見出し画像

作品群で描く浮世式、八百万式

今後どうなるのかわかりませんが、欧米のポリコレが無くなるというのは想像しにくい。

最近では、ローカライゼーション(翻訳、吹替)の段階で、現場が勝手にセリフなどを変更しているそうです。そして、ポリコレに賛同しない企業や作品にむけて、ポリコレに賛同しないことで起こる悲劇を想像させ怯えさせましょうみたいなことを公式に表明している、らしい。

ふむふむ。
自由、民主主義、といった価値観を広めることに成功したので、再びできるると思っているのだろうか。
あるいは、勝てないなら勝てるルールに変えればいいと思っているのだろうか?

商機、勝機なのでは?
欧米がそういう価値観で、あらゆる作品を勝手に改変することは”当然のこと”として諦めてみるのはどうだろうか。そして「ポリコレではない作品が見られるのは日本だけ、日本語だけ」となれば、日本の作品の希少価値が上がります。
実際、消費者に受け入れられているのは「ポリコレに配慮していない作品」です。販売数は、ポリコレに配慮していない方がよく売れるのです。

私たちは、アニメやゲーム、漫画、映画、ドラマ、小説といった”作品群”という単位の中で、様々な時代、文化、人種、宗教、思想を描いていればいいのです。そういう、親ポリコレでなく、反ポリコレでもない、「外ポリコレ」と「日本産」を連想付けできれば、日本の作品はかなり有利に動けると思います。

外ポリコレ作品を制作するための投資を募る窓口があってもいいかもしれませんね。

外ポリコレと言うとポリコレを意識しているようで感触が悪いですね。
ポリコレをどっかの地方の特産物という程度の扱いにしたい。
そうですね。日本式とか、カオス式とか、多神式というか、浮世式というか、八百万(やおよろず)式というか。

そんなところでいかがでしょうか?

読んでくれてありがとうございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?