有馬テクヲ

エッセイっていうのがなんだか照れくさいので随筆としています

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エッセイっていうのがなんだか照れくさいので随筆としています

最近の記事

認知が歪みすぎの話

 自分が関わると物事を台無しにする気がします。実際にはそんなことなくても、なんだかそんな気がするんです。  あるいは、身の回りで悪いことが起きると、自分のせいでは?と思ってしまいます。実際にはそんなことなくても、なんだかそんな気がするんです。  この感じ、わかりますかね。認知の歪みというやつです。  長い付き合いですが、奴の暴走はそれだけに留まらず、外は怖いことだらけだし、他人は恐ろしい生き物だし、何をしても他人に振り回されるし、何もしなくてもやっぱり振り回されるし、善意は悪

    • 臆病すぎな話

      皆さんは初めて会った人をどのように見るでしょうか。僕の場合、とても良くないんですけど、この人は敵か味方か?と審査するような、警戒心全開の見方をしてしまいがちです。 もちろん実際の人間は敵か味方かだけで分けられるほどシンプルではありません。誰でも大抵は肯定できる部分と、そうでない部分を併せ持っているものですが、僕はどうも人間関係を単純にしたがる癖があるようです。要するに幼稚なんですけど、それもまた不器用なりに身を守るために、自然と身についたものでした。気がつくとまだ起きていな

      • 自分の機嫌をとる話

        リングフィットを最後に起動したのはいつだったか、アプリで確かめたら去年の11月でした。それでも週に何度かは少しでもストレッチや体操、軽い筋トレなどするよう心がけています。まさか僕が自分から運動するようになるとは思いませんでした。それだけでもリングフィットの功績は大きいのです。 そもそも運動をするようになったきっかけは、冬が来るたびに悩まされていた末端冷え症状でした。手足の先が冷たいのに頭というか顔面だけが熱く、まるで風邪を引いたかのように感じる現象、覚えのある方も多いのでは

        • 夜景と居場所の話

          大都市の夜景が好きです。そこに見える光の全てに何かしらの理由や目的があるように、これだけの大仕事を成し遂げてきた人類だって、みんな理由があって存在しているはずだという気になります。僕にさえ、一時でも無邪気にそう思わせる力があるようです。 今のところ、少なくとも物理世界において、僕には社会に定まった居場所がありません。学校や職場に馴染めなかったことは前に書きましたが、例えば誰かと一緒に遊んでいても、気を抜くと「この人俺といて楽しいんかな?精神的搾取になってないか?」とかろくで

        認知が歪みすぎの話

          梅田のど真ん中でロリータ服が売ってた話

          先日久しぶりに大阪梅田を歩きました。オフィス街と繁華街が混ざったような場所で、大阪で遊びに出るとしたら大体ここか心斎橋、日本橋を含むなんば周辺となるような中心街です。 その日の主な目的はヨドバシカメラでしたが、せっかく出かけたので珍しくHEP FIVEなどを冷やかしに行ったりしました。赤い観覧車の載ったビルをご存知でしょうか。あそこです。大阪で若者が服を買うとしたらとりあえず行ってみるような場所で、あの周辺はファッション完全無知の僕でもおしゃれな人が多いと感じるのですが、時

          梅田のど真ん中でロリータ服が売ってた話

          鎮痛剤と非常ブレーキ

          時々全てを投げ出して忘れてしまいたい気分になるものの、投げ出せるほどのことを何もやっていない。忍び寄る不安を振り払うように娯楽に没頭する日々です。人によってそれはガチャだったり、お酒だったり、色々あると思います。そういうものをまとめて「人生の鎮痛剤」なんて冗談みたいに呼んでいたら、最近になって某ドラッグストアチェーンがストロング系チューハイを自社ブランドで出していると知りました。やっぱりアレはお薬だったんだ。 お酒がほとんどダメで、薬も上手くいかなかった僕の場合、ゲームや音

          鎮痛剤と非常ブレーキ

          自分を許して許されたい

          気の利いた書き出しが思いつかないので直球になりますが、僕は自分が嫌いです。 やりたくない事が本当にできない幼稚さが嫌いです。まだ起きていない問題や誰かの不機嫌、実際にはあるかどうかもわからない悪意の気配に怯えてばかりいる自分の性格が嫌いです。他人が10秒でできる動作に1分も2分もかかる手際の悪さが嫌いです。時折ボイチャから跳ね返ってくる自分のしょうもない声なんか特にダメで「宇宙一つまらない声」を自称しているほどです。 人生のかなりの期間において、僕にとって最大の脅威とはそ

          自分を許して許されたい