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ルネサンスの寵児、フィリッポ。 空間の美しさ。Part.3

天才と呼ばれる人に共通しているのは、ゼロから1を作り出せる人ではないか。彼らの作品を通して、つくづくと感じます。

吹き抜けのドゥオーモ

クーポラの八角系の台座、実は、中心が合わないんです。

あれ? 微妙に合わなくなっちゃった。正確に造ったはずなんだけどなぁ。おかしぃなあ。ごめん、後世の諸君!よろしくね!

と丸投げされてしまい、後世の人々は困った。どう建てていいのやら、どこから手を出したらいいのや、とんとわからず。

1296年から建て始め、1380年にはクーポラ以外はほぼ完成。

途中で、黒ペストが蔓延する非常事態があったのにも関わらず、100年もかけずに、ここまで建てるなんて、フィレンツェ人とイタリア人って、人種が違うのかもしれない。苦笑。

が、その後、空白期間に突入。クーポラが着工される1420年までの40年間は、空に向けて、ぽっかり穴の空いた吹き抜け状態が続きます。

あー、はやく、誰か天井を作ってくれないかなぁ。

雨の日や風の日、冬の季節は、かなり厳しかったでしょう。もしかしたら、ミサは、ほかの教会で行われていたのかもしれません。

でも、春から夏にかけての、晴天の日の、吹き抜けの大聖堂でのミサは、それはそれで、気持ちよかったんじゃないかなぁ。

フィリッポ、敗れる!

時間を戻して1401年。吹き抜けの大聖堂の正面に立つ、洗礼堂の扉コンクールが開催されます。

最終選考まで残ったものの、ロレンツォ・ギベルティなる彫金師に破れ、傷心し、ローマへと向かう青年フィリッポ。

僕も一緒に行くー!と同行したドナッテロと共に、古代ローマの遺跡を研究する日々。

まさか15年後に、クーポラ建築の総合監督になろうとは、夢にも思わなかったのか、その野望があったからこそ、ローマへ向かったのか。

人のさまざまな物語が交錯して織りなす歴史。もし扉コンクールでフィリッポが優勝していたら、また別なストーリーが生まれていたかもしれません。いったい、どんな天井が作られたのでしょうか。

ある日、パンテオンを訪れたフィリッポ。

ぽっかり天井に穴の空いた、建築構造に関心を抱き、壁の厚み、材料、縦、横、高さ、徹底的に、隅々まで、調べあげます。

よし!これだ!これでいいはずだ! おい、ドナテッロ、クーポラのコンクールに参加するから、フィレンツェへ戻るぞ。

フィリッポ VS ロレンツォ  

コンクールでは、最終選考に残るも、にっくき仇敵、目の上のたんこぶ、ロレンツォ・ギベルティとの一騎打ち。検討の結果、フィレンツェ政府はこう考えた。

ブルネレスキの案を通すとしよう。だが、彼はフィレンツェをずっと留守にしていたから、どんな人物か掴みきれん。仕事ができて、信頼のある、ロレンツォと、共同作業をさせたらどうか。

共同作業と言い渡されたときの、フィリッポの心情は、どんなものだったろう。共同監督だから、給料も一緒。オレの案なのに。負けん気の強い彼のことだから、ジタンだ踏んで悔しがったんじゃなかろうか。

なんで、おれが、ロレンツォと一緒に仕事しなくちゃいけないんだ。オレのアイディアだぞ。オレひとりにやらせろー!!

くらいは、吠えたと思う。

クーポラの建築技術は、フィリッポのみぞ知る。仮病を使い現場に現れず、ロレンツォがひとりではなにもできないことを、人々に露呈させ、退職させることに、見事成功!

晴れて、単身でクーポラの総合監督になるのです。

が、一難去って、また一難。別な問題が持ち上がります。さてフィリッポはどのように解決するのでしょうか。

次回につづく!


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