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平塚市美術館「こどもたちのセレクション」エピソード14

●怖い、心配、不安な作品は、なぜ存在するのだろう

 美術には、きれいで心穏やかになる作品もあれば、怖くなったり悲しくなるような作品もあります。こんなにも多様な表現があるのは、私たち人間に必要だからだと思うのですが、それはなんなのか、思いを馳せた日がありました。

・石田徹也『転移』(2004年頃 91.0×91.0cm アクリル、油彩・キャンバス)
(美術館の所蔵品データベースに画像がないので、すみません、文章からご想像ください)

 下半身裸でTシャツを胸の上までめくりあげ、ぐったりと壁にもたれかかって座る男性。その目は虚ろで生気がありません。胸からお腹にかけて、目を伏せた女性の顔が3つ、男性に正面を見せる向き(鑑賞者には逆さまに見える位置)で描かれています。皮膚にも小石や木切など川底にあるようなものがびっしりと描かれていて、異様な雰囲気を醸しています。背景には川のような水辺の景色があり、左には男性、右には女性が、こちら側に背を向けて裸で佇んでいます。

 この作品を、保育園・年長児さんの鑑賞ツアーで、あるクラスの子たちと見た時のことが忘れられません。(平塚市美術館さん主催で冨田が講師としてお招きいただいています。数年実施していましたが、ここ数年はコロナ禍で中止になってしまいました)

 みんなで絵の前で座ると、「この人、どうしちゃったのー!!」「元気ないね」「大変そう」「大丈夫かな?」「大丈夫かなー!!」と、眉毛を八の字にさせて、心の底から心配している様子でした。

 思ったこと気づいたことの発言が止まりません。皆の不安がピークに差し掛かったところで、ある子が「この人、手をつないでるよ!」と気付きました。そうなんです、力なく垂れ下がった腕のその先、誰かが手をつないでくれているんです。

 「ほんとだ!」「これはお母さんだと思うよ」「お母さんと手をつないでるから、大丈夫だねー」「そうだね、大丈夫だね!!」

 絵の人物の虚ろさの根にあるであろう痛みを想像し、共感して、不安でたまらなくなっていた園児さんが、作品に描かれた希望を見出し、自分の不安も解決していく、そんなプロセスがありました。

 小さい子も、日々、いろんな気持ちを抱えて生きている。悲しいとか辛い時、落ち込む時もある。そんな時、どうしたら良いのか。

 人間はいい時ばかりではない、生きることには大変さがあることを、普段は意識していなくても、子どもたちは気づいています。

 それとどう向きあったらよいか。絵を通して語る中で、子どもたちなりの解に子どもたちで辿り着いた、そんな印象を持ちました。

 不安や暴力的な作品を子どもに見せるのはどうだろうか、逡巡することもありますが、基本、避けることなく、順路通り巡り、子どもたちが気になったらお話しするようにしています。この作品も陰部が描かれているのですが、園児さんは「おちんちんある~」なんて茶化すことはなく、描かれている人物(それはもしかしたら作家さん自身)の痛みに意識を向けていました。

 タブーを作らない、美術だからタブーについて語れる。普段の生活で語ったら唐突すぎるような不安なことを語り、気持ちを昇華する機会が生まれる。子どもたちと鑑賞していると、そんなふうに感じることがあります。

 この話を、当会の鑑賞サポーターさんにお話ししたところ、「その子たちは、お母さんが自分を助けてくれると感じられて幸せよね。きっとそうでない子もいるわよ」とおっしゃっていました。中学校の先生をしていたご経験がある方です。

 本当に。手をつないでくれる、温かく寄り添ってくれる誰かが自分にはいない、と感じていたら、どうしたらよいのでしょう。

 社会って広くて深くて、途方にくれます。自分の周りの人さえ、孤独にしていないか、不安になる時もあります。

 いろんなことを思った、思い出深い作品となりました。

(本稿は美術館ご担当者様に確認いただき掲載しております)

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