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夜景と居場所の話

大都市の夜景が好きです。そこに見える光の全てに何かしらの理由や目的があるように、これだけの大仕事を成し遂げてきた人類だって、みんな理由があって存在しているはずだという気になります。僕にさえ、一時でも無邪気にそう思わせる力があるようです。

今のところ、少なくとも物理世界において、僕には社会に定まった居場所がありません。学校や職場に馴染めなかったことは前に書きましたが、例えば誰かと一緒に遊んでいても、気を抜くと「この人俺といて楽しいんかな?精神的搾取になってないか?」とかろくでもない事を考えてしまう。具体的に何か役に立つことをするとまでは言わずとも、例えばただ一緒に居て楽しいとか、何かしらのメリットを与えている実感がないと不安になってくるせいで、卑屈な生き方を自ら選んできてしまいました。他人と上手くいかないのは自分が役に立たないつまらない奴だからだと思い、自分という存在について魅力や価値をほとんど認めてこなかったために、あれこれ気を回そうとする割にいつも肝心な所で手落ちがあるような、空回りを演じるばかりでした。結果、ますます居づらい。正直これは止めたい癖です。

思い返すと、僕が過去にやってきたことの多くに、嫌味にならない程度に自分を良く見せたいけど過度な期待はされたくないという、極めて臆病な打算が隠れていました。例によってうまく機能しませんでしたが、自然体の自分が好かれる自信があまりにもないと、意識せずともそうなっていくようです。

世の中に居場所を見つけられず、新たな場所に飛び込む勇気もない、でも好かれたい、承認されたい、そんな自分の歪さには時々目を覆いたくなります。そんな時でも、街の夜景を見に行くと、重苦しいものが少し抜けるような気がします。都市という巨大な器を眺めていると、その中に僕みたいなものが一匹紛れ込んだところで、どうって事はないんじゃないかと、不思議とそのように思える時があるのです。

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