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路面店のない、ハンドメイドの鞄店。 - n.1

今回のインタビューは、フィレンツェ中心街にある『Cellerini チェッレリーニ』です。

フィレンツェの駅名にもなっているサンタ・マリア・ノヴェッラ教会。

教会から5分ほど歩いたところに、1600年代に建てられたファリノーラ邸があり、邸宅の正面玄関には、フィレンツェらしくメディチ家当主の胸像があります。

コジモ2世

当時の主人がメディチ家から重要な任務を与えられていたようで、感謝を込めて自邸に胸像を飾ったようです。

この邸宅の2階が今回訪れる工房です。

2018年までは通りに面した路面店でしたが、いつの間にか、あるはずのところに洋服店があり、いったいどうしたのかと、一瞬心が痛くなりました。「この店も、もしかたしたら。」いう不安に襲われながらも、心を落ち着け周囲を見回すと
正面玄関にネームプレートを見つけました。

路面店はなくなり、2階に移動したことを知りますが、

路面店と違って、お店の中が見えない。

呼び鈴を鳴らすだけでも、どきどきです。

ちょっと見るだけ〜と気軽に入れることのできない、
ハードルの高さもちょっと感じます。

まるでテーラーメイドの服のように、
型紙を当て革を切る作業から最後の仕上げまで、
すべての工程は文字通り手作業で行い、
世界中の人々を魅了する美しい鞄を作る会社。
それが、チェッレリーニ Cellerini 社です。

イタリア式1階。
日本では2階にあたります。

チェッレリーニ社の歴史は1956年から始まります。

シルヴァーノ・チェッレリーニは、靴の修理屋を営んでいましたが、そのうち、鞄の修理も引き受けるようになります。鞄を修理するうちに、その構造を少しづつ覚えていき、自分でも鞄を作り始めます。

工房に通ったこともなく、誰かに習ったこともないのに、作り方を知っているかのように、勝手に手が動いていきます。

仕上がった鞄は端正で気品があり、フィレンツェの上流階級の人々が小さな工房へ通い始めるのも時間の問題でした。

生まれながらにして、当然のようにものを作れる人。

フェラガモのサルバトーレが幼少時代に、靴職人の仕事を眺めていただけで、
小さな妹たちのために、一晩で白い靴を作ったエピソードを思い出します。

1950年代のフィレンツェで、この2人がそれぞれ鞄と靴を作っていたのを
想像するだけで、わくわくします。

チェッレリーニの顧客リストに世界のセレブリティが名を連ねるようになる頃、
新市場に面する小さなアパートから、現在の場所へと移転します。

シルヴァーノ氏が他界したあともご家族が跡を継ぎますが、現在工房で鞄作りをしているのは、シルヴァーノ氏の愛弟子であったアントネッラさんです。

ものづくりをする傍ら、お客様を接待していると、あっという間に時間が流れていきます。そこで妹のアレッサンドラさんを誘い、現在は姉妹でチェッレリーニ社を運営しています。

姉妹は将来のことを相談し、2018年4月から路面店をなくし同じ建物の2階にショールームを移しました。1960年にチェッレリーニが移転した時と同じ環境に戻り、当時と変わらぬ工房で鞄を作り、完成した商品は、改装はしたもののやはり当時と同じショールームに展示されます。

路面店がなくなり行きづらかったのですが、コロナ前のクリスマスにプレゼントを物色するのに立ち寄りました。

そのときに工房を案内してもらい、心を鷲掴みにされたのを覚えています。

昭和のようなレトロな電気が室内を灯し、なにに使うのかわからないけど、色褪せた紙が壁を覆い、横長の空間の奥では、ドンドンドンと革を叩く音が聞こえてきます。

このような工房を絶対に絶やしてはならない。
多くの人に知ってもらいたい。
微力ながらも、力になれることはないかしら。

チェッレリーニはフィレンツェでは有名な鞄店なので、路面店がなくても経営に支障はないのですが、路面店がなくなり勝手に悲観的になっていたので、そんな気持ちが込み上げてきました。

この出来事は、職人インタビューを後押しするきっかけとなりました。

自分の原点に戻るためにも年明けすぐにインタビューを申し出て、快く引き受けてくれたアントネッラさんとアレッサンドラさん。

どんな話しを聞かせてくださるでしょうか。

続きは少々お待ちください。



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最後までお読みくださり
ありがとうございます!

次回もチェッレリーニの工房で
お会いしましょう。

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