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鎮痛剤と非常ブレーキ

時々全てを投げ出して忘れてしまいたい気分になるものの、投げ出せるほどのことを何もやっていない。忍び寄る不安を振り払うように娯楽に没頭する日々です。人によってそれはガチャだったり、お酒だったり、色々あると思います。そういうものをまとめて「人生の鎮痛剤」なんて冗談みたいに呼んでいたら、最近になって某ドラッグストアチェーンがストロング系チューハイを自社ブランドで出していると知りました。やっぱりアレはお薬だったんだ。

お酒がほとんどダメで、薬も上手くいかなかった僕の場合、ゲームや音楽、推しの配信やアニメなどがそれに当たります。実家の一室でバーチャルタレントの声をBGMにクラフトゲーで虚無を生産し続ける姿は客観視すると中々厳しいものがありますが、そうして麻酔を入れていないと脳が勝手にろくでもないことを考え始めるし、下書き欄でセルフ傷舐めツイートを無数にこね始めたりするので始末におえない。僕の脳はブレーキが壊れたポンコツ車みたいなもので、ちょっとしたきっかけから過去の経験や記憶、または未知の脅威を生み出してネガティブ縛り連想ゲームを始めてしまう。例えば電車の音が聞こえると、はるか昔に車内で突然知らない人に絡まれたことを思い出し、そういえばあの時駅のホームでも、もっと強く出てておけば…次あんなことが起きたらどうすれば…と、こうなる。僕にとって娯楽は鎮痛剤であると同時に暴走する脳の非常ブレーキでもある。

こういう限界めいた生態をちょっとコミカルに描いてコンテンツ化し電脳世界へ発信するが如き行為は、もしかして自傷に近いんじゃないかと時々考えます。笑いに変えでもしないとやってらんないよという思いと同時に、面白がるついでに共感してもらえることを期待している自分がいるのです。わかる、それでも良いじゃんとか言われたい。良いわけはないのですが、こうして形に残るアウトプットに繋げるようになったことは少なくとも一歩前進、と自分に言い聞かせています。

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