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もし宮島に街ができたら

 2017年に世界遺産に登録された沖ノ島と同じように、宮島も元々は島そのものが御神体でした。そのため、神の上に社を建てるのはおこがましいということで、島の外に社を建てた。それが現在の海に浮かぶ厳島神社です。このような経緯がありながら、現在宮島には家々があり、人々の暮らしがあります。

図21
宮島の厳島神社

 

岡山城の元々姿

 岡山城は元々、もっと広範囲に石垣が張り巡らされてたり堀があったりでしたが、現在ではそれがなかったかのように街に埋もれています。櫓のすぐ隣に店ができ、城郭の内外問わず様々な建物が散在しています。
 宮島にしても岡山城にしても、現在のような姿になるとは当時思いもしなかったでしょう。

 時代が変わり、信じるものが変わると、当時あり得なかったことも当たり前になり得るんですね。

未来の当たり前

 富士山は霊峰であり、古くから信仰の対象とされています。富嶽三十六景の神奈川沖浪裏を始めとする日本美術を生み出すエネルギーの根源と言っても過言ではないくらい、日本人にとって特別な山ですね。
 でも、この観光客数(2018年現在)では強力(荷物運びの人)さんだけでは間に合わないため、物資運送のために道路をつくり、コンビニができ、次第に街になっていったとしたら、そのとき富士山の上に住む人たちは富士山が霊峰であったことを忘れるんでしょうか。

図17
富士山山頂付近の鳥居

 何十年後、時代が流れて、もし富士山がそうなるべくしてなったとしたら、きっとそれは罪なことではなく、重要なことはそのとき生きている人たちが、富士山が元々どういう存在だったのか、先人たちがどのような心を大切にしてきたのかを受け継ぎ伝えていくことだと思います。
 それと、富士山頂上から見た雲海の美しさは言葉にできません。

図19
富士山山頂から見た雲海


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