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人は如何にして体制翼賛へとなるか:ウクライナ人を蔑視してるのは、誰か?「ネットde真実」の二番煎じという、喜劇 - 加藤直樹「ウクライナ侵略を考える」を読み解きながら(3)

割引あり

 さて、シリーズ再開です。

 この一週間に色々とありました。ロシア軍がハリコフ攻略を始め(一応表向きは緩衝地帯を作るだけのようですが、どうなることか…)、中国とロシアのトップ会談が北京で行われ、中国とロシアの間の関係の「5つの堅持」、要は固い絆を宣言したりなどしました。

 そして、イランの大統領と外務大臣が、ヘリコプターに乗ってる時に、謎の事故死…。

 イランの方は本当のところがよくわかってないのでアレですが、中国とロシアの会談の方は、実は、今回のシリーズともかなーり絡んできそうな内容のようですので。多分、本を一通り読み解き終えた後の「結論」的なところを考えていく上で、非常に重要な「宿題」になるように思っています。これから中露が何を議論し決めたのか、細かいところを読み解く作業も、この本の続きを読んでいくのと同時にやる羽目になりましたけど。

前回は、こちらから:

第3章”「ロシア擁護論」批判② - それは民族蔑視である”を読み解いていく。

 さて、加藤直樹「ウクライナ侵略を考える」を読み解くシリーズ、まずは第3章”「ロシア擁護論」批判② - それは民族蔑視である”について、色々思うところを書いていきます。

 この章、突然、エマニュエル・トッドと言う、知る人ぞ知る「リアリズム」からウクライナ・ロシア戦争での西側の「不正義」をただしているフランスの学者さんの事を批判することから始めてたりするのです。


 エマニュエル・トッドや前の章の最後で加藤くんが厳しく非難していたミヤシャイマーの事をこの章ではボロクソに書いてて、エマニュエル・トッドが語ったことを日本で本にした「第三次世界大戦はもう始まっている」(文藝春秋)をボロクソに言うところから始まってます。

加藤くんは、この本について

 さて、私が考えるこの本の問題点はどこにあるか。第一に、ミアシャイマーと同じく大国主義であるということ。第2に、議論が支離滅裂であること。第3に、ウクライナとウクライナ人に対する蔑視に満ちているということ ー である。特に、第3の民族蔑視が問題だ。

『ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて』加藤直樹、あけび書房、2024, p.81

と言う形で、それこそ言っちゃ悪いですけど、どこぞのやたらとウクライナとイスラエルを持ち上げてる、古株の(迷惑)ネトウヨ系ミリオタブロガーと同じ様な感じで「論破」をしようとしていく訳です。

「大国主義」と言う言葉の使われ方の、自己矛盾。近現代史に対する、著しい認知の歪み。

 彼のいう「大国主義」とは、要は、この戦争がアメリカとロシアの代理戦争だという、トッドやミアシャイマーの議論は大国の視点でしかなくて、ウクライナの「下々」の視点が抜けている!ということのようなんですよね。

 でも、読んでるみなさんに考えてほしいのは、度々私が書いてるように、ウクライナに限らず、ポーランドやルーマニアやバルト三国、バルカン半島の各国なども含めての、旧ソ連諸国や旧東側諸国は、ソ連が崩壊する前夜から今に至るまで、アメリカやイギリスとロシアの間の綱引きに晒されてきて、それこそ、ロシア側に近い政権ができたらアメリカの後ろ盾になった人達が民主化とかを口実にしてひっくり返し、その政権がものすごく腐敗してたり人道犯罪をしたりしてても「西側」が放置し続けるもんだから、またひっくり返って中立やロシア寄りの政権ができ、ソ連崩壊少し前からの経済的混乱のおかげで財政が厳しい国も多いから、それによって社会も不安定でマフィアも力持ってたりする。と言うのは、今回のウクライナとロシアの戦争に深く関わってることなんです。

ウクライナに限らない東欧が東西の駆け引きの場になってるポスト冷戦期での、両側の「願い」を、簡単にまとめてみる。

 ロシアからすれば、「悪夢の90年代」の再来は避けたい。アメリカやイギリスやイスラエルと結託した一部のお金持ちが国を牛耳って食いつぶし・何百万人も餓死させたり内戦を起こされたりするようなことは避けたいという、それこそ怨念と執念が入り混じったものがある訳です。別に政府だけがそうだとは限らず、末端の庶民の人達の中にも少なからず「あんなことはもうこりごりだ」と言う人たちがいる。それによって、プーチンが長期政権を続けられているという側面が、少なからずある。

 逆に、アメリカやイギリスなどからしたら、ロシアの豊富な石油や天然ガスやレアメタルは勿論、穀物や独自に進化を遂げてるハイテク製品や兵器、原子力の機械などを、二足三文でガッポガッポ買い取れた・ロシアで働いてる人達をタダ同然でこき使っても問題にならなかった、「夢の90年代」が又来てほしい。ってなる。

 この部分が、あの一帯の冷戦終結以降の綱引き駆け引きせめぎ合いの、根本的な要因だと私は見ています。

トッドやミアシャイマーは、本当に「大国主義」か?「議論が支離滅裂」なのか?

 その考えからしたら、トッドやミアシャイマーの掲げる、いわゆる「リアリズム国際政治論」は極めて精度が高いし、それに、実は高所から見下ろしてるように見えて、下々の人々の視野からも世界を見上げてもいるように思えるんです。

 さて、本に戻りましょう。

 2項では、「議論が支離滅裂」と批判してるんですよね。

 エマニュエル・トッドが、今回の戦争でアメリカがロシアに戦争してるのかドイツに戦争仕掛けてるのか、わからない。などと怒りを露わにしてることを批判してるのですが…。

「ヨーロッパで壊滅的な政策を進めているアメリカは、果たしてロシアと戦争をしているのか、あるいはドイツに戦争を仕掛けているのか分らないようなカオスに陥ってます」
(中略)
「私は今、怒っています。今回、アメリカは、私の住むヨーロッパで戦争を始めたからです。これによって、私のアメリカに対する敵意は絶対的なものになりました」
むしろこうしたトッドの言説の方が「カオス」である。こういう、鬼面人を驚かすような決めつけが全編にわたって続く。

『ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて』加藤直樹、あけび書房、2024, p.82-93

ここから、「各個撃破」よろしく「論破」を試みていくわけですが…

各個撃破での「論破」。論破ールーム。それは、00年代のmixiや2ちゃんねるで「ネトウヨ」が暴れまわってたときの悪夢とも繋がってくる。

 事実関係に関してかなり正確に把握してるトッドに対して、事実関係が全然間違ってる。と「論破」を試みてる。それは、あの一帯の冷戦終了以降の近現代史に強い関心を持ってたからこそ、素人なりに正確に捉え続けてる。という自負がある私から見たら、最初に取り上げた「(迷惑系)ネトウヨミリオタブロガー」が、兵器の使われ方やイラク戦争やイスラエルのガザへの侵攻に対して批判的な物言いをする人たちに対して「お前は間違ってる」と、どうも今ひとつよくわからない理屈で、何人かつるんでるグループで、24時間貼り付き粘着してしつこく「論破」をやっていた、私から見たら本当のSNSの地獄とはこういうものだ!!!っていいたくなるような、2000年代のmixiの荒れっぷりを、今になって加藤くんのような善人で誠実な人がやらかしてるようにすら見える訳です。

 これは、本当に嘆かわしい。なんでこんなしょうもないクソガキみたいな真似を今更やるんだよ。と…。

そもそも、「論破」の根拠が「ネットde真実」の左翼版なのではないか?

 こまごまこまごま色々書いておりますが、中身があまりにいびつ。なんというか、余りにネオコン史観に寄り添いすぎてて、あの一帯をカオスに陥れ続けてる、2つの主役の片方の歴史観や「真実」…これは、敢えてまだ書いてないのですが、それは「ネットde真実」じゃないか?と皮肉をいいたくなるようなのをソースの入口にして「必死に勉強」した結果のようなのですが…ばかりを信じ込んでて、それを基に「論破」しようと必死になっている。

 そして、ミアシャイマーやエマニュエル・トッドの論議やそれを信じてるような人たちの考えは「ウクライナ人への強烈な蔑視」だと3項で、ものすごい強い言葉で批判してたりもします。

引用するよりも大まかな話にして…是非、本と私の考えとをセットにして比較することを通じて、読者の皆さんたちには自分なりに考えてみてもらいたい。

 この章、あんまし引用するのも嫌になるし、営業妨害もしたくない(却って、私のかなり厳しい批判を補助線にして、加藤くんの書いてることと私の書いてることの差から、読んでるみなさんには自分なりに、この状況や、またぞろ台湾有事だなんだと戦争の恐怖を煽る風潮になってることのヤバさに対して「過ちを繰り返さない」ために考えてほしいと思ってる)ので控えてこうと思いますが、揚げ足取り+揚げ足取りのダブルビッグマックでお腹いっぱいになります。

主体と客体を真っ逆さまに取り違えたままに、トッドに対して怒りをぶつけてる。

 トッドやミアシャイマーの議論に、ウクライナ民族が不在じゃないんですよ。大国同士のえげつなくも血生臭く、最悪に汚い争い・駆け引きの中では、ウクライナ人もウクライナ民族も、単なる将棋やチェスのコマとしてしか扱われてないと言うことを、嘆いてるのが、トッドやミアシャイマーなどの主張と議論なのです。

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研究対象の中での「ウクライナ人の不在」を、研究者自体に「ウクライナ人が不在」だと勘違いして怒りを増幅させていく。

 ここを、全く正反対に、加藤くんなどは、捉えてしまってる。

4項で、

トッドは、独自の本質的な世界認識に加え、ロシア・プロパガンダの内面化を通して、無関係なフランス人でありながらウクライナへの強烈な蔑視を発揮してるのである。

『ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて』加藤直樹、あけび書房、2024, p.94

などと、本当に激怒してるのが眼の前に見えてくるかのように、怒りを文章にぶつけてるのです。

 しかし、よく考えてみると、加藤くん自体が引用してるように、エマニュエル・トッドは

「私は今、怒っています。今回、アメリカは、私の住むヨーロッパで戦争を始めたからです。これによって、私のアメリカに対する敵意は絶対的なものになりました」

『ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて』加藤直樹、あけび書房、2024, p.82

と主張してた訳です。戦争が始まった2022年の、大体5月くらいに。

トッドの「怒り」は、フランス人やウクライナ人という「ヨーロッパの同胞たち」を戦争の生贄にしてるアメリカに対して向けられている。

 どこに、「ロシア・プロパガンダの内面化」があるのか?ヨーロッパに生まれ生きる者として、同じ大地の東側で戦争を起こされたこと・それによって、ものすごい数のウクライナ人が、罪のないものすごい数のウクライナ人が犠牲になるのが目に見えてるし、下手をしたら自分の生まれたフランスやドイツのたくさんの罪のない人たちも犠牲になる。アメリカはなんという真似をしやがったんだ!!!と、トッドは怒ってるんですよね。

 その上で、どうしてこんな事になったかを、トッドが自分が考えてきた国際政治理論や歴史的事実、極めて深い教養に基づいて説明をしてる訳で。

「ウクライナ蔑視」をしてるのは、実は「ネットde真実」の大元の連中やそれを信じて荒ぶってる人たちの方ではないか?


 どこに、「ウクライナ人蔑視」があるのか?

 「ウクライナ蔑視」をしてるのは、実は、加藤くんというより、加藤くんが依って立ってる、「ネットde真実」的な感じのエコー・チェンバー情報をばらまいてるような連中なんじゃないのか?

 そう思うんですね。

 5項では、ウクライナが破綻国家だと言ってるトッドなどの議論に対して怒りをぶつけてるのですが、ウクライナが、最低でも民主主義国家や利益配分と言う部分で、ものすごく破綻してる国家であるということはあるんですよ。

 マフィア経済が、00年代になっても社会の30%以上を支配してて、10年代に入って若干減ったものの(皮肉なことにロシアに泣きついて追い出されることになるヤヌコビッチ政権下で!)、その後よくわからない感じで、極右がデカイ顔をして街に睨みを効かせたり内戦をするような国になっちゃった訳で。

あらゆる悪徳のメッカの一つでもあった戦前ウクライナ。「漫画村」のサーバーが置けるような、今までのウクライナ。

 00年代の前半にインターネットに触れてた人ならば、ウクライナという国が、殺人ビデオや児童ポルノのメッカだったという事は、結構一般的に知られてた「ネットミーム」だし(例えば「ウクライナ21」とか)、刑務所から出てきて民事裁判を争っている星野ロミ氏がやってた「漫画村」、アレ、サーバー運営会社はウクライナだったんですよね。

 アレが、国の政策としてよその国のものへの著作権侵害を自由にやれるようにしますといってサーバ野放しにしてたんではなくて、アレがやれても取り締まりがされないくらいには、治安がガバガバというか、賄賂もはびこってるしマフィアの経済的な存在感が大きくてアンタッチャブルな領域が大きい国なんですよ。

 ウクライナが破綻国家というのは、ウクライナをバカにしてるのではなく、現実として国家の統治や富の配分のシステムが、極めて破綻してる国の一つであるのは、言い逃れようのない現実ではあるのです。

 細かい、「国際的に信頼できる」(でも、大抵は西側各国のバイアスがかかってるような)機関の数字を基に、ウクライナは破綻国家じゃありません。って必死になって「論破」を試みてるけど、でもねぇ…。

現実を見ましょうよ(´・ω・`)

かぼちゃの馬車に揺られて来た舞踏会も、もうおしまいが近づいてるんですよ(´・ω・`)

もう、時計の針はとうに、12時を過ぎて、深夜の1時も間近になってるんですから(´・ω・`)

ガラスの靴をはいてかぼちゃの馬車に乗り・揺られやってきて踊った舞踏会も、もう、12時は過ぎたんです。

 その上で、6項『「反米」「平和主義」が劣情の免罪符に』と、すごいチクチク言葉で、ウクライナに寄り添わないお前らはろくでなしだ!ってまとめた上で、和田春樹先生など、ロシアをよく知ってるがために、戦争にのめり込まずにとにかく停戦を求めないといけない。日本はアメリカやウクライナだけに寄り添うのではなく、ロシアとウクライナの間に入って戦争を止める役割をしなきゃいけない。と言ってる人たちをボロクソにこき下ろす4章へと、続いていくのですね。

 今回、仮眠取って夜中にエンジンかけて書いたせいか、罵倒芸傾向が強くなってしまったと、書いてみて、少し反省しています。
 でも、罵倒芸でやるよりないですもの(´・ω・`)

つづく。(日本で起きることになりそうな、新たな戦争を防ぐためにも、みんなにも真面目に考えてみてほしいから)

 そして私が、多分、ネットにのめり込み始めた35年近く前の辺りまで芸風を戻して、それこそ55歳児にもなって、クソガキの頃みたいな感じで怒りを表明してるのは、なんでか?と言うのと、加藤くんが本で表明してる「怒り」のギャップから、みなさんが考え・調べ、更に考えて行ってほしいと思います。その結論が、私に寄ろうが、加藤くんに寄ろうが、それはどちらでもいいのです。

 でも、結論がどうなるにせよ、そういう作業こそが、今のウクライナの人々をこれ以上死なせない・殺さない、そしてウクライナの人々に殺させないために大事である以上に、「台湾有事」などと、それこそ共産党から自民党まで、マスコミこぞって恐怖を煽ってるのに乗っかちゃってる今の日本にいる私たちにとって、ウクライナの人々がこの十年間晒されてきてる状況が「他人事」じゃないんだ。と気づき、多分来るであろう、「とにかく戦争しなきゃダメだ」って空気の煽りを止めて、新しい戦争を防ぐために凄く大事なことだとも、私は思っています。

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