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読書感想文 善と悪のパラドックス ヒトの進化と〈自己家畜化〉の歴史

 「自己家畜化」(!?)なんだそれは。

 このワードをネットでたまたま見かけたことをきっかけにこの本に辿り着きました。自分で自分を家畜化するとは一体!?と日ごろペットの絵を描いている身としても興味津々...!

 この本の大きなテーマは、ヒトが他の動物には見られない極端な「善」と「悪」の性質を併せ持つことについてです。序文ではまずヒトラーら歴史に名を残した独裁者たちの残忍な行いと、一個人として知られていた善良な一面とを例に出し、以下のように述べられています。

 人間のとりわけ異質な特徴は、言語道断の邪悪さから、心を打つ寛大さまでの道徳性の幅である。生物学的に見ると、その多様性について疑問が浮かぶ――もし人間が善良に進化したのなら、なせ同時にこれほど卑劣なのだろうか。あるいは、邪悪に進化したのなら、なぜこれほど親切なのか。

 他者を助けたり日々穏やかに交流し共生する一方で、集団的処刑やリンチ、戦争による大量殺戮を行う。この両極端さこそが他の動物には見られない人間の「人間らしさ」なのだと言います。

 ボリュームのある本なので、この記事では自分が興味を持った「自己家畜化」のところにある程度、焦点を絞って書いておこうと思います。

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自己家畜化とは???


 生き物を単に飼い慣らすことと家畜化するというのは、似たことのようでいて違います。野生動物は人の手で飼い慣らすことは出来ても生まれながらの攻撃性や警戒心を完全に抑え込むことは難しいのに対し、家畜化された種の動物は生まれながらの性質そのものが従順で大人しいのです。

 第3章「ヒトの家畜化」ではオオカミとイヌの比較を例に、ヒトの性質がこう書かれています。

 飼い慣らされたか、家畜化されたかという二分法で、ヒトがどちらに属するかは明白だ。私たちは典型的な野生動物に比べて穏やかで、オオカミより犬に近い。互いの目を見ることができ、すぐに激怒することもない。そして通常、攻撃の衝動を制御している。霊長類にとってもっとも攻撃性が発動されやすい刺激は、見知らぬ相手がいることだが、児童心理学者ジェローム・ケーガンは、数百人の二歳児が見ず知らずの子と会っても、相手に襲い掛かることはなかったと報告している。見知らぬ相手とも平和的に交流しようとするこの姿勢は、生まれつきのものだ。家畜と同様、人間は反応的攻撃に移る閾値が高い。その点で、野生動物よりもはるかに家畜に似ている。

 言われてみれば確かに頷ける話ではあります。しかし「家畜化」といえば一般的には、例えば人間が犬や豚や牛など特定の動物の交配と世代交代を繰り返して大人しく使役しやすい性質にする...といった、意図的な繁殖による結果のことを指すでしょう。

 ヒトが家畜らしい特徴を持つのならば、神様か誰かがそうしたのか?でなければ一体どのようにしてそうなったのか?人間が家畜だなんて、いったいどういうことなのでしょう。

 それを読み解く鍵となるのが「自己家畜化」です。

 まず、動物には2種類の攻撃性があるといいます。カッとなって怒るような反射的な攻撃性「反応的攻撃性」と、計画的に熟考し攻撃を行う「能動的攻撃性」です。これは猫で言えば、身を守るためにとっさに出るような攻撃と、鼠を捕るために物陰から忍び足で近づくような攻撃の違いです。

 家畜化された種の多くは「反応的攻撃性」が抑制されていますが、それに加えて「能動的攻撃性」が高度に発達し、この2つに大きな差があることがヒトの大きな特徴です。これが冒頭の引用にもあった「道徳性の幅」として表れています。ヒトはこれを誰の手によるものでもなく、進化や環境の変化・適応によって家畜にも似た性質を自ら獲得していった...というのが「自己家畜化」説です。

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家畜化症候群!?

 家畜化が進んだ種には共通して見られる特徴があり、これを「家畜化症候群」と呼びます。本書では代表的な性質が4つ挙げられています。

 野生種よりも小型化する
 顔が平面的になり、顎や歯が小さくなる
 オスとメスの違いが小さくなる
 脳が小さくなる(認知機能は必ずしも低下しない)

 他に、攻撃性や警戒心の低下、友好的である、耳が垂れる、体毛に白い斑が現れる、大人になるのが遅い、など様々な特徴が挙げられています。短いマズルの平面顔、垂れた耳、おとなしい...などはペット動物を見るとかなりピンと来ます。

 そしてこれら家畜化症候群の性質を踏まえた上で、ヒトが野生種と家畜種のどちらに属するのかというとやはり明らかに「家畜」であるだろうということです。現生人類の分類種はホモ・サピエンスですが、約30万年前のホモ・サピエンスの化石と現代人の骨格を比較すると、上記の家畜化症候群の特徴との一致も多く見られるのだそうです。

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類人猿に見る自己家畜化

 「自己家畜化」がいかにして起きたかは完全に解明されてはいませんが、手掛かりとなる例として、ヒトと共通の祖先を持ち最も近い種ともされる「チンパンジー」「ボノボ(ピグミーチンパンジー)」の比較が示されています。

 チンパンジーは反応的攻撃性が強く、道具を使用し、個体間競争が激しく、暴力的なオスが社会的優位になる特徴を持ちます。

 ボノボは反応的攻撃性が比較的弱く、互いに友好的なコミュニケーションを取り、個体間競争が少なく平和で、メス優位です(乱暴すぎるオスは複数のメスからとっちめられるらしい)。

 ボノボはチンパンジーと比べると小さく幼い見た目をしていて、幼体から成体になるのが遅いなど、家畜化症候群の特徴が多く確認されています。

 この2種の生息域は共にアフリカ中央部ですが、コンゴ川を挟んで南北に分断され、交わることはありません。北のチンパンジーはゴリラとの生存競争に晒されているのに対し、南のボノボは食べ物をほぼ独占出来る競争の無い環境に住んでいます。この生息環境の違いによって自己家畜化が発生した可能性があるとされています。

 野生の類人猿に家畜化症候群の自然発生が見られることは、近縁種であるヒトの自己家畜化にもある程度、説得力を持たせるものとなるのかもしれません。

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家畜化についての優劣

 「家畜化」「家畜と見做される」といった表現は、自由を奪われいいように扱われることの比喩などでしばしば目にしますが、我々ヒトは実は既に家畜だったのだというのは何だか皮肉というか、面白い話です。

 人間の家畜らしさについては、古くは2000年以上昔に古代ギリシアのアリストテレスも指摘していました。そして自己家畜化の理論を最初に提唱したのは18世紀末のドイツの人類学者ヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハです。

 この理論は「家畜化が進んでいない「非文明人」は野蛮で劣っている」といった具合に解釈されてしまい、その後の優生学や人種差別などとも結びついた悲しい歴史があります。

 これは今の侮蔑的な意味で使われるような「家畜」とは真逆なのが興味深い点です。家畜化は確かに理性的、文明的、平和的であるという意味合いを持つとは言えます。清潔に整備された都市で定められた規範に従順に行動したり、社会から暴力性が抑制されることでコミュニケーションや知性が重視され、ジェンダーレス化が進んたりといったように。

 逆に、ナチスドイツは文明人こそ堕落した存在だと指摘しました。鈍臭く、画一的であること。供給されるエサのような食品を効率的に摂取し、次々に生まれるコンテンツを大勢が同時に刹那的に流され、消費していくこと。蛮勇さを失うと共に、逞しさを持たなくなること。

 進歩か堕落か。家畜化の解釈には二面性があります。どちらも100%の正解ではないものの、不正解とも言い切れないように思います。

 しかし、例えば都市と田舎で、先進国と途上国で、今と昔で、比較してどちらが優れているとか善であるとか、人間性の優劣にも直結しかねない価値判断が至近距離にある危うさについてはやはり細心の注意を払う必要があるでしょう。この本はそれを訴えかけてくれているように思います。

 少し話が逸れますが、人間が家畜らしい生き物であるのならば、動物の「家畜化」は「人間化」と言ってもいいのかもしれない気がしました。昨今のとりわけ先進国に多く見られるペットのデリケートな扱いや、時に行き過ぎにも感じる擬人化を伴った愛護活動などを見るとそう思います。

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胸に刻む言葉

 本書のこの先は、人間独自の社会的特徴の話へと続いていきます。秩序を乱す暴力的なオスを集団で排除するための計画的処刑が生まれ、それによる性淘汰の結果として反応的攻撃性が更に弱まり、寛容な協調性(道徳心)が発達し、大きな階級社会を築き、やがて戦争へ...といった具合に話が展開します。

 最終の14章では、極端な「善」と「悪」の性質のパラドックスを抱える人間の本性を善悪のキメラと解釈しています。ギリシア神話のキメラがライオンでありヤギでもあるように、人間は善であり悪でもある。そしてそれは最善にも最悪にも振れてしまう。

 著者のアウシュビッツ見学の体験と共に、最後はこう締めくくられています。

人類が探求すべき目標は、協調の促進ではない。その目標はむしろ単純で、家畜化と道徳感覚によってしっかりと基礎づけられている。それより困難な課題は、組織的な暴力が持つ力をいかに軽減させるかだ。私たちはその道を歩き始めたが、まだ先は長い。

 協調性、道徳心は人間が人間である限り、進化の過程で予めプログラムされているので、それの更なる強化を心掛けるよりも、暴走を抑えることこそが平和への道...ということでしょうか。

 発達したコミュニケーションメディアによって毎日どこかで何かが燃えているのを見ると、胸に深く刻んでおこうと思わされる言葉です。自身の創作のエネルギーにもなりそうな、骨太な良書でした!

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