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カンボジアの美術(2014年9月)

カンボジアに行った理由

 中南米美術館にて海外の美術文化に興味を持ち、メキシコのテオティワカンやペルーのマチュピチュなど古代遺跡に行こうと、行き方を調べ始めました。

 しかし開始早々に断念。飛行機の往復チケットだけでも相当な金額で、とても手が届きませんでした。そこで書店や図書館で本を読み漁っていたあるとき、カンボジアにその欲求を満たし得る遺跡があることを知りました。アンコール・ワットです。(図1)

図1 アンコール・ワット

 それは、中南米美術館で得た刺激と同じベクトルのものでした。カンボジアでも、寺院など宗教建築とそれに付随する形で浮彫などの美術が発達しました(図2)。ヒンドゥー教の説話を描くために制作されたものが多く、寺院内の現地で見ることにおいてのみ本来の意味を成します(図3~5)。

図2 アンコール・ワット壁面の浮彫
図3 ヒンドゥー教の天地創造神話『乳海攪拌』①
図4 ヒンドゥー教の天地創造神話『乳海攪拌』②
図5 ヒンドゥー教の天地創造神話『乳海攪拌』③

 当時信仰の対象として、偶像として生み出された浮彫や彫刻は大抵の場合、優れたものであればあるほど本来の意味と切り離され、美術館・博物館にて美術として鑑賞されます。一方で、偶像引退後においても、当時の意味ごと保存されているのが遺跡です。

 中南米は日本からすると地球の反対側ですが、アンコール・ワットは日本からそう遠くはありません。そして以前訪れたインドネシア・バリ島同様、東南アジアであり航空券・物価はともに安い。さらに、アンコール・ワットは数多くあるアンコール遺跡群の1つに過ぎないと言います。2回目の美術文化を巡る旅は、カンボジアに決まりました。

壁面を埋め尽くすレリーフ

図6 浮彫による巧みな表現

 古代エジプトや古代ギリシャなど地中海周辺の美術は文字情報でもあったため確固たる型がありその型を忠実に表現することが最も優れた芸術家であり職人とされました。
 その2000~3000年後の美術とは言え、型の無いこの柔らかな表現、やり直しの効かない石壁への彫刻を筆で描いたかのように象の皮膚の厚み質感を緻密に表現し、全体としても古代インド叙事詩のストーリーを文字よりも確実に後世に伝えています(図6)。
 クメールルージュの大虐殺によって識字率の壊滅的低下を招いたカンボジアにおいて、ヒンドゥー教説話や歴史、習俗などを描いたアンコール遺跡群の壁面を埋め尽くすレリーフは、古代クメール人の先見の明とも言える貴重な文化遺産です。

 

図7 アンコール王朝の寺院① バイヨン
図8 アンコール王朝の寺院② プノン・バケン
図9 アンコール王朝の寺院③ プレ・ループ

 アンコール王朝では、王が代替わりする度に新たな王宮や寺院を建設しました(図7~9)。血縁ではなく実力主義で王位を決定していたアンコール王朝において、王たちが即位後それぞれに自分の権力を誇示したためです。そのためシェムリアップには多くの寺院や王宮の遺跡が乱立しています。神王信仰も根付いていた当時、自らを神格化するための舞台を整えることも重要な務めでした。

 現存しているものの多くはラテライトや砂岩で造られています。少し前まで砂や岩だったものが、形を与えただけで人(王)を神格化する要素になるほどにパワーのある「もの」になり、現代まで残っています。当時の人たちにとってそれは美術という意識ではなかったかもしれませんが、このような古代の遺跡から、人の表現することに対する根源的な欲求と共に、美術の力を感じました。

美術がある遺跡、遺跡がある街

 アンコール・ワットはクメール語で「寺院からなる都」を意味します。アンコール王朝26人の王たちがそれぞれに建立した寺院が点在するシェムリアップを象徴するような意味合いです。寺院が王の威厳を保ち強力な都となり、その都を拠点に力強い国を形成していくという国づくりの根幹を支えていたのが現在のアンコール遺跡群でした。

図10 クメール語で「大きな街」という意味のアンコール・トム、写真は南大門

 生口島の平山郁夫美術館にて、以下のキャプションをメモしていました。「京都は平成六年(1994年)、ユネスコ世界遺産に指定された古都である。時変わり、人変われど、日本の文化を育んだこの街は、私たちにとって永遠の聖なる都であると思う。世界が認めた「文化」として京の町は日本民族が長い年月をかけて作り上げた芸術作品と言えよう。」
と平山郁夫氏は言っています。
 ここで言う日本の京都は、カンボジアのシェムリアップにも置き換えることができます。

図11 遺跡に付随する浮彫(デヴァター)@タ・ソム
図12 遺跡に付随する浮彫(デヴァター)@アンコール・ワット
図13 遺跡に付随する浮彫(ヴィシュヌ神とガルーダ)@プラサット・クラヴァン

 平山郁夫氏は、京都の町を、日本が長い年月をかけて創り上げてきた芸術作品として捉えています。アンコール・トムは「大きな街」を意味し、アンコール・ワットは「寺院からなる都」を意味します(図10)。
 当時カンボジアで見たかったものは、文脈から切り取られていないそこにあることで意味を成す美術でした(図11~13)。美術を単体で見ずにその背景にある文化も併せて総体として見る芸術作品。美術だけではなく、その美術が施されている寺院が見たいのであり、その寺院がある街が見たかったのです。美術を鑑賞する視点以上に文化を鑑賞する視点が不可欠なのが、アンコール王朝の美術でした。


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