いつもの散歩道を裸足で
痛かったっす。
そして犬の気持ちが分かった。
なんでそんなことした?というのはこの記事を読んでください。
神々と電磁波の揺らぎ|ある_ぽす (note.com)
そんなことよりも裸足で散歩した話でございます。
まず痛い。とにかく痛い。
実行した日も時間も悪かった。
それは夜まで降った雨がやっとあがった朝早く。気温が上がる前に歩こうと思っての時間設定だった。だから道路は湿ってはいるが水たまりは無い。
道が完全に乾いていれば尖った小石が足の裏に付くことはなかったろう。
道に水たまりができていれば小石は落ちるし、落とすこともできただろう。
だが、そうはならなかった。
家から歩きだしてすぐに足の裏はわずかに湿り、その湿りは道路の細かい鋭くとがった小石をことごとく足裏にくっつける接着剤となった。歩いても落ちない小石どもは歩くたびに増えた。痛みは増え続けた。痛みに耐えられず手で足裏の小石を払うのだが、数歩を歩くだけで似たような状態になる。
この小石は駐車場に撒かれた山砂利が、行きかう車などによって細かく砕かれ道路に散乱したものと推測できた。ならば、駐車場から離れられれば小石は少なくなるはずだ。私は痛みに耐えながら進むことにした。
だが甘かった。
そういう小石によってアスファルトも尖っていた。そしてその尖りの脇にはアスファルトを尖らせたと思しき小石が小さな溝に鎮座しており、これらを踏むとまずアスファルトが痛いし、その後小石が足裏に付き、次の一歩がさらに痛いという悪循環だった。
よく見ると、水道用マンホールの周りだけが荒れており、その少し先は歩きやすそうだった。私は進むことにした。
ここらへんで気が付いたのだが、痛いことは痛いのだが、別に出血するわけではないのです。私は自分の意外な丈夫さに驚き、感心した。あんなに痛いのに怪我はしないというのは意外だった。
大きな道に出た。
私はそのまま横断することにした。信号機のない場所なのだが、歩数を減らしたかった。大きな道のほうが痛いかと思いきや、全くそんなことはなく、むしろ何の痛みもなくわたることができた。清掃がいきわたっており、使われているアスファルトは歩いてきた道の物とは色も形も柔らかさも違う、明らかな高級感があった。この道路を敷いた方々に誉れあれ。
そこからしばらくは、まあまあ我慢できる程度の痛みがともなう道路を公園方向へと歩いた。白線の上が凹凸のない素晴らしい平面であるのと同時に、ひんやりと冷たい感触があり、唯一痛みから解放される道だった。私は白線が大好きになった。
公園に着いた。
これで痛くない場所に来たぞと安心するも、これはすぐに裏切られることになる。芝生は芝生で独特の痛みがあったのだ。下の土は雨のせいもあってかとても柔らかい。しかし、芝は硬かった。小石のような点による痛みではなく、葉や茎による線による痛みだった。しかも、考えてみれば足裏の皮膚が水でふやけ、柔らかくなると怪我をしやすくなる可能性がある。歩きなれて皮膚が厚くなった頃ならいざ知らず、歩き始めた今日は足裏を濡らさない方がよいと考えた。早々に公園から退散し、神社をまわって帰宅した。
こんなに足元を見ながら
どこを歩くか、どうやって歩くか、抜き足差し足で歩いたのは初めてでした。
動物の足の踵が、先から離れ膝に近くなる理由が分かった気がした。踵なんか使わないからです。何を踏むのかわからない1歩をかかとから行くと反応が遅れるのです。母指球から下ろし、なるべく体重移動は緩やかに、何かあったら足を上げられるように膝は少し曲げて歩くから、踵なんか要らない。
そして、散歩する犬が、なぜ下ばかり見て歩くのか見当がつきました。痛いからです。あんな道は歩きたくないでしょう。かつて私は向こう三軒両隣の道を掃除していたことがあります。散歩に連れられた犬がその掃除した場所に入ると「はっ」と私の方を見るのです。何故なのか分からなかったのですが、裸足で歩いてみてやっとわかりました。歩いても痛くないのです。たぶん。
散歩嫌いの飼い犬をお持ちの主さんは、もしかしたら道を変えればいいかもしれません。
読んでくれてありがとうございます。
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