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それでも、対話をはじめよう -対立する人たちと共に問題に取り組み、未来をつくりだす方法

Solving Tough Problems(2004, 2007)
アダム・カヘン 著
小田 理一郎 訳
英治出版
232p
2,310円(税込)

目次
1.「唯一の正しい答えがある」
2.世界を見る
3.奇跡的な選択
4.行き詰まる
5.命ずる
6.礼儀正しく話す
7.率直に話す
8.話すだけで聞かない
9.オープンに聞く
10.内省的に聞く
11.共感的に聞く
12.殻を破る
13.丸めた拳と開いた掌
14.傷口は一体になりたがっている
結論 オープンな方法

イントロダクション


解決困難な問題が山積する今日、「対話」の重要性がこれまで以上に高まっているといえる。だが、対話は、ただ話をすればいいというものでもない。
問題を解決の方向に持っていく、新たな価値を創造するといった効果を発揮するには、対話の技法や心構えが必要になる。それはどういったものなのだろうか。

本書では、世界50カ国以上で、企業の役員、政治家、軍人、ゲリラ、市民リーダー、コミュニティ活動家、国連職員など、異なる意見を持つ人々とともに数々の困難な問題に取り組んできた世界的ファシリテーターが、オープンに聞き、話すことで未来に希望をもたらす対話の仕方について、自らが立ち会った豊富な事例を紹介しながら解説。
著者が使用するのは主に「シナリオ・プランニング」だが、大企業シェルで効果的だった手法が、アパルトヘイト体制から民主主義社会へシフトしようとする南アフリカの政治的な話し合いにも有効だった。

著者は、人々がもっとも重要かつ困難な問題に対してともに前進することを支援する国際的な社会的企業であるレオス・パートナーズ社の取締役。2022年の世界経済フォーラム(ダボス会議)で、シュワブ財団の「ソーシャル・イノベーション思想的指導者2022」に選出された。

南アフリカの人権平等な社会構築に向けたモン・フルーのワークショップ

 1988年、ロイヤル・ダッチ・シェル(現シェル)の戦略企画部門に転職した。私の仕事は、ビジネス上の手ごわい問題に対して、幹部の思考を刺激し、戦略的議論の質を向上させることだった。

 この挑戦のための私たちの主要なツールはシナリオ・プランニングであった。私たちの用意するシナリオ群は、今後20年間の未来がどのように展開するかについて、慎重に構成した、一連の起こりうるストーリーだった。

 1990年、(*戦略企画部門のリーダーだった)キース・ヴァン・デル・ハイデンはシェルを引退した。後任は、社外採用のジョセフ・ジャウォースキーだった。1991年半ば、シェルのオフィスにいたジャウォースキーに、南アフリカのウェスタン・ケープ大学の教授ピーター・ル・ルーから電話がかかってきた。

 その1年前、白人少数派のF・W・デクラーク政権は、ネルソン・マンデラを27年ぶりに釈放し、同時にマンデラのアフリカ民族会議(ANC)を含むすべての黒人野党を合法化した。このとき、政府と野党が着手していたのは、権威主義的なアパルトヘイト体制を人種平等の民主主義に平和的に移行するための交渉である。

 ル・ルーは、この先例のない移行に向けて、野党が戦略を練る一助としてシナリオ・プロジェクトを立ち上げたいと考えていた。そして、シェルからアドバイザーを派遣することを求め、私がプロジェクト・チームに対して方法論のアドバイスをし、シナリオ・ワークショップをファシリテーションすることが認められた。私は、1991年9月、プロジェクトの最初のワークショップのために、ロンドンからケープタウンに飛んだ。

 ワークショップの会場は、ケープタウン近郊のモン・フルー・カンファレンス・センターだった。ル・ルーは、南アフリカで影響力のある22人のグループを編成していた。招いたのは、ANCなど左翼野党内のすべての主要グループのリーダーたちだった。さらに、大胆にも白人の実業界や学界から、長年の敵対者たちの一部も招待していた。

 チームは、まず多様なメンバーからなる小グループをつくって、今後10年間に南アフリカで起こりうるシナリオのブレーンストーミングを行った。私は、自分たちや自分たちの政党が起こってほしいと思っていることではなく、ただ起こりうることについて話すように依頼した。

 最初のブレーンストーミング演習では、30のストーリーが生まれた。チームは、これらをとりまとめて、その先のワークのために九つに絞りこみ、社会的、政治的、経済的、国際的な側面に沿ってシナリオを練り上げるために、四つのサブチームを立ち上げた。

 各サブチームは9月から12月にかけてワークを行い、そして2月には2回目のワークショップのためにチーム全体が再びモン・フルーに集まった。彼らはまず、九つのシナリオをさらに深く掘り下げたあと、この国の現状を踏まえ、もっとも重要で起こりうると考えた四つのシナリオに絞りこんでいった。

 私が考えるに、モン・フルーのプロセスの本質は、世界全体から取り返しがつかないほど行き詰まっていると考えられていた社会において、小グループの非常に献身的なリーダーたちが、社会を横断的に代表する者として、その社会で何が起こっていて、何がなされるべきかについて広く深く話し合うために集まったことだった。

 彼らは、自分たちのことを、解決しようとしている問題から距離を置いた存在ではなく、問題の一部であると考えていた。モン・フルー・チームの基本的な姿勢は、起こりうる未来は複数あること、そして彼らや他の人々がとる行動によってどの未来が開かれるかが決まるというものだった。

三つの種類の「複雑性」いずれにも対応したモン・フルーのプロセス

 問題が手ごわいのは、それが複雑だからであり、複雑性には三つの種類、すなわちダイナミックな複雑性、生成的(ジェネレイティブ)な複雑性、社会的(ソーシャル)な複雑性があることだ。

 原因と結果が空間的・時間的に遠く離れている場合、問題のダイナミックな複雑性は高い。例えば、ニューヨークの経済上の決定がヨハネスブルグの金の価格に影響を与えたり、アパルトヘイト時代の教育政策が現在の黒人の雇用の見通しに影響を与えたりする。このような問題は、構成要素の間の相互関係や、全体としてのシステムの機能を考慮しながら、システム的に理解するしかない。

 問題にかかわる未来がよくわからない、予測不可能なものである場合、その問題の生成的な複雑性は高い。例えば、南アフリカはアパルトヘイトという特殊な硬直状態から離れ、冷戦後、急速にグローバル化・デジタル化している新しい世界へと向かっていった。生成的な複雑性が高い問題の解決策は、事前に紙の上で、過去にうまくいったことをもとに算出することはできない。そうではなく、状況が展開する中で考案しなければならないのだ。

 問題の関係者たちのものの見方が大きく異なる場合、問題の社会的な複雑性は高い。南アフリカには、黒人対白人、左翼対右翼、伝統対現代という視点、つまり二極化と膠着を生む典型的な条件があった。社会的な複雑性の高い問題は、権力者によって上から平和的に解決できるものではなく、問題の関係者たちが解決策の考案と実施に参加しなければならない。

 複雑性の低い単純な問題は、断片的で、過去にもとづき、権威主義的なプロセスを用いることで、完璧にうまく、すなわち効率よく、効果的に解決することができる。それに対して、複雑性の高い問題は、システム的、創発的、参加型のプロセスでしか解決することができない。

 モン・フルーのプロセスはシステム的であり、社会的、政治的、経済的、国際的なダイナミクスを考慮しながら、南アフリカ全体のためのシナリオを構築するものだった。そして、前例や壮大な計画はあまり役に立たないことを認識し、その代わりに、この国の現在の重要な選択肢を特定し、それに影響を与えるために、創造的なチームワークを用いた点で、創発的だった。さらに、解決の鍵となる国民を代表するリーダーの大半が関わった参加型であった。

創造性を発揮するための「内省的な対話」と「生成的な対話」

 MITスローン・スクール・オブ・マネジメントのオットー・シャーマーは、四つの異なる聞き方の分類法を開発している。

 一つ目は、「ダウンローディング」。自分の言っていることや聞いていることが一つのストーリーにすぎないということを意識せずに聞いている。つまり、自分自身のストーリーを確認するものだけを聞いているのだ。このような類いの実質聞いていない聞き方は、原理主義者、独裁者、専門家、傲慢な人、怒っている人によく見られる。

 二つ目の聞き方は、「ディベート」である。討論するときは、ディベートのジャッジや裁判の判事のように、客観的に、外側から互いの話やアイデア(自分自身のアイデアも含む)を聞く。

 ダウンローディングやディベートをしているとき、私たちは既存のアイデアや現実を提示し、再現しているにすぎない。何も新しいものを生み出していないし、創造性も発揮していない。

 シャーマーは、三つ目の聞き方を「内省的な対話(リフレクティブ・ダイアログ)」と呼んでいる。内省的に自分自身に耳を傾け、共感的に他人の話を聞いているとき、つまり内側から主観的に聞いているときに、内省的な対話を行っているのだ。

 そしてシャーマーは、四つ目の聞き方として、「生成的な対話(ジェネレイティブ・ダイアログ)」と呼んでいるものにも言及している。生成的な対話では、自分自身の中や他者の中からだけでなく、システム全体から聞く。

 生成的な対話では、まるで語り手たちが全員、同じ大きなストーリーの一部を語っているかのように、一つのストーリーがべつのストーリーの中に流れこんでいるように思える。互いの個人的な視点に耳を傾けることから、しばらくの間、全体の集合体である「私たち」になることにシフトするのである。

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