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愛と自立って似てるよねって話

自立

児童福祉施設で暮らしていて成人したらすぐに一人で生きていかなければいけないので、施設職員に「自立のためにできることを増やそう」、「自分で考えることも自立だよ」、「そんなんじゃ仕事で通用しないよ」などと毎日のように自立自立と言われている。

最初はおそらく将来頼れる身寄りがゼロになる私のために言ってくれているのかと思い、期待に応えられるよう努力していたが、最近施設職員が言う「自立」がただの都合の良い言葉のように感じられることが増えてきた。


この前精神科通院のために交通費と通院費を出してもらった。

交通費は事前に調べることができたのでいいのだが、今年度に入ってから自立支援医療を使って通院したことがなく通院費がいくらになるかわからなかった。施設側もそんなに大金は出せないということで、「お金が足りなくなって何とかするのも自立!」みたいに言われて確実に足りるのかはわからないくらいのお金だけ持たせてもらった。

もしもお金が足りなかったらどうしようと不安にはなったが、施設を出たときにお金が足りなくなることもあるだろうし今そういう経験をするのも自立なのかな、と思い通院に向かった。
結局通院費は全然余裕だったので一安心したが、気温が暑すぎてお茶を飲みすぎて持ってきた水筒が空になった。これから電車で2時間かけて施設まで戻らないといけないので厳しいな〜と思いながら、通院費の残りで飲み物が買えることに気づいた。
私は毎日毎日「自分で考えることも自立」だと言われているので、自分で考えて残ったお金を使って飲み物を買うのも自立の1つだと思ったが、なんか不安だったので公衆電話で持っていたテレホンカードを使って施設に電話で確認してみた。
すると、「勝手な行動をするなそれは自立ではない(意訳)」と返ってきた。仕方ないので公衆トイレの水道の水を水筒に入れて飲んだ。思ったより不味くはなかった。
しかし、それからの職員の一言一言に不信感を覚えた。毎日毎日言われている「自立」という言葉は単に都合のいい言葉なだけではないか?権力的強者(職員)が自立と言ったらそれは自立。私(弱者)が自立だと思っても職員がそれは自立ではないと言えばそれは自立ではない。そういうことなのではないか。

「愛」という言葉もそんなような使い方ができる。
「愛」とはお互いを愛し合う健全な恋愛をしている人間同士が使う言葉だと広く知られているが、強者が「これが愛だ」と言えばそれは愛全て愛になってしまうという言葉だ。
メンヘラが元彼の家に包丁持って押しかけてくるのも本人が愛だと言えばそれは「愛」だし、愛だから、愛情だからと言って子供を殴ってもそれは本人が愛だと言えばそれは「愛」なのだ。その愛が正しいのか間違っているのかはまた別問題で、その愛が間違っていても犯罪でも「愛」なことには変わりない。

自立と愛

施設の職員が自立だと言ったらそれは自立で、自立ではないと言えばそれは自立ではない。でも私が自立だと言っても職員が自立ではないといえばそれは自立ではない。

私が施設での生活を続けたいと思っている限り、職員は権力的に絶対的強者だから従うしかない。「お前の物は俺の物、俺の物も俺の物」みたいな理不尽さだが(これは実際に父親に言われた言葉だけど)、仕方ないんだと思う…

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