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私が現代アーティストになるための下書き

私、2021年は現代アートを作成したいと思っています。
というか、できれば来月から作成に入る予定なのですが、如何せんコロナの影響もあり、思うように動けていません。完成したら何かしらのコンペに出したいですね。

私は現代アートが(なんとなく)好きですが、現代アートそのものが何かについてはまだまだ浅い理解をしています。こういったものは言語化の先に答えがある気がしているので、これから現代アートになりたいなぁという私が、現時点での解釈を言語化しようと思います。

これは私が現代アーティストになるための下書きです。

今日、現代アートとされるもの

今日、現代アートとされるものには大きく3つあるように思います。

1.「アートとは何か」という問いを立てた前衛的な作品(本来の現代アート)
2.前衛的なテーマのアート(おそらく現代アートではない)
3.単に奇抜な作品

1.「アートとは何か」という問いを立てた前衛的な作品

現代アートとされる作品、よくわからない作品が多いですよね。

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よく分からないモチーフや、よく分からない構造などを沢山見ましたし、多々あります。

例えばゴッホのひまわりは印象派な作品ですが、私たちはひまわりを描いていることを知っています。

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一方で、これは何を表現しているのでしょうか?

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この作品はマルセルデュシャンが1913年に発表したレディメイドという作品群のひとつで、アートの価値を問い直すものでした。
今まで既製品(あるいはその組み合わせ)はアートとみなされていなかったけれど、椅子と車輪の組み合わせであるこれれって本当にアートにはならないんですか?という問いを作品にしたものになります。
当時はこの作品をめぐって大論争が起きました。(これはアートと認めるか、認めないか)

-現代アートとは''問い''のデザイン

こんな感じで、なんだ現代アートっていつも前衛的ですよね。
そもそも現代アートって何を題材にするのか決まっているのでしょうか。

現代アート作品への私の解釈を簡潔に説明すると、「今までアートとみなされていなかったもの/ことが、アートたりえないか実験してみた作品」です。

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現代アートの''現代''とは、(使い古された)伝統的アートへのアンチテーゼだと考えればよさそうです。

現代アートとは産まれながらにして新しく、未開拓の分野を内包しています。

立ち返ってみると、「現代アートは前衛的」なのではなく、「前衛的でなければ現代アートではない」ということです。

-''問い''の表現

であれば現代アートを構成するのは''問い''です。

作るためには、まず問いを見つけなければ行けません。
(というか、問いを持たないのに現代アート作りたいです!というのは単なる憧れでしかありません)

(おそらく)現代アートを作る過程で「実はこうじゃない?」「世界って本当はこうじゃない?」と問い立てをして、それをアートの形で表現します。
また、時には問いに対する''答え''を示すこともあり、アートや世界に対する私なりの答えを題材とします。

最終的に、現代アートの作品は
アートや世界に対する 問い / 答え / 問いと答え
のどれかを表現したものに収束します。

-前衛的な作品における''前衛性''について

前衛でなければ現代アート足りえないと書きましたが。
一方、前衛的な作品における'前衛性''は時代によって移り変わるものです。
現代アートにおける''現代''は常に変わりつつあります。

昔の''現代アート''を見てみましょう。

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ミレーの落穂拾いは宗教画ではなく民衆を描くことはアートでは無いのか?という問いかけをした作品です

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印象派はそれ以前に描かれていたアカデミーが良しとする宗教的な絵とは違い、自己の感覚に依拠して書いたものは。アートじゃないんですか?という問いでした。
いつの時代もアカデミーはろくなことしないな…。

元より現代とは''最新''を言い替えた言葉であり、数値的に絶対の期間を持ちません。今日の現代は今日でしかなく、10年前の現代は今日の現代ではありません。

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-現代アートは前衛性を失って古典へ変わっていく

現代アートの作品がひとつあるとします。
では、誰もがその作品の問いに答えを持ったり、もう違和感を感じなくなったらどうなるでしょうか。

昔否定されていた作品が受け入れられ、否定されなくなったら、それはアートが前衛的ではなくなったということです(依然として歴史の中では目新しいアートですが)。

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そして(淘汰されたものだけですが)今日の印象派のように、大衆が受け入れるものとなるのです。そこには、かつて現代アートだった、などという面影はありません。

-現代アートに絵画が少ないのは、絵画が研究されすぎだから

現代アートって立体だったり、インスタレーションだったり、コンセプチュアルな作品が多いですよね。
なので中には絵画には現代アートがないの?と疑問に思われる方も居るかもしれません。

端的に言えば、絵画は沢山研究されすぎたからみんな絵画以外の表現方法を選んでいるのです。
もちろん絵画にはまだ(おそらく無限の)研究の余地がありますが、それでも絵画=''伝統的''な表現とみなされる傾向は存在し、ピュアな問いかけの邪魔になるのです。

もちろん絵画を使っても良いです。
しかし、現代アートとして絵画に取り組むのであれば、ほかの素材を選ぶ時と同じように「なぜ絵画で表現するのか」ということを考える必要があります。(もちろん自己の持っている表現手段という理由も無視できない観点ですが…)

私が現代アートとして絵画を作るとしたら''浮世絵''とかやると思います。
現代アート自体はかなり西洋の絵画を元にしていますし、西洋絵画が入ってきた時に浮世絵の波は弱まり、現在は断絶してるようにすら思います(現代も浮世絵書いてる人っているんですか?)

その上で浮世絵の''浮世絵性''を分解して作品作るのはどうですか?誰かやりませんか?

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2.前衛的なテーマのアート

先程、前衛的なテーマのアートは(おそらく)現代アートではない、と描きましたがなぜでしょうか。

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理由は簡単で、例えば戦争とかフードロスとか、ジェンダーとか、宇宙とか、クローンとか扱うのは非常に現代的だけれど、テーマや手法が現代的なだけであって、構造が現代的な訳ではないからです。(問いを立てているわけではない)

-前衛的なテーマでは、現代アート足りえないのか

ええ、しかし前衛的なテーマが現代アート足りえないかと言われるとそうとは言えず、十分に素質を持っています。

前衛的なテーマが現代アートになるとしたら、それは「今までテーマとされてこなかった題材をテーマとしたこと」にほかなりません。
例えば、伝統的に戦争の表現がタブー視されていた時代に、戦争をテーマにすれば、立派な現代アートです。

より真の現代アート性に近づきたいと思うであれば、単に戦争をテーマとするのでなく、なぜ戦争がテーマとされてこなかったかを掘り下げる方が、現代アートとしての高品質だと感じます。

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純粋な現代アートである必要はどこにもない

こういう書き方をすると「なぜアートとされてこなかったか掘り下げなければいけないのか」と疑問を感じる人もいるかと思うのですが、単なる個人の好みです。

あくまで、''純粋な現代アート性''は問いかけの質で変化するというだけで、あなたが何をアートの主題としたいかは自由ですし、思うように好きな物を作れば良いのだと思います。

一応私のスタンスを示すと、私は純粋な現代アートに興味があります。
やはり私の興味は「アートの価値はどこに宿るか」であり、前衛的なテーマの掘り下げではないみたいです。

3.単に奇抜な作品

1.2で現代アートと前衛的なテーマについて考えてみましたが、そのどちらとも言いきれず、その上で現代アートを標榜してる作品が存在します。

端的に言えば、それは「単に奇抜な作品」です。
珍しいだけ。

-奇抜さと前衛的の違い

現代アートと奇抜な作品を見分けるためには、前衛的と奇抜さの違いを理解する必要があります。

前衛的とは時代に先がけ、今までになかったこと。
奇抜であることは変わっていること、

つまり前衛的とは、過去の大きな流れを踏襲(し、問い立て)していることになります。
奇抜さは過去があるかどうかを重要としていません。

問いがある、今までにないアートが現代アート、
問いがない、今までにないアートが奇抜なアート、

という感じです。

「型があるから型破り、型がなければ形無し」です。

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-2021年に生産されたから現代アートなわけではない

現代アートの現代という言葉はもともと誤解をしやすい表現なのですが、前述の通り2021年に生産されたという意味ではありません。
言い換えればアートの大きな流れの中での''現代''であり、2021年に伝統的な手法とテーマを使えば、それは2021年に作られた''古典''です。

また、現代アートの''現代性''はその''問い''が当代でまだ有効かどうかで判断されるため、例え10年前、20年前、100年前の作品であっても、時勢を抑えて現代アートとして通用する可能性は十分にあります(往々にして、そういった''新しすぎた''作品は歴史に残ってないものです)

-とはいえ、そんなに複雑に考えなくても良い

ただ、過去の大きな流れといっても、必ずしも史学的/学問的でなければいけない訳ではありません

例え言語的な''問い''が用意できなくても、現代のアートや世の中へのなんとなくの疑問を表現すれば、それは立派に現代アートになりえるでしょう。

また意図せず作成した作品が、現代アートのど真ん中、いう可能性も有り得るでしょう。自分がそこに曖昧なコンテクストを見いだせなくても、誰かがそれを歴史の最先端に位置づける可能性はあります。さながら落穂拾いを書いたミレーのように。

どうですか。試しに現代社会への鬱憤などをアートにしてみませんか。

終わり / 本来、現代アートだったもの

というわけで、現代アートが何かを掘り下げでみたのですが、現状の私の解釈は下記の通りです。

現代アートとは「現代のアートの流れや世界に対しての、問いか答えを生み出す行為」であり、
その作品は「今までアートとみなされていなかったもの/ことが、アートたりえないか実験してみた作品」です。

だいたい今の私の解釈はそんな感じです。

あと、wikipediaの現代美術のページが充実してるので見てください。
私もこれで勉強します。

補足1:現代アーティストとして成功するには

私は現代アーティストをやりたい以上は成功したいので、
成功するためには何が必要か掘り下げてみようと思います。

何を成功と捉えるかですが、例えば多くの人に見てもらって"問い"について考えてもらうことを成功としましょう。

実際にその中にいないので推測に過ぎないのですが、成功のためには大きく2つの要素があるように思います。

1.良質な問い / 答え(あるいはその両方)を持つこと
2.作品としてのクオリティが高いこと

(どちらかが突出していればもう片方の質の低さを補いうる)

何故この二つかと言うと、
'現代アート''としての質は"問い"の質である一方で、
有名になる(成功する)かどうかは「絵面がセンセーショナルかどうか」だからです。

後者に関していえば、資本主義が発展したからこそと言えるかもしれません。メディアやSNSで取り上げてもらえる作品を作るのが、手っ取り早いでしょう。

他には、コンペに出すとか、人脈を持つとかも非常に重要ですね。

補足2 : 美術館/美術学校の限界

現代アーティストになって作品を作ったり主張すると、美術館や美術学校の門を叩くのが良いかどうかは分からないなと思っています。

美術館で現代アートの展示を応募していたとして、キュレーターに理解できないアートは展示されません。
また、美術学校は元より史学的学問的に美術を見るせいで当たり外れが大きいですし、権威性に胡座をかいてる人が多…そうなので、あまり期待できません。
(美学をやりたくて博士に行きたいと思ったのですが、教授があまりに権威性に胡座をかいていたので失望しました)

自分の作品を展示したいのであれば、もはやSNSでダイレクトに問いかけるのが良いのかもしれません。
 (美術館も場所によりけりです。良質なキュレーターのいる美術館は、展示がいつも良質で本当に素敵です)

補足3:現代〇〇

今日は現代アートの話をしてきました、その上で改めて言うのであれば、現代〇〇と言われるものは基本的に伝統に対しての問いかけをしています。
現代音楽しかり、現代演劇しかり。

アートなり音楽なり演劇なり、他の何であれ、それらは可能性と未来の模索なのです。

いつもジョン・ケージの4分33秒を胸に携えて生きていきましょう。

補足4 :現代アートに関する用語

私がアートについて説明する時に、いつも忘れちゃう言葉をここにまとめておきます。

・インスタレーション

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1970年代以降一般化した、絵画・彫刻・映像・写真などと並ぶ現代美術における表現手法・ジャンルの一つです。ある特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、場所や空間全体を作品として体験させるのが特徴。
一斉を風靡したアートでもありますが、国内だと草間彌生、吉岡徳仁なんかが有名でしょうか。

・コンテンポラリアート

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現代アートのことです。モダンアートは近代アート。
私はダミアンハーストが好きです。
好きな作品はアンビリーバブル号の財宝。

・キネティックアート

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動くあるいは 動くように見える物理的な美術作品のこと。
動力限としては自然の力や、電力や磁力によるもの、人力によるものなどさまざま。ときには鑑賞者が動かすことを求められる作品もあります。映画やアニメーションなどは、キネティック・アートとはされません。
テオ・ヤンセンのストランドビーストが好き。

・インタラクティブアート

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名の通り、Interactiveなartです。鑑賞者が何らかの方法で作品に参加し、鑑賞者と作品の間にインタラクション(相互作用)をもたらす表現手法であり、コンピューターやセンサーを用いて鑑賞者の動きや熱を感知し、作品に反映させるという手法が多く見られます。
Team Lab、Rhizomatiks、Naked 、Moments Factoryなどなど。

・メディアアート

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メディアアートとは、芸術表現に新しい技術的発明を利用する、もしくは新たな技術的発明によって生み出される芸術の総称を指します。
特に、近年はコンピューターや電子機器などのテクノロジーを利用した芸術表現が一般的です。
代表的な作家は、ダムタイプとか明和電機とか落合陽一とかスプツニ子!とかですかね。

・ジェネラティブアート

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コンピュータソフトウェアのアルゴリズムや数学的/機械的/無作為的自律過程によってアルゴリズム的に生成・合成・構築される芸術作品を指します。コンピュータの計算の自由度と計算速度を活かし、人工と自然の中間のような、統一感を持った有機的な表現を行わせる作品が多くあります。processingやp5.jsといったプログラミング言語で作成している印象があります。


いただいたお気持ちは、お茶代や、本題、美術館代など、今後の記事の糧にします!