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めでたくない卒業

通信制高校を3年で卒業できそうにない現実から逃避するために、わたしのこれまでの卒業に対する経験を文章化してみる。

学校の卒業式に出たことがない。
正確には幼稚園と小学校の卒業式には出たんだけど、親の意向で当日だけ参加した行事以外のほとんどを休んだため特に帰属意識はなく、感動も思い入れも覚えなかった。
中学はそもそも中1の最初以降全く通っていない上、自殺未遂をして入院したまま卒業式の日を迎えたので何もわからない。
そして春に卒業すらできない通信制高校は、年数回のスクーリング以外に学校を意識するイベントがないので自分が今高校生である実感すら怪しいかもしれない。

こんな感じで明確な「卒業」がある学校生活にほとんど触れない人生を送っていたため、同年代と集団生活を送らなかった弊害を感じることはある。
成人以降の困りごとは明らかに多いので学校は行った方がいいと思う一方で、それに対する自分の中の後悔は意外とない。
経験がなさすぎて学校生活の羨ましがるポイントがわからないのか、それ以外の人生経験が濃かった分満足しているのか……。

不登校や学校に対する話は別の機会にnoteにするとして、「卒業」のテーマに話を戻そう。
わたしがこれまでにやってきた「卒業」は、学校のように年齢や期間で区切られ、皆で平等に迎えるものではなかった。

例えば中学時代の約1/3を過ごした児童精神科の閉鎖病棟では、別々のタイミングで入院する子どもたちが数ヶ月〜数年の、年齢で考えても決して短くない時間をともに過ごす。
退院できるタイミングも本人の病状というか大体は受け入れる大人の都合なので、後から来て仲良くなった子が先に退院するなんてこともザラにある。
見送る側も先に退院する側も経験したが、前者は羨ましい気持ちが含まれていたし、後者は自分が進んでも残り続ける仲間たちのことを想うと、退院という名の卒業を心から喜べなかった。

ちょうど高校の入学式のあった日に入ることになった児童相談所では、更にこの気持ちが露骨だった。
病院とは比べ物にならないくらいのスパンで児童の入退所があったし、ルールが厳格だったためひとりひとりに感情を持つ余裕もなかったのは救いだったのかもしれない。
入所時に下の名前のみの自己紹介をし、個人的な事情は話してはいけない。退所が決まってもそれを言えないし、別れの挨拶もできない。人によっては当日まで自分の「卒業」の日を知ることができない(死刑執行か?)
過ごした時間は2ヶ月と入院生活よりはかなり短いはずなのに、色々な意味で濃い生活だった。

児童相談所を退所した後に入った施設でも「卒業」に対する認識が変わることはなかった。
もちろんそれぞれ時期は違うけど、施設の指針として働いてお金を稼いで自立するというものがあったので、入所している子ども全員が同じ目標を持っているという点では原義の「卒業」の意味に近かったと思う。
問題は施設の中でそれが上手く機能しておらず、せっかく同じ目標を持った子のほとんどが生活に耐えきれずに、卒業できずに消えていってしまったことだった。
施設の指針にはめるとわたしも卒業できなかった側で、入所した日に描いた未来と今は全く違うけれど、そこそこ楽しい日々を送っている。
同じことを思える状況にいる子は、全員じゃないと戒めている。
思うところがあっても児童福祉を変える力も勇気も持ち合わせていない分、願うしかないんだろうな。

わたしは世間一般でいう「卒業」を知らないけれど、何もしてこなかった訳じゃない。人生に無駄な経験なんてないと言われるけども、知らなくていい苦しみもあると思っている。
卒業式に出たことのないわたしが「卒業」の意味を知ることができるのは、初めと終わりを自分で区切り、終わらせる勇気を持つときだと思う。


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