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ルネサンスの寵児、フィリッポ。 空間の美しさ。最終回。Part.5

前回からの続きです。
フィリッポは、前代未聞のクーポラを建築するために、作業員が安全に仕事ができるように、さまざまな新しい試みを具現化していきます。

前回紹介したのは、こちら。

  1. 堅固な足場を作る

  2. クレーンを作る

  3. クーポラ専用帆船バダローネ

フィリッポの革新的アイデア - 2

4. 石積み技術

レンガを水平に積み続けると、重みが下に向いて、重量で丸屋根が崩れちゃいます。そこで、考えられたのが、矢筈やヘリンボーンと呼ばれる積み方。これがそれ。

この積み方をもってすれば、縦のレンガが、水平なレンガの重みを支え、自重、つまり、重力で重さが下に行くのを防ぐことができます。

どうして、こんな発想ができるんでしょう。いまでいう「インプット」を、ローマで沢山してきたからでしょうか。

これは、ハドリアヌス帝の別邸(ヴィッラ・アドリアーナ)を訪れたときのもの。いろいろな石の積み方があるなぁ。と関心して写真に収めたものです。

ブルンレスキが考案した積み方は、イタリア語で、スピーナ・ディ・ペッシェと呼ばれ、日本語に直訳すると魚の骨。英語でヘリンボーン。ヘリンは英語でお魚の鰊(ニシン)を表し、ニシンの骨という意味のようです。

5. クーポラ青空食堂がオープン

11時30分に、お隣のジョットの鐘楼が、ゴーンゴーンと鳴るのを合図に、ランチに向けて後始末。午前の部終了。

下に降りたら、時間もかかるし面倒じゃろう。それなら、パンに、ハムやチーズを挟んだものを持ち込んだらどうだろう。

いっそのこと、クーポラに食堂でも作ってしまうか。午後もやる気を出してもらえるように、ワインも一杯つけるとしよう。

でも、酔っ払うといけないから、ちょっと水で薄めてね。

ということで、クーポラ建設現場での青空食堂がオープンします。いまでも、フィレンツェでは、クーポラ建設が、パニーノの発祥だと言われています。

いまでは伝統料理に格付けされている、ペポーゾという料理は、クーポラ建設での、偶然の産物。

釜焼き職人は、レンガを焼くと同時に、火を使うから調理も担当。コッチョという自分たちが作るテラコッタ製の浅鍋に生肉を放り込み、釜の入り口付近に放置しておくと、勝手に焼きあがる仕組み。

いまでも、フィレンツェのお隣街インプルネタは、テラコッタの里。大きな鉢や、飾り物を作っています。

肉が新鮮じゃないことも、たまにあり。

今日のはちょっと臭うぞ。臭み消しに赤ワインでも注いでおくか。黒胡椒も入れちゃえ。

それから数時間後。

なんとも芳醇な香りが、鍋から漂ってきます。赤ワインは熱で半量以下まで減り旨味となり、肉はホロホロ。黒胡椒のピリっした辛味が絶妙のアクセント。

なんだこれは! 
こんな旨いもんができあがった!

La Cucina Italiana より

胡椒をイタリア語でペペといい、黒胡椒がたくさん入っているので、ペペからペポーゾという名前がついています。

黒胡椒って、ものすごく高価なはずだったけど、中世のフィレンツェは貿易で儲けていたから、普通に使われていたのかしら。冷蔵庫がなかったので、香辛料類は貴重な存在だったんです。

6. 謎の曲線

どうやって、あのクーポラの曲線を描いたのか、いまでも謎。ほら、ぜーんぶ燃やしてしまったから、文献が残ってないのです。いまでも研究家が、あれやこれやと、仮設を立てて、目下研究中。

Part.3にも載せたけど、中心部が合わないんです。

おそらく、こんな感じで計測したのではないかと思われる。コンパスの力、偉大。

紙面上のこの曲線を、実際にどう測ったのか、それもまた、謎に包まれ、現在に至ります。

当時に学ぶ場所は、工房。ブルネレスキも彫金工房に入りますが、建築学とか、建築工学は、学んでいないはず。ローマに行って遺跡を研究したからといって、誰もがブルネレスキになれるわけではないし。

父親が公証人だったので、高等教育を受け、読み書きそろばんは、幼い頃にすでに習得積み。「読み書き」は、おそらく、リベラルアーツの三学である、文法・修辞学・弁証法も含まれ、「そろばん」は、四科の算術・幾何・天文・音楽を勉強したのではないだろうか。

トマス・アクィナス聖人を中心とした
リベラルアーツの擬人化
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会

手を使って仕事をする労働職人ではなく、ホワイトワーカーになるための基礎知識であるリベラルアーツは、フィレンツェ商人息子の必須項目。

このような基礎知識を総動員して、さらに、彼なりの研究をもって、初めて実現したクーポラ。

しかも、天災にも耐えうる、さらに、100年単位じゃなく、それ以上のずっと長いスパンで建ち続けることを念頭においた建物。これは、ブルネレスキだけでなく、当時のすべての建築家に当てはまること。

一度建てたら、崩れないものを造る。使い捨てや、スクラップ&ビルドとは対極にある考え方です。

7. 労働時間

石積み工の就業日数は、年間で200日ほど。クレーンの設置やメインテナンスなど技術的な点検期間、悪天候が続く冬、そして、祝日はお休み。

ざっと計算すると、クーポラの石積みは、3000日間で完成したそうです。ということは、毎日13トン以上のレンガを積んだ計算になるそう。

白い大理石に至っては、それぞれが約750キロあるそうです。

1420年から、たった16年間で完成できたのは、机上のアイディアを、実現させるために、難問にぶつかっても、努力を惜しまず、解決策を見つける胆力と、エンジニアとしての技術。それに、実際に作業に関わった人たちがいたからこそ。

Arte dei Maestri di Pietra e del Legname
石材と木材の加工組合
オルサンミケーレ教会

地上では、工房でレンガを焼き、大理石を切って、装飾し、上で作業をこなす同僚に木製クレーンで必要なものを運んでと、みんなが一体となり、せっせ、せっせと、仕事をこなしていったことでしょう。素晴らしいオーガナイズ力です。

ストライキ事件

もっと賃金を上げないと、仕事しないぞ!
体張って仕事しているのに、こんな安給料じゃ割りが合わねえや!

ある日、作業員達が、ストライキを宣言した。作業員をちらりと横目でみやる、フィリッポは、何吹く風。

あ、そう。どうぞ、ご勝手に。

オレ達がいないと、困るはずなのに、なんだ、あの余裕は。しばらく様子を見ていると、自分たちの仕事場に、新しい人が入っている。そこで焦った作業員。

それは困る。生活できなくなる。
騒いで悪かったよ。仕事に戻らせてくれないか?

いいよ。でも、ちょっと賃金低くするよ。
いいね。

はい。としか言えない作業員。フィリッポ君は、以前よりも安く賃金で雇い入れることに成功したのです。

空間の美しさ

華美な装飾を省き、シンプルで調和のあるプロポーションで、美しい空間を生み出していったブルネレスキ。もし過去に戻れるなら、絶対会いたいひとりです。

美が文化で、文化が美であった時代。それが、いまの私たちの世界まで受け継がれ、時間を経た美しさをみせてくれています。あの時代の香りを堪能できる街のひとつが、フィレンツェなのかもしれません。


やっぱり、フィリッポシリーズは、3編に分けてよかったかも。果てしなく続く巻物書になっていたかもしれません。

最後まで読んでいただき、
ありがとうございます!

参考にしたのは、ナショナル・ジオグラフィックの動画。とても良くできています。


シリーズはこちらです。
↓↓↓


参考文献と掲載写真
La grande storia dell'Artigianato by Giunti Editore S.p.A 
Le cupole sotto il cielo di Firenze by angelo pontecorboli editore
National Geographic

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