小話「男女平等条約」と「性別は選べる?」について
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小話「男女平等条約」と「性別は選べる?」について
「やった!ついに、この時が来た!世界から、性差別がなくなった!」
オレはスマホを見ながら、可決された法案のニュースを見て力強くガッツポーズを決めながら叫んだ。
そう、オレはトランスジェンダーだ!いや、違う違う!あたしは女!体は男だけど、心は女なの!だからホルモン注射して、女心を鍛えているのよ!
「え?あの法案、通ったんだ!男女平等条約?」
友人のホゲ夫が驚きながら言う。
「政治家にもトランスジェンダー仲間が増えたおかげで法案が可決された!これでこの国から男女という枠組みが変わるぜ!」
「生まれた時の性別は、途中で変更できるってやつ?じゃあ、お前はこれから、正式に、性別が、女?」
「そうよ!なんてったって審査基準はホルモン値!」
「でも…、それってどうなんだろうなぁ」
ホゲ夫はそう訝しがるが、
「だってそうでしょ?女なら女性ホルモンが多くて、男なら男性ホルモンが多いでしょ? それが判断基準でいいじゃない? オレ…、じゃなくて、あたしは油断すると男性ホルモンが多くなるから、定期的に女性ホルモン打ってるの。それで検査したら、あたしは国に正式に「女」として認められたのよ!」
「そういうことなのかな…」
「そう!これであたしはもうむさ苦しい男湯なんて入らない!おっさんがくそしている男子トイレなんて入らない!汗臭い男がいる男子更衣室なんて入らない! これからは女子トイレで用を足すし、あ、もちろん座ってね!、お風呂は女子たちと一緒!プールの更衣室も女子更衣室よ!」
「ま、まじか?」
「そうよ!やった!女性ホルモン万歳!考えるだけでアレが固くなっちゃう!」
「そんなに、男湯とか嫌だったの?」
「あ、また髭が生えてきた。ホルモン注射打たないと。え? そうそう、そーなよの!嫌に決まってるでしょ!だってあたしは本当は女なのよ!あたしの仲間、けっこういるのよ?みんな女子トイレや女子更衣室に憧れていたの!でもこれで堂々と入れるわ」
「でも、体は男なんだろ? 性転換手術とかして、見た目が完全に女ならわかるけど…」
「え?性転換手術? いやだーん!そんなの痛そうじゃない! いいのよ! 体は男、心は女。大事なのは心よ! 人間見た目じゃないの!」
「いや、お前はどっからどう見ても男だし…」
「だから! それがなんだってんだよ! 俺…、あたしのホルモンは女なんだよ!文句言うならぶっ飛ば…、じゃなくて、出るとこ出るわよ? あんた、そんなこと言ったら男女平等条約に逆らったってことで立派な犯罪よ?」
「わかったわかった。怒るなよ。すぐにキレて乱暴になる癖は女性ホルモンが多くてもかわらねぇな…」
「さて、さっそく女子トイレ行って、大好きなサウナも、女湯で入れるわ。女子トークが楽しみ!素晴らしい法律ができてよかったわん!」
「なあ、ひょっとして俺も、ホルモン注射打って、女ですって言えば、女子更衣室入っていいのかな?」
おわり
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性別は選べる?
ちょっとふざけた話を書きました。
差別をしたいわけでも、LGBTを否定したり、反対しているわけでもなく、ちょっと大袈裟にデフォルメしただけです。
「私は体は男だけど、心は女!だから男子トイレは嫌なの!女湯に入って、女子トイレに入れないなんてジェンダー差別よ!これからは性別は自分で選ぶ時代!」
みたいな論争が本気であるのだから驚きです。
ジェンダー差別がなくなったら、女湯に入りたい男性トランスジェンダーや、女子トイレに入りたい男性トランスジェンダーがいて、もし法律でそうなったら、多分彼ら(彼女ら?)はそうするんでしょう。
でも、女性トランスジェンダーが、
「俺は体は女だけど心は男だ!だから男湯に入れろ!」
という声がないのはなぜでしょう?
実際にホルモン値で体は男性だけど「女性」と認められて女子刑務所に入ったイギリス人男性がいて、収監中にレイプ事件を起こしてる輩がいるんだけど、
あと、スポーツとかもけっこう言われてるよね。「元」男性、女子アスリートの好成績。(これも、逆はいないよな…)
「性別は選べる」
って?いや、そこまでして選びたいのか? りんごはずっとりんごで、途中で「俺はキャベツだ!」とか言わないし、犬は犬のままで、ある時に「あたしは実は猫なの!」って言わない。
ちなみにゲイやホモ・セクシャルを否定しているわけでなくて、そういうのは「文化」としてどの国にもかつてあった。キリスト教文化やイスラム文化が「同性愛」を否定してて、今のグローバル化社会がどうしてもキリスト教文化圏中心だからそうなってるけど、日本もかつては普通にあった。古代ギリシャなんかもたくさんそういう記述がある。
だけど、それを「法」とかに結びつけるのはなんだか違和感しかないし、そもそもトランスジェンダーの人がいるのはわかるけど、『本当のトランスジェンダー』の人って、けっこう少ないと思う。
大半が「自己否定」が強く、それを「ジェンダー」に結びつけることで、自尊心を保っているのでは? という、学者の説もあり、僕もその説が概ね合っていると考えている。
特に女性で自らの性を否定している人は、幼少期や若年期に、なんだからの「ジェンダーによるトラブル」や「ジェンダーがらみの心の傷」があったのでは?
要するに、「自分が嫌い」なのだ。自分が嫌いだと、自分に付随するあらゆるものも嫌いになるので、当然自分の性別も嫌いになるだろう。
何度も言うけど、僕はそういう人たちを差別はしていない。
ちなみに、男性のトランスジェンダー。つまり「ゲイ」と呼ばれる人たちの方が圧倒的に多い、というか生まれやすいという根拠のようなものがある。
母体が妊娠初期の頃、脳を形成される際に母体に強いストレスがかかると、胎児に男性ホルモン分泌がされなくなり、女性ホルモン優位の脳が形成されると聞いたことがある。
母親は当然女性なので、どうしても男性ホルモンが少ない。だから母体が肉体的、精神的に危機を感じると、全体的にホルモン分泌が減り、結果として、男性の脳を作るためのホルモンが行き渡らないとか…。
文献の所載は覚えていないけど、旧ソ連でそういう「非人道的」な実験があったと、何かで読んだことがある。妊娠初期の妊婦をたくさん集めて、ストレスをかけて、その後、生まれた子供を追跡調査したら、男性はかなり高い確率でゲイになったと。
ちなみに、母体に激しいストレスを受けた際に、胎児が女の子だった場合、その女の子は「おっとり」とした、「おとなしい」「優しい」女性になったそうだ。要するに、「女の子らしい女の子」ってわけだ。男性的な要素が少ないから、攻撃性とか支配欲が少なくなるのかもしれない。
僕が出会ったセクシャルマイノリティの人たち
ちなみに、ゲイだからといって、「心は女」というわけではない。男らしいゲイもたくさんいる。
僕は昔よく新宿2丁目で飲み歩いていたり、ゲイやオカマと呼ばれるような人たちともたくさん出会った。体も女性を目指しているタイプや、男なんだけど、男が好き、という男もいた。
ただ、彼らは往々にして繊細な感性を持っていて、男性と女性の両方の良さを持っていて、ユニークな人たちだった。
彼らは彼らで、社会との軋轢あっただろうし、親とか知人とのトラブルもあっただろう。でも、マイノリティを楽しんでいるようにも見えた。もちろん、僕がたまたま、そういう明るい人たちにしか会わなかっただけかもしれないけど。
多様性という名の下の、均一化された世界
多様性のある社会。それは結構だ。しかし、均一化したり、形式化するのは危険なことだと思う。
グローバル化もそうで、一見多様性を尊重しているようだが、ある意味すべてを淘汰しようとしているようにも見える。民族浄化やホロコーストまがいの「グローバリズム」は、ただの人類家畜化計画に思える。
多様性ある社会とは「違いが尊重される」世界だ。
性別は違っていいし、体が男で、心が女でも、その逆でもいい。そういう人がいてもいい。それは平等に「人として」尊重されるべきだろう。
でも、男子トイレは「男性の体」が持つ人が利用するのが、男と女が暮らすこの世界のルールとして、男性の体を持つ人が女子トイレや女子更衣室に入るのはどう考えてもおかしいだろう?
まずそんなの女性の方が嫌がるに決まってる。いくら「私は女よ!」と言っても、見た目が男じゃね…。
なぜかというと、考える前でもなく、性的暴力に晒される確率がぐんと上がるからだ。
上記のイギリスの刑務所にしろ、似たような事件はあるし、自己申告性とホルモン検査で性別が決まってしまうのなら、十分にあり得る。だから仮にそのような「証明書」があったとしても、信用はできない。
女性が嫌がったり、怖がるようなルールが「男女平等?」なのか? そもそも、それが“本物”のトランスジェンダーの方が目指す「ジェンダーフリー」なのか?
そんなわけないだろう。
しかしこんな議論がある事態が、我々をただ混乱させたいだけの茶番かもしれない。
混乱させて、真実を見えなくさせるのだ。対立させて、その対立を煽る勢力は見えなくさせている。昨今のコオロギ食品とか、コロナもそうだったし、本命は見えないところで進行しているのでは?
だから我々にできることは、そんな不毛な議論に巻き込まれたり、めくじら立てて反論するのではなく、違いを尊重し、「相手が嫌がることをしない」という、当たり前のマナーとして、男が女湯に入るのはおかしいよね?という、人としてのモラルを冷静に判断すればいい。
そのような政治的な問題になるのであればなおさら、政治を全員でボイコットするくらいの団結があれば、政治は意味をなさなくなる。
そもそもさ、世の中というか、人生ってやつには、
「どうにもならないこと」
ってのがあっていいと思うんだよ?
「頑張れば夢は叶う!」っていう気持ちも大事だけど、「どう足掻いてもできないこと」があるってのが、この世界の仕組みであり、なにがなんでも克服してやろう、コントロールしてやろうとするのは、人間のエゴなんじゃないの?
これも白人文化圏の考え方かな? ほら、僕は登山が好きだけど、欧米人って、登頂したら「この山を征服した!」みたないことを言う人いるんだよ(笑)。東洋人にはない考えだよね。だって、そんな大自然を支配したり、コントロールできるわけないじゃない。
「どうにもならないこと」として、自分の見た目とか、体とか、声とか、人種や肌の色、生まれた国、生まれた家ってのがあるのが、この世の仕組みじゃないの?
それと戦うよりも、受け入れて、他の楽しいことを探した方が、絶対幸せだと思う。
まあ、これは僕がそう思う、ってだけ。社会は「ジェンダーフリー」を押し付けているような気がするけど、僕は自分の考えを押し付ける気はない。
ただ、僕はこう思う。君はどう思う?と、投げかけたいだけだし、友達なら対話をしたいだけさ。
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