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「考える力」を育むって本当に大切??(1)


今回は、「考える力」をテーマに数回に渡って(多分3回か4回くらいです)、自分の感覚的な部分を言葉にしていけたらなと思います。

「教育施設を設立する」

これを目標に掲げている自分にとっては、教育関連の情報にほどほどに触れるのが好きです。

そして、自分が触れる情報の中で特によく目にしているような気がするのが「考える力」という言葉です。

一般に「「考える力」を育むことは良い事だ」とされていると思います。

自分もこれは、とても大切な力であるなと思う一方で、最近になって少し気になる事も実は出てきました。


それは「考える力」がどういう目的で必要とされているのかという点です。


多くの場合、「良い人生を送れるようになるため」とか、「社会や個人の問題を解決するため」とかそういうものが多い気がしています。

これらはもちろんとても大切な事だと自分も思います。

でも、自分はそこに何か小さな息苦しさみたいなものを同時に感じてしまう時があります。

それはなんでなんだろうかと考えました。


そして思ったのは、「考える力を育むことは良い事だ」という考え方を支えている根底に、「他者よりも優れなければいけない」という微かな匂いをほんの少し感じてしまう時があるからだと思いました。

例えば、「良い人生を送れるようになるため」というのは、やっぱりお金が関係してくると思います。ある程度のお金が無ければ生きていくのが難しいこの社会では、それはもちろん大切なものだと思います。

ただ例えば仮に、「お金を稼ぐために」考える力を身につけるというのが無意識的にでも繋がっているのだとしたら、個人的には少し違和感を覚える所です。なぜなら、お金とは、「他者と良い意味で違っていたり」、「他者よりも凄い」というスキルや能力的な「判断」や「評価」、いわゆる「価値」を誰かから認めてもらえた場合だったり、そういった価値が生まれた時に手にできるものだと思っているからです(もちろん認められる事自体はとても嬉しい事で、有難い事でもあると思います。ただ、教育の文脈で考えると少し問題点もある気がしています。この辺は、また次回以降に触れられたらと思います)。

そしてここに、自分は何か、「他者よりも優れる必要がある」という小さなメッセージを場合によっては感じ取ってしまう事があり、違和感を覚える原因となっているのかなと思いました。※他者よりも優れる事が良いのか悪いのかという問題については、次回に詳しく触れたいと思います。

 

また「社会や個人の問題を解決するため」というのはどうでしょうか?

これ自体は、特に違和感的なものは自分は感じません。ただ、社会や個人の問題というのは、どこにあるのだろうかと考えてみると、大概、(一見すると)自分の外側にある事が多いのではないかと思います。

例えば、教育格差や貧困の問題(社会的な問題)等は、自分という存在の外側にある問題だろうと(一見すると)思えます。

また例えば、課題が終わらないとか、お金が無いとか、コミュニケーション能力がないとかそういう個人的な問題も、自分の外側にある問題だろうと思います。

ただ、コミュニケーション能力などの「能力の問題」については、自分の内側にある問題にも思える気もします。しかし、実際に自分に「コミュニケーション能力が無い」という判断が出来るのは、自分以外の他者と「比較」するからこそ、感じ取れる問題でもあると思います。なのでその意味では、自分の外側にもある問題だと言えると思います。

そして、ここでやはり自分が若干違和感を抱いてしまうのは、意識の矢印が外に向くことで、「他者比較になりやすい」という点です。


他者と比較するという事はつまりは、

「「他者よりも優れている」方が良い」

と無意識のうちに思ってしまいやすい点ではないかと思います。


これは、考える力が仮に身についたとしても、その人が社会の中で「大人」であると認められた時に、その考える力を何のために使うのか、

つまり、考える力の「生かし方」にかなり大きな影響を与えるような気がします。
考える力の「生かし方」によって、結局、本末転倒(新しい問題を生み出すこと)となる結果になってしまうのではないかと思う時も自分のこれまでの経験でありました。

※この「生かし方」の問題についても次回以降に触れたいと思います。

上記の事が良いか悪いかは考える必要があると思いますが、ただ、1つ確実に言えるのは、考える力がついた事で、その力を使って人を傷つけたり、意図的に攻撃したりするのは良くないんじゃないかなと思っています。


自分は、

お互いが気持ち良く、ただ素直に(共に)生きていけるそんな居場所が世の中に多くあれば良い 

そういう風に思っています。

自分は上記の事を、社会の在り方の1つとして求めているのですが、それを1つのゴールだと仮に捉えるなら、「考える力」を何のために育てるのかという目的(それが個人の考え方・出来事への対応の仕方に影響を与えると思っています)によって、「考える力」を育むことが良いのか悪いのか、大分異なる感覚に自分はなるので、その辺を次回以降で少しづつさらに言葉にしていけたら良いなと思います(そもそも良い悪いの次元で考えても良いのか少し微妙ではありますが…汗)。

今回は一旦ここまでにします。


今回の暫定的な結論は、

「「考える力を育くもうとするのは場合によっては自分はちょっと違和感を覚える時もある」です。


次回は「他者比較」の良し悪し(と出来たら「生かし方」の問題)について触れられたらと思います。

長々と読んで下さり大変ありがとうございます(*^^*)



まだまだ教育施設設立までは長い道のりですが、少しでも自分たちの想いに共感してくださる方がいらっしゃれば本当に嬉しく思います。そういう方は、是非一緒によろしくお願いします!笑 またいつも応援してくださる方、本当にありがとうございます。感謝の気持ちでいっぱいです。