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蝉の声と、初めての同棲と線路の音。

セミが鳴き始めた。夏の風物詩だ。虫の声は、気温とか、〇月〇日とか、そんな具体性のある数字よりも、時に肉感あるリアリティを持って、我々に季節を教えてくれる。

しかし、最近知ったのだが、実は日本人以外(ポリネシアの一部の民族もそうらしいが…)の国の民族は、「虫の“声”」とは思わず、蝉にしろ、コオロギやら鈴虫やらの鳴き声は、「虫の“音”」らしい。

日本人だけが、虫の声、木々のざわめき、鳥の声や、田舎ならカエルの声などを、言語などを認識する「左脳」で聞き取り、判断するが、他のあらゆる民族は、それらの自然音を「右脳」で判断するらしい。

これは、その脳の仕組みを、科学的に発見した東京医科歯科大学の『角田教授』が体験した話だそうだが、角田教授が外国のイベントに参加した際のこと。

キューバで開かれた、科学的なアカデミーらしく、会場の周りは田舎だったという。建物の中にいても聞こえるくらいの、虫の大合唱だったそうな。

しかし、「すごい虫の声ですね」と、教授が言っても、参加していた欧米人、キューバ人、誰も「え?なんのことですか?」と、誰一人虫の声が聞こえていなかったという。

「疲れているんですね。早めに休んでください」と、教授の頭を心配されるほどで、教授自身も、自分の耳や、頭がおかしくなったのかと疑ったという。

数日現地で過ごして、ずっと一緒にいたキューバ人の男性は、3日後に「ああ、この音ですか…」と、ようやく虫の声を認識したという。しかし、そこに何の情緒も感じていなかったそうだ。

どうやら、虫の声は、彼らにとっては「騒音の一部」らしく、耳には聞こえていても、認識していなかったらしい。

教授はその事実に驚き、脳の構造など科学的に研究・調査した結果、日本人は「左脳」で自然の音を捉え、他の国の人は、自然の音を「右脳」で感じていると言う事を発見したそうだ。

ちなみに、これで遺伝子ではなく、10歳くらいまでの、日本語圏で育ち、日本語を母国語として育った人は、皆、自然の音を「声」として、左脳認識できるようになるらしい。

『音』や『言霊』を研究している俺にとっては、なんとも不思議な話であり、日本人として、興味のつきない話だ。日本人は、自然音を、左脳の「論理的」に解釈できるのだ。つまり、自然の中の音に、『言葉』のような、意思を感知しているのかもしれない…。

しかし、人間の耳って不思議だ。

スマートフォンなどの録音機能を使って、例えばカフェの会話なんかを録音すると、実に騒がしいことがわかる。しかし、その騒がしい中で、人は皆、普通に会話をしている。これは、自分に必要な音と、不必要な音を、脳が選別し、会話などの音を明確に聞き分けているからできるそうだ。

集音マイクでは、等しく全ての音を拾うので、録音された音は雑音などが混じり聞き取りづらいが、人間の脳は、自動的に、しかも瞬時に、そんな計算が行われている。

虫の声や、水のせせらぎの音が「雑音」と認識される人たちにとっては、耳に入っているけど、意識には上ってこないということだ。

自身の体験で、「人間の耳ってすごいなぁ」と感じた事がある。いや、耳、というより、適応力とか、脳の力というか…、それらすべてに、自分のことながら感心したのだ。

先日、蝉の声を聞いて、そんな科学的エビデンスを思い出しつつ、俺はつい昔の事をふいに、リアルに思い出した。ここ何年も思い出しもしなかったが、なぜかふっと思い出された。あなたもそんなことないだろうか?ちょっとした記憶の連鎖から、大雑把な連想ゲームのように記憶が飛び、しかも、それが香りや質感を伴うくらいの記憶…。

色んな事を思い出していたら、文章にしたくなったので、こうして筆を取る(実際はパソコンのキーボードに指を走らせるのだが)。

*****

もう15年ほど前の事だ。俺は約3ヶ月ほど、線路の近くに暮らしたことがある。

5年間暮らした、赤羽の一人暮らしのアパートを引き払い、とある年上の女性の家に転がり込んだのだ。

その家が、線路から約25メートルほどの距離にある古い木造の一軒家で、電車が通るたびに、踏切の「カンカンカンカンカン…」という音と、その後しばらくて、実際に電車が線路を勢いよく失踪する音がはっきりと聞こえるという立地だった。しかも、家は電車が通るたびに微かに振動した。

その女性との出会いや馴れ初めについては割愛しておこう。恋の話は、秘めておきたいのが人情ってものだし、正直、どうして彼女とそんな関係になったのか、なんともよくわからないのだ。不思議な引力というか、大きな力が働き、我々を一時的に結びつけ、大きく動かした。個人の意識を超えた何かが、我々を突き動かした。

「一緒に住まない?」と、その同棲のアイディアは、彼女の方から提案された。出会って1ヶ月ほどだったが、『家賃が浮く』というシンプルな理由で、誘われるままに俺はそのアイディアを受け入れた。

当時はすでに消費者金融に、100万ほどの借入があったので、とにかく生活費を少しでも節約し、借金を減らしたかったのだ。(しかしその後、俺の借金はもっと増えることになったのだが…)

何度かその家に寝泊りはしていたので、電車の音や振動のことはよく知っていた。朝は5時前から、夜は深夜2時頃まで。朝のラッシュ時は、ほぼ鳴りっぱなし、振動しっぱなしだ。

蝉の声や、鳥の声、川のせせらぎには情緒を感じれるのかもしれないが、残念ながら踏切の音と、鉄の塊が鉄のレールを勢いよく走り抜ける轟音は、残念ながら情緒を感じることはなかった。

元々デリケートな体質の俺で、一抹の不安はあったが、ちょっとくらい寝不足になるよりも、それよりも家賃や光熱費が浮くのメリットを優先した。(ま、なんとかなるだろう)と、基本的に、その辺は楽観的だった。

しかし、いざその家で『暮らし』てみると、まったく眠れなかった。

うとうとした頃に「…カンカンカンカン…」と聞こえ、電車が通り、家が揺れる…。ようやく眠れたと思ったら、朝の4時台から東京都心の電車は動き出す。夜はまだいい。どうせ寝るのが1時過ぎだ。しかし、朝はせいぜい7時くらいまでは眠っていたい…。

ちなみに、それまで何度か寝泊りした時は、またその女性と知り合ったばかりだったせいか、終始興奮状態だったし、実際セックスばかりして疲れ果てていたせいか、それなりに眠れていたのだ。しかし、“普通の生活”が始まるとセックスだけしているわけにもいかず、夜はきちんと眠らないとならない。

耳栓をすれば大丈夫だろう、などと思っていたが、気にすればするほど、俺を眠りの世界から遠ざける。

(これは困ったなぁ)

と思った。しかし、26歳。謎の呼吸不全からもかなり回復もしていたし、うつ病のような状態もなかった。ひどい不眠症を何度も体験しているので、大した深刻には思えなかったのだ。借金もそう。一度、底辺を知ると、大抵のことが許せてしまう。電車の音で睡眠不足?世の中には、もっともっと×100くらい、困り果てててしまうことがあるんだから、ワガママ言ってられない…。

だが、そこで暮らして4、5日目くらいから、俺はその騒音の中、熟睡できるようになっていた。音も、振動も、まったく気にならないのだ。

もちろん、東京23区。電車は縦横無尽に走り続けている。踏切はひっきりなしに鳴り続け、金属のレールを軋ませながら、時には乗車率300パーセントという、基準不明の数値を弾き出しつつ、人々を運ぶための鉄の塊が走っているのだ。しかし、その音が、自分の世界からまるで抜け落ちてしまったかのように、まったく気にならなくなってしまった。

こちから意識的に、音に注意を向けると、(ああ、揺れてるなぁ)とか(電車が通ってるなぁ)とわかるが、取り立て意識しない限りは、電車の存在などまったく気にならない、どころか「電車や踏切など存在しない」というレベルまで、俺は気にならなくなっていた。

自分の適応力に驚いたものだ。人間は、生きるために必要な能力を、その場その場の環境で、身につけていくのだ。なんか、その事実は、俺にとって大きな自信になった。自分はどんな場所でも、どんな環境でも、適応してたくましく生きていけると思った。そんな自分や、生物としてのたくましさに感動すら覚えたものだ。

しかし、結果を先に言うと、その女性との同棲はあっけなく破綻し、同じ屋根の下で暮らしながら、その後、家を出る直前まで、顔をたまに見ても、一言も会話をしない日が続いた。俺からは挨拶くらいはしたが、ほぼほぼ無視され続けた。

「一緒に住もう」と言ってきた女性が、俺がいざそこに住んで2週間後には、「今すぐ出て行って!」と、態度を変貌させてしまった。

どうしてそんなに怒らせてしまったのか?実は未だによくわかってない。

直接の原因は、『二人で一緒に近所の居酒屋に食事に行った店で、隣の席の女性に話しかけられた際、ニヤニヤして鼻の下を伸ばして話していた』という事件(?)がきっかけで、彼女を激しく怒らせてしまったが、他にもなんだかあれこれと、小言を言われた気がする。たくさんの、気に入らないことがあったようだ。

しかし、俺にはどれもぴんと来ないことばかりだったし、俺はその人のことがそれなりに好きだったので、ショックであり、悲しいことだった。

だが、俺が悲しもうと傷つこうと、家主である彼女はもう俺と顔を合わせるのも嫌になってしまったらしく「すぐに出てけ!」と…。

「1、2ヶ月、待ってくれ、なんとかそれまでに引越しの初期費用を貯めるから」と懇願した結果、それはなんとか受け入れてもらえた。

結局、俺は家賃が浮いて、自分の時間が増やせる、なんて思っていたのが、次の引越しのための資金を急ピッチで貯めないとならなくなった。ほぼ休みなしで、かけもちでバイトして、それでも足りない分はまた金を借金して、練馬区の端、西武新宿線沿線沿いのワンルームのアパートを見つけ、引っ越した。

最後に荷物をまとめて出ていく間際に、俺の捨てたゴミの分別ができてないだのどうのとキレられて、それでいい加減にこちらも我慢の限界で、最後は怒鳴り合いながら、最悪の別れとなった。もちろん、それ以来その人とは連絡すらとっていない。

3ヶ月弱の「はじめての同棲」は、そうして終わりを告げた。嵐のような数ヶ月だったが、彼女がいなかったら、俺はなかなか赤羽のアパートを出ることは難しかったかもしれないので、見事な天の采配だと、感謝している。

まあ、いろんな勉強になった女性だったが、とにかくその女性とは離れることができて、線路沿いの家ともおさらばになった。

練馬区の外れのアパートは、少し歩くと畑がたくさんあり、「ここって東京?」と聞きたくなるほどの田舎風景。西武新宿線で、新宿や高田馬場から乗って、最寄りの駅に降り立つと、明らかに空気が美味しかった。

さて、そこは今度はとても静かだった。深夜には、道路もほとんど車が通らない。久々の静かな夜を、再び手に入れた…、はずだったが、今度はなんと静かすぎて落ち着かない、というおかしな自体に陥った。

夜中にふと、「しーん…」とした中に目が覚めたりして、なんだか落ち着かない気分になるのだ。あの線路の音や、振動音がなくなったことで、逆にペースを乱してしまった。

もちろん、それも4、5日したら気にならなくなったが、人間って本当におかしなものだ。結局、人間って習慣でできているもんなんだよね。

さて、とりあえず、季節は7月末。2020年は、梅雨明けが遅いのか、ないのか、とにかく、毎日じめじめしているが、セミが鳴き始めて、日本人の俺は、情緒を感じるのである。

⭐︎著書


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言葉の力で、「言葉で伝えられないものを伝える」ことを、いつも考えています。作家であり、アーティスト、瞑想家、スピリチュアルメッセンジャーのケンスケの紡ぐ言葉で、感性を活性化し、深みと面白みのある生き方へのヒントと気づきが生まれます。1記事ごとの購入より、マガジン購読がお得です。

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