり魅了された。移住するまでは、まさか自分が登山好きになるとは、まったく思いもよらなかった。(そもそも俺は海育ちで、山よりも海派だったのだ)

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(八ヶ岳。権現岳山頂)

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(諏訪湖が前面凍りつき、ひび割れる『御神渡り』現象。7年間で一度だけ見れた)

川や池などの水場があったり、とにかく心が豊かになる場所であふれている。余計な騒音も少なくて、目を閉じているだけで、心が鎮まり、活力が湧いていくる。

車生活について

車は必須だ。免許と車がないと、田舎暮らしはちょっと難しい。そこが「田舎は不便」と思われる理由だ。しかし、逆に言えば「車さえあれば超便利」でもある。

実際のところ、日本中、たいていどこでも同じような品物が手に入る。Amazonや楽天もある。そうなるとむしろ、新鮮野菜を変える田舎の方がメリットが強いとすら思う。便利さは、アパレルや飲食店のチョイスが減るだけで、都会と田舎でスーパーなどの品揃えは変わらない。病院も、どこにだってある。日本中病院だらけ、薬局だらけだ。

そして車は「軽自動車」で十分だ。移動のためなら、中古で安いものはたくさんある。税金も安いし、何より小回りが利く。

ただ、地域によっては“冬タイヤ”のこととか「四駆」とか、色々と条件はある。そこは唯一面倒だが、車がある分、足を伸ばしてどこかに行くのも楽だし、渋滞知らず、信号知らずで、快適なドライブを楽しめる。

一つ問題が、あまりにも車生活になり、運動不足になりがちなので、その辺の健康管理は、しっかりしたいところだ。

家庭菜園、農業について

庭付きで、自宅で家庭菜園やガーデニングができれば最高だが、田畑に関しては、地元で数人と顔見知りになれば、“借り放題”だと思ってもらっていい。なんせ土地が余っていて、むしろ「使って欲しい」と思っている人が多いのだ。

ただし「やるならしっかり管理すること」は、必須だ。特に、田舎の人はなぜか『雑草』を嫌うので、草刈りは定期的にしっかりこなすこと。それさえやれば問題ない。
(ただし、無農薬農法を嫌がる人もいるがね…。使ってるフリをした方がいいケースもある)

畑作業は、田舎暮らしの醍醐味かもしれない。ぜひ、考えて欲しいです。どんな小さな規模でも。ガーデニングでもいい。

土に触れる。自然に触れる。植物に寄り添う…、

これらが経験“ある”と“ない”とでは、はっきり言って人間的に深みが違うと思う。命に触れる、命を育て、それをいただくって、宇宙の神秘であり、この世界の真実であり、圧倒的な「リアル」なのだ。

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(小さい大根。どうも、俺は大根がうまくできなかったな…。葉っぱばかり食ってた…)

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(秋に収穫したキノコ。全部食えるキノコです。主に「ハナイグチ」というキノコで、「ジゴボウ」と長野県では言われている。スープにすると、とろみがでて、超絶美味い出汁が出ます。ただし、キノコ狩りは、最初は慣れた人と行ってね)

玉ねぎ

(実は、無肥料で玉ねぎを作るのは難しい、とされているが、ご覧の通り、立派な玉ねぎが収穫できました。なので超嬉しかったんです)

収穫物

(これは春、ですね。絹さや、スナップエンドウ、株、春菊、小松菜、玉ねぎ。左のサニーレタスは、株から切らず、外葉を毟っていくと、かなり長い期間食べれる)

ぜひ、田舎暮らしをするのなら、余った土地を有効活用して、植物と触れ合って欲しい。

ちなみに『現実的』な話でも、家庭菜園や農業体験は、とても良いことづくめ。

まず、上記の車社会による運動不足解消にもってこいだ。そして、食料自給率の低い日本。「やればできるじゃん!」ってことがわかれば、災害だろうが、何が起きても何となかるってわかるし、そして何と言っても…

「自分で作った野菜は爆うま!!」

なんです。これって、宇宙の法則なんだよ。「与えたものを受け取る」だからね。

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(上。畑で取れた不格好なさつまいも。無肥料無農薬でも、条件さえ重なれば、こんなに巨大な芋が取れる時もある)

(下、水田を、稲刈り前に「大麦」の種を播き、お米の苗植えの前に刈り取る。この写真は2014年かな。大麦は栄養の宝庫)

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大麦

(これが大麦。脱穀前。戦前の日本人は「麦飯」をよく食べていた。とても健康に良いが、GHQの指導の元、大麦よりも「小麦」を推奨されて、大麦はあまり作られなくなった…)

草刈り

(草刈り前の自撮り(笑)。この頃から「農業も“おしゃれ”にやらないとね!」と、意識し始めていた。そう、お洒落でカワイくてカッコよく、大地と触れ合うことができるのです)

ちなみに、こちらのnoteも是非読んで欲しい!農業や食のこと、考えるきっかけに、本当の事を知ろう!

子育てについて

田舎暮らしの目的に、「子供を自然の中で育てたい!」という人は多いだろうし、うちも、そういう目的はあった。

子育てには、なんだかんだ言って、幼いうちに田舎の雄大な景色を見せれるのは、後々の財産になると思う。

今の時代は、どこにいても日本中デジタル化されていて、子供達は「デジタルネイチャー世代」。男の子はもっぱらゲームやスマホに夢中になる。しかしそれでも、自然の中に囲まれて、自然と共に過ごすという体験を、幼い頃に経験しておくって、素晴らしいことだと思う。

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(南アルプス連峰の北端にある入笠山。麓に「パノラマリゾート」というスキー場もある。こちらは初心者も登りやすいよ。2014年ごろの写真かな)

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(八ヶ岳の硫黄岳。2760メートル!。こっちはガチ登山でした。当時1年生の息子と、夏に登り、山小屋に一泊した。息子君、超がんばりました。しかし、ハード体験すぎて、彼は山はこりごりになったようです…。)

俺も、息子と山登りとかできたことは、とても良い思い出だ。嫌がる時もあったが、それでも、一緒に山の頂で過ごした時間は、俺の中では格別の思い出であり、息子も、その時の景色や苦労をよく覚えている。そして、息子は体育会系ではないが、歩かせるとかなり健脚だ。幼い頃の体験が根付いているのかな?

あと、学校でも「米作り」とかをやらせてもらえる小学校は多いし、保育園や幼稚園も、自然の中の遊びが、かなりダイナミックだったりする。都会では経験できない遊びは多い。登山や遠足も、田舎の小学校は都会の学校よりガチです。

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(多分、2014年かなぁ。自然農で育てたお米を、稲刈り後にハザ掛け(天日干し)。自然農は3年間やって、普通の田んぼでの米作りは2017年まで続けた。自然農と、普通の田んぼ。米は完全自給自足できた。それにしても、俺の顔が全然違うな…笑)

田舎での人間関係

人間関係は、同じような移住者が今はあちこちにいるので、移住者同士は気が合うし、話も合う可能性が高い。地区によって、若い人中心の「ファミリー移住」「就農移住」が多い場所や「リタイヤ組移住」「別荘移住」が多い地区がある。

移住者同士はやはり親しくなりやすしし、移住の先輩たちは、必ず相談に乗ってくれる。そこをきっかけに、すぐに人間関係は広がるだろう。もちろん子供がいると、子供を通して、ママ友パパ友から、さらに輪が広がりやすい。

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(茶々丸くんとの出会い。大家さんチの猫です)

ただ、ポイントは「こちらから心を開く!」ってことだ。それがないと、移住者同士だろうが、地区の住人たちだろうが、親しくはなれない。素直に、心を開き、自分から、腹を割って話そう。日本人同士。悪い人なんてそうそういるもんじゃないから大丈夫だ。

田舎暮らしの準備

準備、ってことは特にない。実際、日本はどこに行っても対して代わり映えない。どんな田舎でも、車で1時間とか2時間もあれば、それなりの中都市に辿り着き、そこで何でも揃うだろう。

寒さとか、不便さのようなものって、なんだかんだ「大袈裟」に聞かされたりもする。不動産屋や、先駆者も、「〇〇は大変だった」的な話をしたがる。武勇伝であったり、リスクマネジメントだったり。

確かに、そういうことはあるだろう。都会ではありえないような不便さも、時にはある。俺も移住して、初めての冬に、山梨から長野県中部にかけて、100年に一度もないような、記録的な大雪に見舞われた。

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(これは、大雪とは関係ない写真です。実際、大雪の時は2週連続で1メートル以上の雪が積もり、交通網は完全にストップ。陸の孤島となり、死者もでたと思う)

ただし、こういうのって生きている限り、何があるかなんてわからないのだ。この時に、就農移住したばかりの知人が、ビニールハウスが潰れたり、大変な目に合ってた人もいた。

災害は「〇〇に行けば大丈夫!」ってことはない。どこにっても、遭う時は遭うのだ。それくらいの覚悟がなければ、この未曾有の大転換の時代、生きていけないのでは?

田舎の人は、ぜひ一度は都会暮らしをしてみることをお勧めするが、都会暮らしを経験したら、ぜひ田舎暮らしをやってみて欲しい。田舎の暖かみ、田舎のゆるさ、おだやかさ。そこには、我々が久しく忘れていた、日本人の「心」がある。

都会に住む理由なんて、どんどんなくなってくる。ぜひ、移住を真剣に考えてみては?





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