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識「 」率と安心安全

識字率が何%まで下がるとおかしなことがまかり通ることになるのだろう?


例えば、同一の主張を唱える国民が10%ほどになれば政府は無視できなくなる、ということを主張する論文があったりする。たしか。

これを信用するならば、論理的思考を理解できない人たちが主観や感情で物事を主張し、これが10%ほどになれば政府は無視できなくなる、ということになる。
アメリカのポリコレ、LGBTQ、これなのでは?


SNSは様々な人を結びつけた。そして同レベル帯の人たちを集合させた。
ただ、論理的思考を理解できる人は頭のいい人たちと出会う機会にもとから恵まれていたのに対し、論理的思考を理解できない人たちは自分と似たような人たちと出会う機会に恵まれてはいなかった。

例としては、高校を卒業できた人たちの集まりはあっても、中退した人たちの集まりって無い、じゃん?

このような人たちに「これまでなかった集合する手段」としてSNSが機能した、のではないか?


最初に識字率と書きましたが、しかし本当に言いたいのは、
識字率ならぬ、識「論理的思考」率というか、識「疑」率というか、識「老荘」率というか、です。

そういう識「〇✕△▢」率がどれくらいまで下がると、おかしな論がまかり通るようになり、政府が無視できなくなるのだろうか?

教育ってマジで国の大事だった。
勉強って大人もやるべきものだった!


読んでくれてありがとうございます。

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