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【母方ルーツ #4】おじいちゃんのオーラを思い出す

いつからか、海を見るとなんとなく祖父を思い浮かべるようになりました。

3ヶ月という時間を要した後に届いた祖父の軍歴証明書。

厚生労働省からの封書を開けると、A4カラーコピーの「旧海軍の履歴」と、申請用に添付した戸籍謄本、住民票がそのまま返送されてきました。

送付資料には履歴原表と記載され、
担当は厚生労働省社会・援護局  援護・業務課  
調査資料室資料第二班とありました。

このご時世、大忙しであろう厚生労働省。
こんなタイミングで、手を煩わせてしまったような気持ちになる…
(部署が違うから関係ないのでしょうけれども)
いずれにしても、感謝です!
ありがとうございました。


では改めて軍歴証明書というものが何なのか、どんなことが書かれているのかを見ていきます。

軍歴証明書

軍歴証明書
「氏名・官職・叙位叙勲・招集時期・出航した港・配属・任官・進級・従軍記録・賞罰・傷病と治癒・招集解除時期」など、軍隊に所属していたときの詳細な内容(軍歴)が書かれています。また上の画像を見てもわかる通り「職業」や「家族構成」なども記載されている。

これはWebサイト上からお借りした画像です。
祖父本人の書類も全く同じフォーマットでした。

インクが滲んでちょっと読みにくい箇所もありましたが、ひとつひとつ目を通していきました。

足取りをたどる

祖父は大正11年生まれ。
海軍に入隊したのは昭和17年、21歳の時でした。

戦歴からキーワードとなりそうなものを拾っていきます。

所轄  「横須賀鎮守府」
兵種 「機関兵曹」

履歴 
昭和17年 横須賀海兵団  (21歳)
昭和18年 安州丸
昭和18年  「工機学校 」入学
昭和19年8月 「第一特別基地隊」
昭和20年3月「大楠海軍機関学校」卒業
昭和20年3月「第二十一突撃隊」  (24歳)


祖父の記録は海軍の機関兵として、横須賀海兵団から始まっていました。

そこから航空隊を経て、安州丸という補給艦に所属したのち工機学校入学、半年後に卒業。

その後入学時期の記載はないものの、大楠海軍機関学校練習生教程を卒業とありました。

ただ、卒業の記載よりも早く第一特別基地隊所属となっています。
後に詳細に触れようと思いますが、第一特別基地隊とは呉の回天作戦の拠点です。

一般の学生たちが学徒動員される中、海軍の学生たちもそのようにして駆り出されていたのかもしれませんし、専門技術を学ぶために短期的に機関学校で学んだのかもしれません。

祖父の場合は、いわゆる将校養成課程に在籍していたわけではなさそうですが、
少しでも何かヒントになる情報がないだろうかと、海軍機関学校についての資料、そして機関兵についての情報を探しました。

兎にも角にも、私は「そもそも」が何もわかっていないのです…

海軍機関学校


江田島の海軍兵学校は、坂の上の雲(時代は違うけど)にも登場したので認識はありましたが、海軍機関学校というのは今回初めて知りました。

海軍工機学校は、大日本帝国海軍における機関術・造船術の専門家を養成する教育機関のことである。海軍機関学校を卒業した機関科将校の教育・研究・実験を推進する普通科・高等科・専攻科・特修科と、機関兵・機関下士官の訓練・実習を推進する普通科・高等科を設置し、技術者として必要な知識と技能の習得を図った。
Wikipedia

おそらく祖父は後者の機関兵の訓練実習をここで行っていた様です。

海軍機関学校は、機関科士官を養成する学校であり、戦闘を指揮する兵科士官を養成する海軍兵学校、会計物品給与を担当する主計科士官を養成する海軍経理学校とともに「海軍三校」と呼ばれていた。
エンジニアとして必要な機関運転の知識や技術を教えた。
機関科士官には兵科士官のように戦闘時の指揮権はなく、いわば縁の下の力持ちであった。
江田島海軍兵学校


ざっと、このような説明がありました。

いくつかの参考書籍に目を通しましたが、海軍兵学校についてはたくさんの記録が残っていますが、機関学校についての記録はほとんど見られません。

そんな中で比較的丁寧に記載があったのは、
回天に賭けた青春」という書籍でした、

回天創始者黒木博司の生い立ちから戦歴までが描かれた1冊で、黒木が機関学校出身であるというところから掘り下げ説明が添えられていたためです。

数ベージにわたって機関学校、機関兵がどういう存在であったかを詳細に記述されています。

ここから引用ばかりになりますがご了承ください。

兵学校が広く紹介されているのに比べ、機関学校は影が薄い。それは機関科将士の任務が鑑のそこで働くなど地味であり、目立たないからであろう。
出典    回天に賭けた青春

との一文から説明が始まるように、まさにこの地味という一言が全てを物語っていると思われました。

けれども、読み進めていくうちに「地味」などという表現が適切ではないと感じるようになります。

学科編

機関学校の学科時間はすこぶる多く、学科六時間に対し訓練一時間の割合。1学年の四号は1年間に数学、物理、化学、力学の理数系および歴史、地理、国漢、英語、法律、経済の文化系普通学のほかに、主機械、缶、航空機概論、工作、作図の機械科必修項目、それに航海術、運用術、砲術の軍事学、合わせて30近い科目が課せられる。
学年が上がるにつれ、各種力学などを専門的に学ぶ。その一つとして機構学の習得に力を入れるのもこの学校の特色である。機構学とは構造物に外力を作用させた場合の構造物の内部応用力とその変化を研究する学問で、船の構造であれば造船学、船体力学の基礎をなすもの。機械各部間の複雑な機構を取り扱う。機関学校のレベルは高い。
出典    回天に賭けた青春

訓練編

訓練は、冬は武道、短艇、スキー更新、春と秋は陸戦(銃を担いでのマラソン)、ラグビー、体操、射撃。夏は水泳、相撲、遠泳、遠漕、マラソン、棒倒しが加わり、体力気力の限界に挑む。
出典    回天に賭けた青春

既に述べたように、祖父は将校養成課程ではないため基礎的な学習過程を受講していたわけではないと思われますが、少なからずこのような空気が流れる世界の中に身を置いていたのだと思います。

私の記憶の中の祖父は、細身で顔は頬骨が目立つほど華奢な人でした。

こんなに過酷な世界に耐えうる強靭な肉体を持っていたのかと正直驚いているほどです。

そういえば、数年前に祖父が若い頃の写真を一度だけ見たことがあり、
確かにガッシリとした体型の祖父がそこにいました。

アルバムをめくる母が「おじいちゃんもこんな時があったのよねぇ」としみじみと言った一言が印象的で、それだけ母にとっても祖父の若い頃と晩年とでは、印象がまるで異なるものだったのだと思います。

学科だけから見ると、機関学校は高級技術者の養成校のようだ。訓練だけからでは、まるで体育学校と見まがう。苦行に耐える僧林さえ連想させる。生徒はむろんそれらのどれにも属さない。一にも二にも彼らは軍人なのである。それも鑑底て黙々と戦うよう自らを仕向けていく戦士なのである。
出典    回天に賭けた青春

確かに。
苦行に耐える僧林とあるように、
以前の記事で「魔法使いだったかもしれない」と表現した記憶の中の祖父はどこか高僧のようでもありました。

方針編

機関学校では、成績順位は自分にも誰にもわからない。卒業時に初めて本人だけに知らされる。卒業すれば、学校の成績がどうであろうと、皆それぞれの長になり指揮官になる。成績がわかるようにして、そのために無用の競争心を起こさせてはならない、というものであった。機校の席順や整列順は五十音順になっていて、これがもし江田島兵学校のように成績順で定められていたならば、文体の空気も大きく変わっていたであろう。
出典    回天に賭けた青春

教育論としても、興味深いものです。
競争心を煽るメリットデメリットも、熟知した上で方針を作り上げていったのでしょう。

良くも悪くも、最終的にそれをどのようなもののために使うか…
戦中もさることながら、戦後のリーダーとなった人々の中にこのマインドを携えた人は少なからずいたことでしょう。

これに関しても過度な賞賛も否定も控え、このような背景を知ることの意義をかみ締めています。

作家の岩田豊雄は『海軍随筆』のなかで機関学校に触れ「江田島の生徒を非縅の鎧の若武者に例えるなら、ここ(機校)の生徒は黒糸縅を着ているような印象を受けた」と言っている。
神経質にはならないが、いつも死を考えるようになる。機関科将校にはクリスチャンや禅書に凝る者が多いという。
出典    回天に賭けた青春

やはりこの記載からも、高僧のように感じさせた祖父の背景には少なからずこのような校風や機関兵という任務を経験したことによるのだと思いました。

機関科とは機関兵とは

高温と、汚れた空気と、吹き出す汗と。鑑底の劣悪な環境の中、汽缶や機械を守り、戦闘にあたっては、生存確率の低い機関科員を率いて、平然と死所に赴かせる指揮官になること、縁の下の力持ちに徹することが要求される。それに耐えらる強い心と体が、突き詰めれば没我の犠牲的精神が、機関士科将士の心がけとして必須の条件となってくる。
~中略~
艦底のボイラールームで黙々として死んでいくのが機関科の宿命である。

決してこの当時の犠牲的精神を美談として賞賛しようというわけではありません。

けれども、祖父を知る上でこのような背景を知ることから深く納得するものがあり、祖父、そしてその時代の方に対しての畏敬の念が強くなります。

現代人が抱える心の側面としての「自己犠牲精神」は、この時代のそれとは全く異なるものだと感じます。


この資料を手にする前は、祖父の機関兵としての背景を思い浮かべるところからスタートするとは思ってもみませんでした。

どうしても「回天」「特攻」のイメージが強くそちらにばかり意識が引っ張られていましたので。

けれども今回、機関学校の様子や機関兵とはどういうものかを知ることで、祖父の生き方やオーラについて納得するものがありました。

少ない資料からわかることは多くはありませんし、私の無知さゆえに及ばない想像力や情報を掴み損ねていることも多々あるかと思います。

自分の都合のいいように解釈している部分もあるでしょう。

それでもこうしてここに記しながら、祖父の心に呼びかけ続けている自分がいます。

次回はいよいよ呉、第一特別基地隊以降の資料を探していこうと思います。

おまけ   私も魔法使いかもしれないお話

最後にちょっとだけ、おまけ。
私も魔法使いだったかもしれないお話を。

それはSNSで繋がりのあった方とのやり取りの中で起こったことです。
その方は大叔父さまを特攻で亡くされたとのことで、長年情報を求めておられました。

彼女とのやり取りをする中で、私も少し特攻に関する本を読もうと、図書館へ行き何となく手に取った1冊の本の中にその方の大叔父さまのお名前とエピソードがあったのです。

こんなに簡単に巡りあったものだから、色んな本の中に紹介されている方なのかと思い、その事を伝えると、
彼女は「そんなことってあるのねぇ!私はその本に巡り会うまでに沢山の本を探して探して、数年かかったのよ〜」と。

「えー!!!」

たった一日でその本に巡り会うという不思議なできごとでした。

情報はどこか不思議なところから舞い込むこともあるものです。

もしかしたら、こんどは貴方がその情報を運んでくれるのかも。


少し重い内容ではありましたが、ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。

参考資料
江田島海軍兵学校  徳川宗英
回天の群像  宮本雅史
「回天」に賭けた青春  上原光晴
あゝ回天特攻隊  横田寛
出口のない海  横山秀夫
証言記録 兵士たちの戦争   NHK戦争証言プロジェクト










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