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人は如何にして体制翼賛へとなるか:アメリカやネオコンのナラティブを内面化することの、悲喜劇 - 加藤直樹「ウクライナ侵略を考える」を読み解きながら(5)

割引あり

 ちょっと間があいてしまいました。

 この間に、ウクライナが戦争を終わらせる方向に微妙に舵を切りはじめました。


まえがき:停戦/終戦に向かう世界と、あらわになってきた「隠された現実」。


 数日前にも、ハンガリーのオルバン首相が、キエフとモスクワを訪問して停戦に向けての箸渡しに動き始めたり、ロシアのプーチン大統領が「戦争終結の具体的条件」をウクライナや米英・NATOに対して改めて示して、その内容が比較的「現実的な」中身だったりする訳です。

 昨日(2024年7月7日)にウクライナで前線の兵士の支援を行ってるボグダン氏が出していた動画で、ウクライナ国内の悲惨で生々しい状況と「空気」がレポートされ、ゼレンスキー大統領も「最早終戦か停戦か」という方向で言い出し、2026年度以降の軍事費を激減させる予算を政府が出したなど、色々と興味深いことを報告していました。

 ウクライナ側の義勇兵になろうとウクライナに行った日本人の、ベビーレモン氏が、日本で言われてるウクライナとは全く違う、腐りきってて荒れ果ててるウクライナ社会やウクライナ軍の状況に驚き・迷い、結局、義勇兵をリクルートする部隊の人達や義勇兵の「先輩たち」に真剣に相談した上で、義勇兵になるのをやめて帰国してくる。ということもありました。

 彼がX(旧ツイッター)に生々しくのこしたウクライナの現地の身も蓋もない状況や、それらをないものとして美化しまくってた日本のメディアや政治・言論への怒りは非常に貴重な「証拠」であるし、私も彼の言葉の多くに共感してます。実は

 さて、そこら辺を踏まえた上で、加藤直樹くんの『ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて」(あけび書房、税込み2,200円)を批判的に読み解いていくシリーズを続けていきます。

前回は、こちらから:

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第5章『「ロシア擁護論」批判④ -- それはどこから来たのか』批判。

 今回は、第5章『「ロシア擁護論」批判④ -- それはどこから来たのか』(p.137) を取り扱います。

 ここでは、日本の旧ソ連諸国に対する知見が、ロシアに偏っていてウクライナが存在してない。そして、私がここまで散々言ってきたような、旧ソ連祖国や東欧が冷戦以降アメリカやイギリス・ネオコンとロシアの間の綱引きにさらされて引っ掻き回され続けてきた。ということを、どうやって否定するか・「ロシアのナラティブ」、要はロシアの”物語”に日本で長年この問題を研究したり関心を持ってきたりした人々が染まってるか。ということを、色々批判してるんですよね。

 もう少し砕けた言い方に変えるなら、ウクライナとロシアの戦争に対して、戦争が起きた原因にはウクライナにも問題があった。とか、この戦争を早く停めないといけないから、ロシアのいうことにも耳を傾けようとか、そういう人達は、ロシアがでっち上げたナラティブ・物語に騙されてるだけだ。ということを主張してる。

まず『「ロシアのストーリー」を信じる哀れな人びと』ありきで話が進められていく。

 2項『「ウクライナ」が存在しない日本の教養空間』(p.139)の冒頭で、加藤くんはこう切り出します。

ここで私が考えたいのは、なぜ少なくない人々が、明らかに歪んでいる場合でさえもロシアのストーリーを受け容れてしまうのかという受け手の問題である。

”ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて” ,p.139, 加藤直樹, あけび書房,2024

この時点で、なんというか、きな臭い感じがしてくるのですが…更に、少しあけて、こう続いていく訳です。

 その大きな原因は、私達の教養の世界において、ロシアとウクライナの存在感に圧倒的な非対称性があることだろう。それは日本だけの話ではない。つい最近まで、私たちの視界にはロシアはあってもウクライナは存在しなかった。今もまだ、十分に存在してはいない。
 例えばロシア語は、大学で必修とされる第二外国語の履修者数において、かつてはドイツ語、フランス語、スペイン語、中国語と並んでいた。(以下略)

”ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて” ,p.139-140, 加藤直樹, あけび書房,2024

 ちょっと待て!となる訳です。

 東欧やグローバリズムというものに、一定以上の関心があったならば、ウクライナに限らずグルジア(今のジョージア)やエストニアなどのロシアではない、東欧・バルト三国の旧ソ連諸国に関する情報は、ものすごく簡単にアクセスできる程度には、ネットでも文献でも溢れかえってました。

 特に、日本語に翻訳されていた番組が2012年まではCS朝日ニュースターなどで放送され、その後も動画がネットに出されていた、米国のデモクラシー・ナウ!や十年弱前まで深夜にTBSなどで放送されてた米国CBSのドキュメンタリー番組、NHK BSが放送してた各国のドキュメンタリーなど、ロシア以外の旧ソ連諸国に関心がなかった人でも、眼にすれば関心を持つような番組やネット動画、言論は、実は、この戦争が始まる前はものすごくあったんです。


DEMOCRACY NOW!もCBS WORLDもBS世界のドキュメンタリーも存在しなかった、「加藤世界線」。


 ネットの言論にせよ、今のウクライナの政権やネオコンのやり方に批判的なものも賛成してるものも、ものすごーく沢山あった。
 本に関しては、言わずもがな。

 要は、加藤くんや加藤くんの周りの人達の眼にそれらが入ってないだけなんですよ。

 自分たちが関心がないものは、他の人達も関心がないはずだ。
 自分たちが関心がないものは、世の中に存在しないはずだ。

典型的な、認知の歪みですね。

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